スノウ・リーパー

赤木フランカ(旧・赤木律夫)

Ⅰ 赤いマント

 大きな象の頭の形をした丘は、雪にすっぽり覆われている。セツは丘の裾の辺りに、せかせかと村の方へ急ぐ人影を見つけた。赤いマントを羽織り、フードを深く被った小さな背中は、一目見て子どもと解る。


 冷たく透き通った空の向こうで、凍てついた太陽が目に沁みるほど白い火を焚いている。その光は真っ直ぐ地面に降りてきて、積もった雪を石膏のように輝かせる。


 二匹の雪ノ尾ユキノオが、炎のように赤い舌を吐きながら、丘の方へ駆けていく。この白い狼のような精霊は、人の目には見えないし、その声も聴こえない。雪ノ尾たちが遠吠えを交わしながら近づいてくるというのに、マントの子どもは気付かないようだった。


 雪ノ尾たちの方は、子どもの命の臭い察知しているだろう。今のところは興味を示していないようだが、面白がって子供にじゃれ付いたら危ない。セツは白熊の毛皮のコートを掻き寄せ、雪ノ尾たちを呼び止める。


「ヒョウガ、ギンガ! あんまり遠くに行っちゃダメ!」


 雪ノ尾の内、金色の瞳のギンガは主人の声に気付いたようだ。頭を振ってこちらを見返す。それから真っ青な空を見上げ、耳まで裂けた口を開けてて叫ぶ。


「カシオペア、もう水仙の花が咲き出すぞ! お前のガラスの水車、きっと回せ!」


 見えない星にその声が届いたのか、空から青い光の波がさんさんと降り注ぐ。それを見た雪ノ尾たちは喜んで、また吠えながら走り出す。


「だから、戻ってきなさい!」


 さっきより強い口調で叱ると、雪にくっきりと落ちたセツの影がギンと光る。雪ノ尾たちはピンと耳を立てると、風に姿を変えて影の上に戻ってきた。


「アンドロメダ、あぜみの花がもう咲くぞ! お前のランプのアルコール、しゅうしゅと噴かせ!」


 落ち着かない様子で足踏みをしながら、青い瞳のヒョウガが星に向かって叫ぶ。セツはヒョウガの頭にポフンと手を置く。


「星より仕事に集中しなさい。カジガ婆が見てたら、杖でぶたれるよ?」


 セツの言葉を聴いて、ヒョウガはしょんぼりと耳を垂らし、しぶしぶセツに従った。


 カジガ婆はセツを始めとした雪の精霊の長で、頭から灰色の毛に覆われた狼のような耳を生やした魔女だ。今は西の山脈へ出かけているが、風に化ければ一度瞬きをする間に戻ってくる。それでサボっているのが見つかれば、鹿の角で出来た杖でぶたれるのだ。


 カジガ婆を恐れる雪ノ尾たちは、その名前を出せばどんなにはしゃいでいても言うことを聴いてくれた。だが、セツの本心ではそんな風に相棒たちを脅したくはなかった。精霊とは言え、動物を恐怖で従えるのは好きではない。かと言って、雪ノ尾たちを甘やかしていてはセツの方がぶたれる。痛い目に遭いたくなかったら、きちんと仕事をこなすしかなかった。


「さ、行くよ」


 セツはヒョウガの背に跨り、横腹を軽く蹴る。ヒョウガはそれに応えるように一つ吠えると、再び風に変化して丘を駆け上がる。その後ろにギンガが続き、ドッと雪を蹴散らしていく。舞い上がった雪が、ダイヤモンドのようにキラキラと輝いた。


 丘の上には、一本の大きな栗木くりのきが立っていて、その枝には金色の宿り木の塊がまとわりついている。セツは宿り木を指さして、ギンガに「取っといで」と伝える。セツがニッと歯を見せると、ギンガは弩に弾かれたように栗木に飛びつき、赤い実の付いた小枝に噛みついた。宿り木の枝は緑の皮と黄色い芯を食いちぎられ、狼に戻ったヒョウガの足元に落ちる。


