ありがとう

平中なごん

一 隣人

 これは、仕事で知り合ったまだ若い男性が、少し前に経験したこととして話してくれたものなんですがね……。


 まあ、本名出すのはあれなんで、仮にA君とでもしときましょう。


 彼、転勤することが多くて、この春に都内に引っ越して来たんですがね。それほどこだわりもしてなかったんで、不動産屋に行って探してもらうと、それなりにいいマンションがすぐに見つかったそうです。


 まあ、人気の町ってわけでもないですし、その割に家賃もそこそこなんですが、それほどお金に困ってるということもなかったので、多少家賃は高くても、普通に住めればいいなくらいに考えていたのがよかったんでしょうね。


 とはいえ、けっこう綺麗で周りの環境もいい、なかなかの高層マンションですよ。


 A君の部屋はそこの5階の502号室だったんですが、いざ引っ越してみると、さらにちょっとうれしいことがあったんだそうです。


 というのは、ここのマンション、半々ぐらいの男女比で若い女性も入っているようなんですが、彼の部屋の右どなり、503号室にかなりの美人さんが住んでいたんです。


 栗毛色の長い髪をした、笑顔がとっても可愛らしい女性で、大学を出たてのOLさんって感じですかねえ。


 まあ、ただのおとなりさんというだけなんで、特に何かあるってわけじゃないんですがね。それでも、美人がとなりの部屋に住んでるっていうのは、男としてはなんとなくうれしいもんですよ。


 あんまし慣れ慣れしくして下心でもあるのかと思われてもなんですし、出がけや帰りがけに部屋の前で顔を合わせると、挨拶を交わすぐらいの付き合いなんですけどね。


「こんにちは〜」と挨拶すると、向こうも気さくに「あ、こんにちは」とにっこり笑って挨拶を返してくれて。その朗らかな笑顔がまたなんとも可愛らしく、やっぱり下心じゃないですが、もしかして、ここから恋に発展したりなんかして…なんて、あまり現実的じゃない仄かな期待を抱いたりなんかもしちゃったりしてね。


 ですが、おとなりさんは彼女ばかりじゃない……。


 A君の部屋は502号室ですから、その美人さんがいる503号室とは反対側、左どなりにも部屋があるわけです。


 しかも、その左どなりの501号室、これがまた右どなりの美人さんとはまあ好対照な、あまり印象のよくない女性が住んでいたんです。


 歳はやはり20代半ばくらいの、ショートボブといいますか、黒髪のおかっぱ頭の女の子なんですがね。どうにも暗いといいますか、無口で挨拶しても黙ったまま会釈するくらいで、しかもジロっとこちらを睨むような視線を送ってくるんです。


  それも、面と向かってだけじゃないんですよ? ふと気がつくと、自分の部屋のドアを少しだけ開いて、その細い隙間からこっちをジーっと睨んでるなんてこともあったりするんですよ。


 妙な気配を背後に感じて、ふと振り返ってそれを見た瞬間、思わず「うわっ…!」と悲鳴をあげてしまったことも一度や二度じゃなく、こう言っちゃなんだが、まあ、とにかく気色が悪い。


 とはいえ、さすがにとなりに住むなとは言えないし、今さら引越しするわけにもいかないですよね。


 ま、人生楽あれば苦あり。人間万事塞翁が馬。反対のおとなりさんはラッキーなことにも美人のいい人だったし、それじゃあ恵まれすぎてるからな。これでバランスがとれて、俺の運もトントンだ…と、A君は前向きに考えることにすると、そのマンションでの一人暮らしを楽しむことにしました。

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