トップアイドル深泉彩音の圧倒的な人生
九道弓
01 同級生の田中くん
深泉彩音というアイドルがいる。会いにいけるグループアイドルが殆どを占める時代に、ソロ活動をしている稀有な存在である。
16歳の夏に活動を開始し、今年17歳になる現役高校生。デビューから爆発的に人気を獲得。透き通った声、艶のある黒い髪、力強い眼、多彩な表現力、アイドル業界でナンバーワンと呼ばれる実力者である。
CDの販売数、DL数、ストリーミングサービスの再生回数の三つで年間一位を獲得した音楽業界の三冠王。写真集は異例の増刷を繰り返し、CMに出演すれば商品が棚から消える。
苗字は本名だが名前の方は芸名である。芸名かどうかは公表されていないが、何故知っているのかというと、僕が学校で同じクラスだからだ。
海を越えて欧米からアフリカにまで名声が轟くトップアイドルと、同じクラスになるという奇跡が僕を襲っている。地球人口70億分の29人の一人が自分なのだ。この反動で大人になってからとんでもない不運に見舞われるかもしれない。
学校での深泉彩音を簡単に表すと、ストイックで孤高だ。放課後が仕事で忙しいからと休み時間に勉強をし、お昼は品目の多いお弁当と水、いくつかのサプリメントで栄養を取り、授業は一切サボることなく、体育の授業も音楽の授業も真面目に取り組む。
背筋をピンと、姿勢良く黒板を見つめる姿は、真っすぐとという言葉がよく似合う。成績は常に10位以内を維持し、運動神経はもちろん良い。体育祭では、陸上部の全国大会に出場したエースと100m走で激しい接戦を演じ、半身の差で破れたものの、その時の映像がSNSでバズりまくった。
校歌斉唱なんかは謳うのを嫌がる人も多い中、彼女が真面目に歌うものだからみんなつられてちゃんと歌っている。こういうのは先導する人がいれば、みんな後に続いていくのだとわかる。かくいう僕も、深泉彩音と一緒に歌っていると思うと、一生の思い出になると思って頑張って声を出している。将来、深泉彩音と一緒に歌ったことがあると自慢するつもりだ。社会人になってからの持ちネタになると思う。
そんな学校生活をしているから、彼女は仲の良い友達と呼べる人はいない。クラスでも浮いていると言っていいのだが、誰からも嫌われていない。クラスのボス的な力のある人も、「あいつと対立したら自分が負ける」と肌で理解しているのだと思う。普段から人の陰口ばかり言っている人も、彼女のことだけは悪く言わない。
常に努力をしているのは、学校で見ていてるだけでもわかる。そしてテレビやスマホを見れば結果を出しているのもわかる。だからこそ悪く言う人はいないし、影ながら応援している人だらけだ。
そう、これは敬意だ。深泉彩音が僕に教えてくれたことは、人に敬意を払うということだ。
彼女は仕事が忙しいからよく学校を休む。朝礼で席が空いていると休みなんだなと分かる。
その日も仕事で休みだった。
僕は、友達が文化祭の実行委員になっていて、その手伝いで放課後まで学校に残っていた。文化祭に関するアンケートをまとめる簡単な作業だったけど、友達は部活をやっていたので早く終わらせるべく協力してあげていた。
手伝い自体は一時間ほどでさっさと終了し、友達は部活へと向かっていった。教室に一人残った僕は、誰もいない放課後の教室が珍しかったので少し残っていた。漫画やアニメでは、放課後に何かしらの事件が起きたりするが、実際は特に何事もなく時間だけが流れる。
運動部の掛け声、野球部がボールを打つ打球音、吹奏楽部の楽器の音。普段と違うシチュエーションに少し感傷的になっていたのか、青春の音だなと、柄にもない臭いことを考えていた。でもそう考えると、帰宅部として何もせずに家に帰ってる自分が時間を無駄にしているように感じる。
少し自分の選択が間違っていたのかもしれないと思う。
「たまにはちゃんと勉強でもしようか」
わずかに芽生えた後悔を振り払うべく、教科書を鞄に詰め込む。たまには復習でもしよう。早い人はこの時期から受験に向けて対策を始めている。
