第九膳回答『再会のメニュー』


 腹が鳴るのなんて、あの日以来だ。テンが突然いなくなった、あの日。

 あれ以来、呆けたように時が過ぎるのを待ち、ありあわせのものを機械的に口にして、暗くなれば眠りに逃げ込むようにベッドへ入って目を閉じる日々を送っていた。

 だが、冷蔵庫の中は常に新鮮な食材で一杯にしてあった。もしかしたら……という淡い願いがそうさせていたのだと思う。

 今日の再会も、食材の買い出しの帰り道だった。



「ロールキャベツ、だね?」


 運んでくるときは意気揚々としていたくせに、いざ料理をテーブルに出すと、テンは神妙な面持ち。そして、小さな声で言った。


「キクちゃんししょーにおしえてもらったの……」


 テンは最初に出会った頃みたいに、何だか遠慮がちにモジモジしていている。数日ぶりに会ったからだろうか。それとも初めて自力で作ったものを出すのに緊張しているのか。


「あの本に載ってた。セッキーが、初めてキクさんに作ってあげたお料理だって」


 はにかんだようなテンの言葉に、忘れていた記憶が一気に蘇る。



 刀が、好きだった。

 すらりと曲線を描くフォルム、冷たく光る刃の潔さに惹かれた。そして、鍛錬を繰り返して強い刃を作るという作業工程を知り、さらに憧れた。

 刀が神聖な存在でもあるということも大事な要素だった。災厄や邪悪から身を護ってくれるものだと。

 生まれつき霊力が強く、さまざまに悩まされてきた。幽霊や悪霊、妖なんかは視えても無視していたが、向こうから干渉してくることもあった。刀を持てば、ましてや作る人になれたなら、そういう力を断ち切ることができるのでは、と思った。


 高校卒業後、念願叶って刀鍛冶に弟子入りした。だが、修行の中で生まれて初めて手がけた一振りは、皮肉なことに、霊力を帯びた強力な妖刀となってしまったのだ。

 その刀は即座に潰され、わたしは破門された。

 そこで出会ったのがキクさんだった。霊力を持つ者同士のネットワークでわたしの存在を聞きつけ、拾ってくれた。そしてわたしは、魔を退けるのではなく祓うための修行を始めた。


 その修行生活で最初に作ったのが『ロールキャベツ』だ。

 世話になるお礼にせめて炊事くらいは担当しようと、生まれて初めて買った写真入りの料理本。そこに載っていたもので、キクさんの家にあった食材で唯一作れそうだったメニュー。

 美味しいと褒められ、生まれて初めて料理を振る舞う喜びを知った。のちに料理人を目指すきっかけとなった一品。




「……キクさん、そんなこと憶えててくれたんだ」


 わたしはすっかり忘れていたのに。

 悪霊とはいえ元・人間だった者を斬り伏せるのに疲れ、キクさんの元を飛び出した。厳しい料理人の世界で精一杯強がってのし上がるのに必死で、自分は孤独なのだと思い込んでいた。

 でもキクさんは、そんなわたしを見放すことなく、遠くからずっと見守ってくれていたのだ。



「テン、キクちゃんししょーのおうちで練習したよ。おいしいんだよ?」


 わたしがなかなか手をつけないので、テンが心配そうに声をかけてきた。そうだね。きっと美味しいね。


 手を合わせて、静かに頭を下げる。


「いただきます」



 カラフルな野菜に彩られたオレンジ色のスープの中に、美しく包まれたキャベツ。テンはやっぱり筋がいい。仕事が丁寧だし、他人に料理を振る舞うことの本質をわかっている。

 そっとナイフを入れると、抵抗なく刃が通る。崩れることなく、一口が切り分けられた。断面を見て、思わず笑ってしまう。

 わたしは肉ダネを豚ミンチと玉ねぎで作るのだが、これはなんと薄切りの豚バラをそのまま使っていた。きっと肉をこねる手間を省いて教えたのだ。大雑把なキクさんらしい。

 「美味けりゃいいんだよ。腹に入っちまえばおんなじだろ☆」と言う声が聞こえてきそうだ。

 でも、巻き方は同じだった。肉ダネを芯にして巻くのではなく、タネをキャベツの上に平たく伸ばして重ね巻きにするのだ。こうすると食べる時にバラバラにならない。

 巻き終わりは爪楊枝でなく、折ったスパゲティで留めるのも同じだ。煮えればそのまま食べられる。

 何度も作る中で改良を加えてできた、オリジナルの最終形態。


 一口食べれば……これは、ケチャップか。トマトピューレではなく、コンソメにケチャップの味付け。テンのために子供向けにアレンジした……わけじゃなく、きっとキクさんの家にはトマトピューレなんて無いだろうな。うん、間違いない。でも、これはこれで……


