悪役令嬢は洞窟の中へ突入する

 ユーリはレオンの後を黙って追った。レオンはまっすぐに寄宿舎の中へと入っていく。そして、一階の――――おそらくレオンが使っている部屋の扉を開いた。


 ユーリは足を止める。先に部屋の中へと入ったレオンがゆっくりと振り向いた。

「どうした? 中に、入らないのか?」


 逆光でレオンの表情は読めない。けれど、ユーリはその声色からの選択を迫られているような気がした。レオンは無言でユーリが動くのを待っている。


 数秒考えた後、ユーリはレオンの部屋に足を踏み入れた。扉は閉めずに開けたままにして亜空間を展開する。


「これなら大丈夫だろう」


 そう言って、満足気に頷いた。

 レオンとユーリは婚約しているとはいえ、まだ正式に婚姻を結んだわけではない。

 万が一にも、変な噂を流されては困るだろう――――という、ユーリなりの配慮だった。


 だが、レオンは面白くなさそうに息を吐き出す。想定外の反応にユーリは首を傾げた。

 ――――何か間違ったのだろうか。

 そんなユーリをじっと見つめながら、レオンはやれやれと首を横に振った。


「ユーリ……おまえ本当に気づいていないのか? それとも気づいていて……いや、何でもない。今のは忘れてくれ」

「ん? あ、ああ」


 ユーリは頷きながらも、戸惑ったように目を瞬かせる。

 そして、何かを思い出したように視線を逸らした。

 ここではないどこか遠くを見ている。レオンにはそう見えた。


 考えるより先に身体が動いていた。

 レオンはユーリの腕を掴み、引き寄せた。一気に距離が縮まる。


「どうした?」

「っ」


 一切揺らがない瞳。それが今は腹立たしい。けれど、今はこんなことをしている時ではない。

 レオンはぎりっと歯を食いしばり、掴んでいたユーリの腕を放した。

 背を向けて己を落ち着かせる。


 レオンは幼い頃から王太子となる為教育されてきた。自分の精神をコントロールするのも得意だ。

 それなのに、ユーリ相手だと上手くいかない。


 今となっては、これが恋だとレオンは自覚している。

 同時に、今のユーリに自分の気持ちを押しつけたところで、むしろ離れていくということも理解していた。

 パートナーとしては充分な間柄。でも、これから夫婦となることを考えると……ユーリとの距離はあまりにも遠い。

 はがゆく思うが今はゆっくりと距離をつめていくしかないのだ。


 気持ちを切り替えたレオンはいつも通りを心がけて振り向いた。


「今晩の作戦、本当にパードとノイも連れて行くつもりか? あまり大所帯で行くのもどうかと思うんだが」

「ん、ああ……そのことか。確かにそれはそうなんだが、今後のことを考えれば獣人国からも証人を出しておいた方がいいと思ってな。それに、どちらかというと……ダニエルやカイを連れて行く方が心配だ。魔物との戦闘は慣れてきたようだが、対人戦の実践経験はほぼないだろう。……今回のような場合は最悪死人が出てもおかしくない」


 ユーリの言葉にレオンの顔が強張る。そして、そうだなと頷いた。

 その顔にはできればそんなことにはなってほしくないという本音が浮かんでいる。

 けれど、レオンは王太子だ。次代の王として、その覚悟を常にレオンは持っていないといけない。

 色恋沙汰にうつつを抜かしている暇などないのだ。



 ――――――――



「いくぞ」


 レオンが小さな声で簡潔に指示を出す。

 その声はユーリが渡したピアスのおかげで全員の耳に届いている。皆、黙って頷き返した。

 暗闇の中、洞窟へと近づく。

 ユーリが洞窟の外にいた見張りのオーク二体と自分達を囲むように亜空間を展開する。これで洞窟の中にいるモノ達には気づかれない。


 出鱈目な闇魔法の使い方に呆気にとられるダニエルとエーリヒ。魔法についての知識が浅いカイはそのすごさがわかっていないようで、訝しげにダニエルの名を呼ぶ。我に返ったダニエルが慌てて拘束の魔法陣を書いた紙をオークに投げつけて呪文を唱えた。

 動けなくなったオークの一体にカイが眠り玉を投げつける。ドシンッとオークが倒れる。


 スムーズな連携にユーリが感心していると、もう一体のオークが無理矢理拘束を解いてアンネに突進していった。

 アンネはギロリと目を光らせる。眠り玉を振りかぶり、オークに全力で投げつけた。

 顔面から眠り玉をくらったオークは、そのまま大きな音を立てて地面に伏した。


 パンパンと両手を叩きながら不敵に笑うアンネは、聖女というよりはいっぱしの冒険者だ。

 思わず固まる男性陣をよそに、ユーリは「よし」と亜空間魔法を解除した。

 レオンがユーリに近づき、小声で確認する。


「大丈夫か?」


 亜空間魔法を数分展開するだけでも結構な魔力を消費するはず、とレオンは心配したのだが……そこはユーリ。平気そうな顔でレオンに頷き返す。


 さて、ここからが本番だ。

 ユーリが提案した『ユーリが先行で洞窟の中に入って偵察してくる』という作戦はレオンとアンネに速攻却下された為、皆で一気に押し入る作戦になっている。スピード勝負だ。


 レオンのゴーサインとともに、全員で洞窟の中へ向かって走る。

 幸いなことに、洞窟の中には明かりが灯っていてすぐに中の状況を把握できた。

 しかし、それは中にいたモノ達も同じだ。

 予想通り、洞窟の中には人間とオークがいた。人間達は慌てて声を上げ、オーク達は一斉に侵入者に向かって襲いかかる。


「頼んだぞ!」


 ユーリは叫ぶと、ネコと共に走り出した。オーク達を引き付けるようにわざと間を走り抜けて翻弄する。

 オーク達がユーリ達に気を取られている隙をついて、カイとダニエルが先程のようにオーク達を眠らせていく。


 エーリヒは逃げ惑う人間達を片っ端から魔法で拘束していった。

 その顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。追いかけられた側の人間達は恐怖を感じていたことだろう。