その時だ。教室の前の扉が開いた。私服姿の深泉が入ってきて、彼女の机まで歩いて行った。机から数学の教科書を取り出して鞄に入れていた。僕の存在に気が付いたらしく、こちらを一瞥すると。
「田中くん。数学、新しいところ入った?」
と聞いてきた。名前を呼ばれるのは初めてだったので、かなり驚いた。
「うん。中間のテスト範囲も大体教えてくれたよ」
「ほんとに?ちょっと教えてくれない?」
そういうと深泉は僕の前の席に座った。お互い教科書を開いてテスト範囲について教える。文化祭が明けて暫くすると中間テストだ。
「もう少し文化祭と間を空けてくれてもいいと思うんだけど」
「そうね。文化祭の最中にテストのことが頭をよぎるのは良くないわね」
深泉彩音と雑談をしている。あの国民的アイドルの深泉彩音だ。なんという奇跡なんだろう。空気が浄化されるような特別なオーラを感じる。
「ありがとう。仕事で何日か休むから、確認しておきたかったんだ」
「文化祭には参加するの?」
「もちろん。普段休みがちだから、そういうのは参加しておきたいわ」
うちのクラスはたこ焼き屋をする予定だ。深泉が売り場に出たら大変なことになるので、参加できるなら作る側にまわってもらう予定だが、それはそれで大変なことだ。深泉彩音が焼いたたこ焼き。売れる。
「真面目だね。今日もわざわざ教科書取りに来たんでしょ?」
「好きで仕事させてもらってるから、こういう所はちゃんとしておかないとね」
「それはそうだけど、俺ならもっと手を抜いちゃうなぁ」
お互い用事は終わったので、下駄箱まで歩きながら話す。陽も傾き始めていて、遠くの空が赤色を帯び始めていた。
「何事も、求められている以上の結果は出したいからね。こういう性格なのよ」
「ふーん。完璧主義者なんだな」
「そうね。相手の想像を上回ることをして驚かせたいのよ。変わった人間だと思うわ」
なるほど。確かに深泉を見ていると驚きの連続だ。この前渋谷まで出かけたら、どこを見ても深泉の出てる広告で溢れかえっていて圧倒された。もう日本の広告は全部深泉静海でいいんじゃないかと思った。
「今のところは、頑張った分だけ結果が出ているから。仕事も増えてライブ会場も大きくなって、賞をもらったりね。シンプルに知りたいのよ。この活動を突き詰めて行ったら、どこまでいけるのか」
そういう深泉の顔は、少し楽しそうな表情をしていた。圧倒的な実績に裏打ちされた、自信に満ち溢れた人間の顔だった。
自分には、一生かかっても届かないんだろうな。
「じゃあ、俺自転車だから」
「うん、ありがとう。またね」
そう言って深泉は帰っていった。校門の前に車が止まっていて、それに乗り込んで去っていった。
本当に、深泉彩音というアイドルはどこまでいくのだろうか。日本という枠には収まらないだろう。彼女にしか成しえない偉業を見せてくれるのか、行末が楽しみだと思った。
自転車で家に帰っていると、不思議と身体から力が溢れてくる感覚があった。あぁ、僕は深泉の圧倒的な才能に当てられたんだろうな。自分にも何かできるんじゃないかと、努力をすれば大きなことが成し遂げられるんじゃないかと、淡い期待が奥の方からドンドンと叩いている。
家に着くなり、僕はパソコンを立ち上げて小説を書き始めた。趣味でしょうもないパクリ小説を書いていた僕だが、今はどうしても書きたいことがある。
気がつくと日付が変わっていた。切りのいいところまで書き上げたあと、いくつかに分けて小説投稿サイトへ掲載した。核戦争の後の終末世界で、人々に希望を与えて回るとあるアイドルの話だ。
パソコンの電源を落として一息つく。溢れてくるパワーを出し切って、ドッと疲れが襲いかかってきた。でも、まだまだ書きたいことがある。我慢が出来ずにもう一度パソコンを立ち上げる。
今日は徹夜だ。明日は遅刻するかもしれない。でも、今はそんな事はどうでもよかった。
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