第45話 皇帝

白亜の廊下に足音が響く。

真っ直ぐと伸びるそこには塵一つなく、まるで磨かれた鏡の様に美しい。

そこを俺は、自分の靴の裏が汚い足跡を残さないか心配で、度々振り返りつつ案内役に従い付いていく。


やがて廊下は突き当たり――扉の前に差し掛かる。

扉は分厚い木製。

表面には帝国の象徴たる鷲がでかでかと彫り込まれていた。


扉の前に立つ衛兵2人がこちらの姿を認め、大仰に敬礼をしてくる。

俺に敬礼してきたとは考えられないので、恐らく目の前の案内人に対するものだろう。


名前だけ名乗って立場の説明が無かったので、その柔らかな物腰と洗練された身のこなしから勝手に執事か何かと思い込んでいたが、どうやら彼はもっと偉い立場の人物だった様だ。


2人の衛兵の手によって、小さく軋む様な音を立てて扉が開かれる。

案内人――クロム・フォードーーは小さくご苦労と衛兵達に声を掛け扉を潜り、俺もそれに続いた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「お加減如何ですか?」


「ああ、まったく問題ないよ」


教会の中にある中庭。

リンとニカが2人でケロをあやしているのをベンチに座って眺めていると、フラムが手を振りながら此方へとやってくる。


「それは良かったです。それより聞いてください!」


フラムが突然興奮気味に大声を発し、飛びっきりの笑顔を俺に近づける。

彼女がこういった反応を見せるのは、間違いなくアレの時だ。


恋愛関連。

しかも他人の。


俺はやれやれと思いつつもフラムの話を促す。


「どうかしたのか?」


「レインさんですよ!!」


どうやらレインとパーが付き合った話の様だ。

その報告は既に本人達から受けているんだが、恐らくフラムはまだ俺が知らないと思っている様だ。


「レインがどうかしたのか?」


本当は既に知っているが、フラムが余りにも嬉しそうなので少し話に付き合ってやる事にする。

我ながら空気の読める優しい人間に成長したものだと、自分で自分を褒めて上げたい気分だ。


「どうしたと思います!?」


「剣を極めたから、次は槍の練習を始めたとか?」


「惜しい!もう一声!」


いや全然惜しくないだろ。

尋ねておいて当てさせる気ゼロじゃねーか。

後もう一声ってなんだ?

意味がわからん。


テンションが上がりすぎて意味不明な言葉を話すフラムを呆れ顔で眺めていると、それをギブアップと受け取ったのだろう。

出会ってからこれまで一度も見たことのない程の、良い笑顔を俺に向ける。


どんだけ恋バナ好きなんだよこいつは。


「実はですねぇ……実はですよ……」


フラムは言葉を無駄に溜める。

話に付き合ってやろうかと思っていたが、正直ちょっとウザいしカウンターを決めてやる事にした。


「レインとパーが付き合ったんだろ?知ってるよ」


俺の言葉を聞いた瞬間、フラムは鳩が豆鉄砲を食ったよう顔になる。

そのまま口をパクパクさせる姿を見て、いや幾ら何でも驚きすぎだろうと呆れてしまった。


「し……知ってたんですかあぁぁぁ!!!」


「うん、本人達に聞いたし」


「もう!それじゃあ、勿体つけた言い方した私が馬鹿みたいじゃないですか!」


「そうだな」


フラムが拗ねた様に頬を膨らませ、「たかしさんのイケズイケズ」と言いながら俺をポカポカと叩いてくる。

側から見るとイチャついてる様に見えそうで嫌だなと思っていたら、急に大声で怒鳴られた。


「何やってるんですか!」


いつの間にやらリンが側へとやって来ていて、何故か此方を睨んでいる。

見るからに不機嫌そうな顔で、アホ毛がピーンと真上に伸びていた。


その様子から、一瞬怒髪天を衝くという言葉が頭に浮かんだが……まあ流石に違うか。


「ケロちゃんへの教育に悪いんで、そういうのはやめて下さい!」


そういうのってどういうのだ?

別段教育に悪い事など一切していないのだが、リンの余りの剣幕に俺とフラムは思わず謝ってしまう。


「ああ、悪い」


「ごめんね、リンちゃん」


「分かって貰えればいいんです!」


何一つ分かってはいないのだが、触らぬ神に祟りなしと言うからな。

まあ、分った振りしときゃいいだろう。


「リンちゃん、急にどうしたの?」


ケロを抱っこしたニカがゆっくりと此方へとやってくる。

その顔からは強い戸惑いが伺えた。


「急に走って行っちゃうから、びっくりしちゃったよ」


「あ、びっくりさせちゃってごめんね。たかしさんが馬鹿な事してたから、注意してたの」


馬鹿の子に馬鹿な事してたと言われるのは、流石に心外極まるな。

いったい俺の行動の何がリンの琴線に触れたと言うのだろうか?