 ユーリは走りながらもアンネ印の眠り玉の威力を確認して、感心していた。

 ――――さすがアンネだ。よく効いている。


 そう思いながら、腰につけたユーリ特製眠り玉に触れる。

 ――――コレの出番はないかもしれないな。

 光魔法を使うアンネが作ったの効果は通常よりも高いという。それならば、闇魔法を使うユーリが作った眠り玉の効果も高くなるのではと考えたのだ。

 ユーリの考えを聞いたアンネもその可能性は充分にあると言っていた。

 けれど、その効果を試す機会はなさそうだ。と、残念に思っていると……


「あぶない!」


 アンネの叫び声が聞こえ、慌てて声がする方へと顔を向けた。

 眠り玉が効かなかったのだろうか。他のオークに比べて一回り大きいオークがレオンに向かって襲いかかっているところだった。


 ユーリは慌てて、ユーリ特製の眠り玉を握る。

 魔法で全身を強化すると一気に距離を詰める。そして、勢いのままオークの顔面に拳を叩きつけた。

 眠り玉が衝撃で割れ、ダイレクトにオークにかかる。オークは一瞬で意識を失い、そのまま後ろへと倒れた。


「あ、ありがとう。助かった」

「いや。それよりも、今のうちに捕まえた人間達を外にいるアロイス達に連れて行ってもらおう」

「ああ。そうだな」


 洞窟の入口付近でアロイス達は待機している。捕縛され、戦意喪失している人間達をチシャ村に連行するのは彼らに任せても大丈夫だろう。


 オーク達が起きる前に、例の黒曜石を確認しておきたい。

 一同が動き出そうとした瞬間、今までずっと大人しくしていたネコが短く鳴いた。ユーリが叫ぶ。


「アンネ! 皆に防御魔法を!」


 反射的にアンネは味方全員に防御魔法を付与する。

 ユーリとネコが睨む先には闇しかないように見えた。しかし、ユーリ達がこれだけ警戒しているのだと全員が警戒しながら闇をじっと見つめる。


 しばらくすると、闇が揺らめき、突如黒いローブを身に纏った男が現れた。

 深くフードを被っているせいで口元しか見えない。いかにも怪しい男だ。


「そいつです!」


 パードが叫ぶ。その意味を理解した全員が男に敵意を向けた。

 しかし、男はユーリ達など興味もないとばかりに捕縛されている仲間達の元へ足を向け、男は「いーち、にー、さーん、」と楽しそうに数え始めた。


 理解できない言動に全員が戸惑っていると、男はナイフを取り出し、撫でるように仲間達の首を切り裂いていった。

 まさかの行動に全員が息を呑む。勢いよく上がる血しぶき。


 ユーリはすぐにでも男を止めたかったが、少しでも動けば男が持つナイフの切っ先がレオンやアンネに向けられることに気づいて足を止める。

 ――――この男、隙が無い。

 目の前にいるのは得体の知れない強者だ。ユーリにもその力量は測れない。

 アンネの防御魔法があるとはいえ、それもどこまで有効かわからない。ユーリは悔しげに唇を噛んだ。


 アンネやカイ達はこれ以上見ていられないと視線を逸らす。

 なぜ、こんなことをするのか。彼らは仲間では無いのか。

 困惑と嫌悪感と恐怖でいっぱいになり、吐き気が込み上げてくる。


 まるで呼吸をするかのように人の命を奪っていく男。誰も男を止められない。

 地面に血が広がっていく。


 最後の一人を殺すと、男は満足気に微笑んだ。

「これくらいいればいいだろう!」


 男は血だらけのナイフを持って浮かれた足取りで奥へと進んでいく。

 訝し気に見つめていたレオンが何かに気づいたようで、ユーリに向かって慌てて叫んだ。


「ユーリ、あいつを止めろ! この奥には黒曜石がある。あいつは魔王復活の儀式をするつもりだ!」


 ユーリは目を見開き、全力で男を止めに走る。

 けれど、一足遅かった。すでに魔王復活の儀式は始まっていたのだ。黒曜石に刻まれた陣が光っている。


 男は追ってきたユーリを見てニタリと笑う。

 そして、血だらけのナイフの切っ先を黒曜石に当て、仕上げの呪文を唱えた。地面が揺れる。


 ユーリは直感した。もう止められないと。止めようと近づいた瞬間、己も取り込まれると。

 

 黙って見ていることしかできなかった。

 地面に広がっている血が黒曜石に引き寄せられ、ズズズズと吸われていく様を。


 全ての血を吸い終えた黒曜石はどす黒いオーラを纏い、真っ二つに割れた。

 中から勢いよく飛び出す。全てを覆いつくす漆黒の闇が。

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