一夜限りの恋人と唐揚げを

折葉こずえ

第1話 捨てられた日

 

 フラれた……

 いや、フラれたなんて自分自身へのダメージを減らす為に使った方便だ。

 正確には、捨てられた……

 

 中身の無くなった歯磨き粉のチューブをぽいっとゴミ箱に投げ入れる様に。

 穴の開いた靴下をぽいっと捨てる様に。

 ご飯を目の前にした犬がそれまでかじっていた骨の形をしたガムをぼとっと床に落とす様に。


 ひどいよ……



 ◇


恵梨香えりか、帯きつない?」

 私の浴衣の帯を締めながらお母さんが聞いた。

「うん、大丈夫」

「ほんなら良しっと」

「ありがとう」


「何時頃になる?」とお母さんが聞く。


 今日は長良川花火大会。毎年、7月の最後の土曜日と8月の最初の土曜日に清流『長良川』河畔で行われる花火大会だ。

 2週連続で3万発規模の花火が打ち上げられるこの花火大会は日本最大級とされ全国的にも有名である。

 岐阜県民のみならず、お隣の愛知県からも人が押し寄せ近隣住民の帰宅を困難にさせるほど渋滞するし、人も溢れかえる。

 河畔のホテルなどは1年前から予約で埋まるそうだ。


 恋人の、いや、元恋人か。元恋人の純也とは高校3年生になった時のクラス替えで同じクラスになり、何となく気が合って、お互いが意識し始め、5月の連休の前に純也から告白されて付き合いだした。

 

 夏になり、この長良川花火大会は恋人達が当たり前の様に観に行くという、岐阜県民にはDNAレベルで組み込まれたイベントである。ご多分に漏れず私達も今日、本来なら花火を見に行く予定だった。


「花火が9時頃終わるで9時半くらいかな」と私が答えると、

「高見君に会うの初めてやで楽しみやわ」とお母さんは嬉しそうに言った。


「高見君の好きな唐揚げ揚げとくでね」

 そう言ったお母さんの顔は本当に嬉しそうで。初めて出来た私の彼氏、いや、元カレか。元カレの好きな唐揚げを作って待っててくれると言う。


「あんま屋台でつまみ食いしたらあかんよ、唐揚げ食べれんようになってまうでね」

 屋台での食べ歩きが楽しみの一つなのにそれをするなと言うのかと内心ぼやきながら、

「なるたけ食べんようにするよ」とだけ言った。


 慣れない桐下駄を履き待ち合わせの名鉄岐阜駅に悪戦苦闘しながらたどり着く。

 まだ来てないんだ。そう思い行き交う人々の邪魔にならないよう隅っこによって人間観察を始める。

 駅からは普段では見られない程の人が吐き出され、みな花火を見に行くのかそれらしいカップルや家族連れがぞろぞろと歩いていく。


 しかし、待ち合わせの午後6時になっても純也は現れない。普段からあまり遅刻などしない人なんだけれど。

 午後6時半になり、流石におかしいと思った私は彼にLINEを送る。


『もう、着いてるよ?』というメッセージと共にカエルが待ちくたびれているスタンプも同時に送った。

 すぐに既読がついたので近くにいるのかなと思い辺りを見渡すのだけれど、相変わらず彼の姿は見えない。するとLINEが届いた。


『ごめん』とだけ。


 遅れてごめんなのかなと思い、


『あとどのくらいかかる?』と返信した。


『ごめん、今日行けない』

 

 え? どういう事?


『どうしたの?』

『今日行けない、ごめん』

 最初に頭に浮かんだのはお母さんの顔。


『具合でも悪いの?』

 既読はついたのだけれど、それきり一向に返信がない。


 それから5分程経って送られてきたメッセージが、


『別れたいんだ』

 

 文字は読めたけれど意味を理解するのに時間がかかった。一瞬、冗談だと思った。良くこうやって私を驚かす人だったから。


『なにそれ? またドッキリ?』と打つ手が震えていた。


 それにも既読はつくのだけれど、再びスマホは硬直した。私は堪らず通話をタップする。

 純也はすぐに応答した。


「もしもし?」

『……うん』

「なに? 冗談やろ? また驚かそうとしとんの?」

『……ちゃうて』

「なんで? なんで急に?」

『……ごめん』

「ごめんでは分からへんやん。本気で言っとんの?」

『本気や。ほんとにゴメン』

 冗談ではなさそうな彼の口調に全身の血の気が引き皮膚がヒリヒリとするのを感じた。


「おかしいやん。なんで?」

 もう私には、なんで? しか言えなかった。


「なんで? なんで?」

『……ヨリを戻したいんや』


 何を言っているの? 何の事を言っているの?


「どういう事? なんで?」


『元カノとヨリを戻したいんや』

 元カノ……。純也は2年生まで彼と同じクラスだった女の子と付き合っていたという話は聞いたことがある。その子とヨリを戻す? まだ好きなの? 私がいるのに? 何を考えているの?


「なんでわたしと付き合ってるのにヨリを戻すの?」と言った私の声はすでに震えていて。


『恵梨香と付き合っている時も、アイツの事が忘れれえへんかったんや』

 鳩尾に何か物を詰め込まれた感覚を覚えた。


「今日やなてもええやん……」と、心の中では別れる事を承認してしまった私がいた。

 

 頭に浮かんだのは、お母さんに着せてもらった浴衣。家で私達を待っている姿。


「とりあえず今日は一緒に花火行こうよ」

『無理やて』


「今日お母さんに純也と花火行くって言ってまったんやよ!? 家で純也の好きな唐揚げ作って待っとるんやよ!? 約束したやん! 今日だけは来てよ……」


 ついには今日を乗り切る事だけを考えていた。お母さんを悲しませたくない。もう、別れてもいい。でも今日だけは家に来て欲しい。


「ひどいやん! お母さん待っとるのに! わたし何て言ったらええの? お母さんに……家で純也の事待っとるんやでね! ひどいやん、うっ、うっ、うっ……」

 しゃがみ込み涙が溢れて来た。


 その後はもう、純也はひたすら謝るだけで、縋りつくわたしには取り付く島も無く、一方的に通話を終了された。


 わたしは人気の無い場所に移動しひたすら泣いた。

 

 ごめんね……お母さん……

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