「あれ?その子ひょっとしてリンちゃんが言ってた」


「はい!たかしさんと私の子供でケロちゃんって言います!」


「死ぬほど誤解を招きそうな言い方はやめろ」


大筋間違ってはいない気もするが、リンの言い方では確実に誤解を招きかねない。


「ケロだよー」


「初めまして。私は愛の天使、フラム・リーアよ。宜しくね、ケロちゃん」


「あいのてんし?」


「そ、私は愛の天使。この間もレイン君とパーちゃんの愛の架け橋を繋いで来たばっかりなのよ」


「すごーい」


ケロは話の内容は理解できていないが、ニュアンスから何かを察したのか、凄い凄いと連呼する。


しかしフラムが愛の架け橋ねぇ。

すっげぇ嘘くさいんだが。


て言うか、自分で愛の天使って名乗って恥ずかしくないのだろうか?

まあ年がら年中ウェディングドレスをカジュアルに着こなす女に、その疑問は野暮というものか。


「あ!その目!たかしさん疑ってるでしょ!」


「別に疑ってなんかないぞ」


勿論嘘っぱちである。

だがここで本音を正直に口にすれば、しょーもない恋愛話が延々語られるのは目に見えていた。


「もー、本当ですかぁ?」


「ほんとだって」


「絶対信じて無いでしょう?」


「信じてるって」


そんなやりとりをしていると、リンがフラムとの間に割り入って俺を擁護してくれる。


「フラムさん。たかしさんは嘘を吐いたりしません。私が保証します」


ドヤ顔で保証してくれるのは有難いが、残念な事にその保証は発行と同時に期限切れだ。

純粋に信頼してくれるのは嬉しい反面、心苦しくもある為、できれば少しは疑って欲しいぐらいである。


「まあ、リンちゃんがそこまで言うんだっら信じますね」


フラムはリンの顔を立てて素直に引く。

危うくフラムの武勇伝こいばなを聞かされかねない流れだったので助かった。


「あ、そうだ!実は帝国から遣いの方がきてるんですよ。たかしさんに」


「俺に?」


帝国が俺に用?

まさか街を壊した賠償問題の話とかされねーだろうな?

流石にその辺りはティーエさんが対処してくれてると思いたいが……


兎に角、俺は教会の外に待つ案内人に連れられ、首都のど真ん中にある宮殿……ではなく――そこから少し離れた離宮へと案内される。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「陛下。たかし様をお連れしました」


「やあ、よく着てくれた」


テーブルに座りチェスに興じていた陛下と呼ばれた男が、片手を上げて軽い挨拶をしてくる。


男の名はカイル・フォン・ルグラント。

ここルグラント帝国の皇帝だ。

見た目は黒髪黒目に彫りの深い整った顔立ちをしており、赤を基調としたゆったりとしたローブを身に纏っている。


年齢は20代半ば辺りだろうか。

皇帝という単語からもっとずっと年配を想像していたのだが、思ったよりずっと若い。


「初めまして、たかしといいます」


相手はこの国のトップだ。

一瞬膝でも折って挨拶しようかとも思ったが、それが異世界での礼儀として正しとは限らない。

その辺り判断が難しいので、無難に軽く頭を下げるだけに留めておいた。


まあティーエさん達もいるし、問題ありそうならフォローしてくれるだろう。

そう思い彼女達へと視線を向ける。


ティーエさんは皇帝の対面に座り、チェスの相手を務めていた。

そしてその後ろには、仏頂面のティータが立っており、此方を強く睨んでいる。


「たかしさん、お加減はもう宜しいのですか?」


「ええ、問題ありません。心配をおかけしました」


「ふん。一週間も寝込むとは、軟弱極まりないな」


「ほっとけシスコン」


腹が立ったので言い返しておく。

まあ軟弱なのは否定できないが、厄災なんて化け物の相手をしたんだ。

一週間寝込むぐらいは許容範囲だろうに。


「シスコンだと?相変わらず貴様は何も分かってはいないな。私の姉上への愛はそんな言葉で収まる様なものでは無い!」


「ああ、そうなんだ……」


大抵の人間はシスコン扱いを嫌う。

そんな中、まさか恥ずかし気も無くシスコン越えを主張されるとは。

ティータ……恐るべき男だ。


「ははは、仲が良いな」


皇帝は愉快そうに笑う。

むしろ仲は悪い方なのだが、彼には幻覚でも見えているのだろうか?

それとも政の世界じゃ。この程度では仲良く見える程ギスギスしてるとか?

だとしたら嫌な世界だ。


「さて、たかし。此処に来て貰ったのは他でも無い。君を勇者と見込んで、頼みたい事があるのだ。一つ引き受けて貰えないだろうか?」


俺は別に勇者じゃないし、そもそも内容言わずに返事を貰おうとすんなよ。

等という気持ちはおくびにも出さず、話を促す。


「お話をお伺いします」


此処にティーエさんが居るという事は、もう彼女には話が通っているのだろう。

なら二つ返事でも良かったが、一応ハッキリとした返事は俺自身が話を聞いてからにしておく。


「うむ、実は頼み事と言うのは――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る