「ありがとう、ギンガ」


 ヒョウガの背中を降りたセツは、その枝を拾いながら丘の下の村を見下ろす。透明な川が光り、駅からは汽車の白い煙が上がっている。丘の麓に視線を落とせば、細い雪道をさっきのマントの子どもが村の方へ歩いているのが見えた。


「あの子は昨日、炭を乗せたそりを押して隣町に行った。でも、一緒にいたもう一人がいない……」


 不意に風が吹き、子どものマントが翻る。マントの下で、子どもは紙の包みを大事そうに抱えていた。隣町の砂糖屋で売っている、ザラメの包みだ。


「ははーん……砂糖を買って、自分だけ先に帰ってきたんだな。お仕置きついでに、ちょっと脅かしてあげよう!」


 セツは手にした宿り木の枝を振りかぶって、子どもの方へ投げつける。枝は緩い放物線を描いて、子どもの目の前に落ちた。


 子どもは驚いたように立ち止まり、枝を拾う。「どこからこんなものが?」と言うように、きょろきょろと辺りを見まわす。子どもがセツのいる方を向いた時、フードの下に白く丸い頬をした女の子の顔が見えた。


「ふてぶてしい子だと思ってたけど、案外可愛い顔してんじゃん」


 セツは笑って、宿り木の枝とザラメの包みを抱えて去っていく女の子を見送る。そう、早く村に帰りなさい。スノウ・リーパーが来る前に……セツは心の中で女の子の背中に語りかける。


「さて、仕事にかかりますか」


 セツは女の子とは反対の方に目をやり、雪ノ尾たちに指示を出す。


「探して! 生き物がいたら私に伝えてね」


 ヒョウガとギンガはこくりと頷き、雪に鼻を突っ込んで嗅ぎまわる。栗木の周りを一周すると、ギンガが「リスがいたよ!」と吠えた。


 セツはギンガの傍に寄って、足元を掘ってみる。雪の中から、赤茶色の毛に覆われたキタリスが出てきた。息はしているようだが、ぐったりとして動かない。


「木から落ちた雪に埋まったのか、長いこと餌を食べられてないのか……可哀想に……」


 セツは手袋を外して、リスの身体をそっと撫でる。まだわずかに温もりが感じ、セツの胸がキュンと苦しくなる。


「食べて良い?」


 ギンガが首を傾げる。セツは静かに「良いよ、お食べ」と頷いた。


「いただっきまーす!」


 ギンガはリスの首筋に噛みつき、その精気を食らい始めた。その横顔からは無邪気さは消え失せ、手を伸ばせばこっちにも襲いかかってきそうな凄みがあった。見慣れているセツでも、少し怖いと思ってしまう。


「僕もッ!」


 横から鼻を突っ込もうとしたヒョウガを、セツは押し返す。


「ダメ、これはギンガの獲物。食べたければ、自分で見つけなさい」

「じゃあ、アイツは?」


 そう言って、ヒョウガは雪道の方を見る。赤いマントの女の子は、まだ見える距離にいた。


「どうだろうね? まだ食べごろじゃないと思うけど」


 ヒョウガは「ちぇっ」と舌打ちし、また雪の下の生き物を捜し始めた。


 ヒョウガには「食べごろではない」とは言ったものの、一人でいる子どもは雪ノ尾たちにとって恰好の獲物だった。だが、セツはあの女の子が雪ノ尾たちに食われる様子を見たくはなかった。死にたくないと悲鳴を上げる女の子の姿を想像してしまい、セツの心がざわめく。


「ごちそうさま!」


 顔を上げたギンガの声が、セツを現実に引き戻す。ギンガの足元のリスは、もう冷たくなっていた。その額の辺りから、白い光が糸のようなものに繋がって浮かんでいる。これがこのリスの命だ。


 セツはリスの命を掴むと、手にしたした鎌で額から繋がる命の「緒」を切った。こうやって、雪の精霊は冬の間に命を刈り取っていく。腰に下げた袋に命を集め、大地に蒔けば次の春が来るのだ。


 だが、今年はまだ春を呼べるほどの命が集まっていない。秋の実りが多すぎたため、人も動物もよく太り、雪ノ尾では食い尽くせないほどの精気を溜めているのだ。カジガ婆が出かけたのも、西の精霊たちから命を分けてもらうためだった。


――つづく――

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