「すっごく美味しいよ、テン!」


 テンは大人びた仕草で肩をすくめて見せた。そして「お買い物もひとりでできたの」と得意げに言う。

 すごいじゃないか、もうすっかりお兄ちゃんだなと煽てると、「いひひ」と笑った。



「これ、まだお鍋にあるかな?」

「あるよ! たくさん作った」

「じゃあ、テンも一緒に食べよう」

「うん!」


 ふたりでキッチンへ戻って見て、感心した。散らかすことなく、綺麗に使っている。何から何まで一人で作ったというのに。


 鍋からロールキャベツをふたつ皿に上げた。冷凍庫から油揚げを一枚取り出すと、テンが「はっ」と息を呑む。

 忍び笑いを噛み殺しながら、お湯をかけて解凍と油抜きを一気に済ませて、ぎゅっと絞ってから5センチほどの幅に切る。そっと裏返して、ロールキャベツに帯のように通した。普通ならベーコンで巻いたりするんだけれど……


「ほら、テンスペシャルだ」

「やったー! テンすぺしゃるぅ!」


 油揚げの帯を締めた二つのロールキャベツの上からスープをたっぷりかけて、一緒にテーブルへ戻った。

 二人で両手を合わせて、「いただきます」。嬉しくて懐かしくて、涙が滲む。たった数日離れていただけなのに。「いただきます」も間違えずに言えるようになって。


 コロコロに切った玉ねぎとにんじん、ブロッコリーの芯にミニトマト入りのスープ。野菜の旨味とケチャップの甘みが溶け合っている。あ、ナスも入ってた。味の染みた柔らかなロールキャベツも野菜たっぷりなスープもほっこりと優しい味わいで、『幸せ』を料理にしたみたいだ。


「美味しいねえ」

「おいしいねえ」


 ゆっくり、ゆっくりと味わう。普段より小さめに切り分けた一口を、時間をかけて咀嚼して。スプーンを口に運ぶたびに、微笑みあって。


 この食事が終わったら。

 話さなきゃならない。

 今後の話を、しなきゃいけない。

 ずっと神妙な顔をしていたのは、テンもそれをわかっていたから。


 テンが初めて作ってくれたロールキャベツを、わたしたちは静かに噛み締めた。



 🍻



「志乃ちゃん、ワルモノに食べられちゃったって、キクさんが言ってた」


 シンクの前に並び、皿をすすぎながら切り出したのは、テンの方だった。洗い物を済ませてから話そうと思っていたのだが、テンはずっと話したかったのだろう。


「まだ、可能性の話だよ」

「カノーせい?」

「そうかもしれないけど、まだわからないってこと」

「じゃあ、食べられちゃってないかも?」

「……まだ、わからないんだ」


 無駄な期待はさせたくなかった。でも、絶望も与えたくない。

 わたしはまだ、覚悟を持てずにいるのか。でも、嘘を言っているわけではない。本当のところは、まだ誰にもわからないのだから。


「いろんな世界を飛び回って悪さをしてるワルモノを、退治しようとしてるんだ。今、コマさんがその準備をしてる。決戦は、おそらく……明日」


 そう。だからこそ、キクさんは今日、テンをうちに寄越してくれたのだろう。


「……ワルモノ、強いの?」


 わたしは水を止めてタオルで手を拭き、テンの手もタオルで包んだ。水気を拭き取りながら、不安げなテンの小さな手をぎゅっと握りしめてやる。


「大丈夫。セッキーはすごく強い。それに、キクさんはもっともっと強い」


 台の上で背伸びをして、テンが腕を差し伸べてきた。抱え上げて、思い切り抱きしめる。


「セッキー、食べられない?」

「心配すんな。テンのことは、絶対に護る」

「テンのことじゃないよ。セッキーがいなくなったら、やだの」


 ぐっと胸が詰まる。熱いものが溢れ出そうになるが、なんとか押しとどめる。


「大丈夫。セッキーを信じろ」

「やくそく?」

「そう、約束だよ」

「キクちゃんししょー、『友達は約束を破らない』って言ってた。『セッキー』は友達同士のあだ名だもんね」


 テンが初めてわたしを『セッキー』と呼んだ時を思い出す。あれは、破れ堂で一緒にクリームシチューを食べた後だった。

 キクさんが戯れにわたしをセッキーと呼び、友達同士のあだ名だと言ったのだ。あの時のテンの目の輝き、あれは「友達同士」に反応してのことだったのか。



「ただの友達じゃないぞ。テンとセッキーは、相棒。うんと特別な友達、ってことだよ」

「あいぼー?」

「そう、相棒」

「テンとセッキーは、あいぼー!」


 テンが首に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。

 よかった。これで涙を見られずに済む。

 わたしは莫迦みたいに、テンを抱えてぐるぐると回転しながらキッチンを出て、リビングや寝室、とにかく部屋中を走り回った。テンがきゃあきゃあと声を上げて笑う。


 テンとの出会いは偶然だった。キクさんからの依頼で調査中、行き倒れ寸前のテンを拾った。あまりに心許ない様子の狐少年に、何か食べさせてやりたかっただけだった。

 わかれは突然だった。「神様の神隠し」被害者である志乃ちゃんの情報を聞き出そうとするうちにテンに情が移ってしまい、キクさんに釘を刺されて離された。

 だが今日、わたしたちは再会した。この再会は必然であり、迫る決別への儀式として不可避だった。このひと時は、わたしたちにとって大切な思い出となった。


 疲れるまでふざけあって、共にベッドへ倒れ込み、テンとわたしは朝までぐっすりと眠った。


 🍻

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