第八膳回答『孤独を癒すラーメン』

 オレンジ色の空を見上げながら、本日二度目となる駅までの道をぶらぶらと行く。あの駅周辺はラーメン店の激戦区で20軒前後がひしめいているから、目についたところに入ればいい。



 一度目に部屋を出たのは、ほぼ日の出と同時だった。嫌味なほどまっさらな朝日がやけに目を刺してきて、駅までの道をしかめ面で歩いた。


「テンが目を覚ます前に発ちな。泣いて縋られたら振り切れるのかい?」


 キクさんにそう言われて、返す言葉が無かった。

 きっとわたしはぐずぐずと別れを引き伸ばしていただろう。そのくせ、テンを一生養う覚悟も持てなかった。

  戸籍も持たない、そもそも本当の人間ですらない子供を学校に通わせるわけにもいかない。かといって、部屋に閉じ込めておくこともできない。完璧ではないにせよまずまず優秀な日本の行政が、優しさと正義感を併せ持った近隣住民が、義務教育を受けられない哀れな子供を放っておいてくれるはずがないのだ。たとえ当人が放っておいて欲しいと思ったとしても。


 このまま長くはいられないと、心の底ではわかっていた。だからこそ、現実を見ないふり考えないふりではしゃいでいた。そうやってテンに構うほど、可愛がるほどに別れが辛くなるのを知りながら。終わりが来ると知っているから、ほんのひと時の幸せを。共に笑い合う楽しさを。団欒の喜びを───




 仕事は簡単だ。教えられた住所に行き、部屋に取り憑いた幽霊と対話する。わたしには浄霊なんて立派なことはできないから、説得して自ら成仏してもらうのだ。その霊自身に成仏できる力が無ければ、寺に連れて行き引き渡す。でも、こいつは……


『俺は成仏なんかしない。俺をこんな目に合わせた奴らに祟って全員取り殺すまで、絶対に』


「そうは言っても君、ここから動けないじゃないか。もう随分長いこと、ここに居るんだろ? いつ来るかもわからない彼らを待ち続けるの? そもそも君が恨んでる人たち、まだ生きているかどうか……」

『うるせえ! てめえには関係ねーだろうが!』


「……こっちも仕事なんでね」


 男の顔が憎しみに歪んでいる。負のオーラがみるみる増大していく。やれやれ。


「何があったか知らないけど、恨めしく思う君の気持ちはわかるよ。僕だってこんな能力を持って生まれてきたばっかりに両親には恐れられ、預けられた施設では疎まれ、学校では遠巻きにされ、散々な目に遭ってきた。理不尽を嫌というほど味わってきたんだから」


『お前の話なんて───』


 わたしは男の口を霊力で封じた。これくらいのことなら、まぁできる。


「でもさ、ある人に出会って救われたんだ。僕の師匠で、キクさんって人。見かけはちょっとアレだけど、我儘言って師匠の元を飛び出した後も何かと気にかけてくれる、すごくいい人だ。二人めは、僕の親友であり弟であり……まぁ、ツレってやつ。これがまた僕なんかにはもったいないくらいいい子で」


 ……テンのことまで話すつもりなんて無かったのに、勝手に口をついて出てきてしまった。仕事に集中せねば。



「でも君は、もう誰にも出会うことはない。救いはやって来ない。だって死んでるもの。さっさと成仏しちゃって、とっとと生まれ変わる準備をした方が賢明じゃない? こんなところに留まってたって時間の無駄だし、悪さを重ねるほど来世に望みを持てなくなるんだってさ」


 口をきけないせいか、男の憎悪がぶくぶくと膨らんで私に向けられている。知ったことか。



「君に成仏する気が無いなら、仕方ないけど無理矢理消すしかない。さっきも言ったけど、仕事なんだ」


 ポケットから、シンプルな木製の柄を取り出して水平に構え、左手を添える。左手でスッと空を薙ぐと、すらりと長い刃が現れ冷たい光芒を放った。


「僕には浄化の力なんて無い。だからこの刀で斬られた魂は……地獄に堕ちればまだマシ、って感じかな」


 男の憎悪の念が凍りつく。憎しみから恐怖へと、表情の歪みが移っていく。


「僕ばっかり喋って悪いんだけどさ、今日の僕は……」


 ずいと進み出て、男の間合いに入り込んだ。ゆっくりと腕を振り、刀の鋒を男の鼻先へ。


「今日の僕は、とびっきり機嫌が悪いんだ。どうするか、今すぐに決めてくれないかな」


 目の前の男はぶるぶると震えている。気の毒だが仕方ない。

 いつもなら時間をかけて根気良く説得するんだけれど、わたしだって聖人君子じゃない。こんな日もある。

 でもまぁ、せめて最後くらい喋らせてやるくらいの慈悲は持っているつもりだ。

 わたしは霊力で縛り付けていた男の唇を解放した。


『お、お…脅すのかっ?!』

「うん」

『うん、っておま…』

「機嫌が悪いって、言ったよね?」



 男は結局、成仏することに同意した。ただ、長く留まりすぎたせいか自力では上がれない。ずっと正座していて足が痺れてしまい、歩けなくなるようなもんだ。

 幸い馴染みの寺が近かったので、男を部屋から引き剥がして霊力で縛り付け、寺へ連行して引き渡した。


『礼なんて言わねえぞ』

「ご勝手に」

『……お前、性格悪いな』

「君こそ、坊さんの陰に隠れたら急に強気だね」

『ぐっ……』


「さぁさぁ、ご両人ともその辺で。早速始めますよ。関川くん、ご苦労様。見届けていくかい?」

「いえ、用事あるんで今日は帰ります。あとはよろしくお願いします」


 この後、コマさんと会う約束になっている。住職に頭を下げると、背を向けて歩き出した。男に言葉をかけることもなく。だってわたしは、やるべき仕事を終えただけ。通りすがりの霊能力者ってだけだ。


 ただ、心の中でそっと呟いた。


「来世では幸せになれよ」




 🍻

 


 外へ食べに出たのは正解だった。

 仕事のあとコマさんとの話し合いを終え、帰ってみれば部屋は既に無人で、いかにも寒々しかった。あのままがらんとした部屋にいては、テンのことを思い返してはネガティブな独り言を繰り返すばかり。しまいには、長続きしたためしのない過去の女性達との別れまで思い出し、『やっぱり独りがお似合いなんだ』なんて……


 いや、もうやめだ。

 そんなことより、さっきコマさんから聞いた話を整理しなければ ────




「……右のポケットに入っているのは?」


 最初に会った時と同じ店、同じ席で、コマさんが開口一番言ったのはそれだった。


「刀の柄、です」

「なるほど。それが関川さんの道具。キクさんは強大な霊力を抑えるためにグローブを、あなたはその反対で、霊力を放出するために刀を用いる」

「……まぁ、そんな感じです」

「ああ、すまない。力を使った痕跡を僅かに感じたので気になっただけだ。本題に入ろう」


 ……最初にコマさんに会った時、テンは元気に挨拶したっけ。「はじめまして。テンです」って。可愛かったな……


「最初に会った時、私の記憶が混線して人違いをしたのを憶えているか?」

「ええ、もちろん」

「あれから何度か、記憶の混線が起きた。いくつかの世界線の境界が脆くなっているようなのだ」

「世界線の、境界……それが脆くなると、どうなるんです?」

「私のような高度の霊力者はともかく、今のところ一般人にはなんともないだろう。だが、この先どうなるかはわからない。それを探るために、私はとの交信を試みた」


「そんなことまでできるんですか?!」

 思わず大声を出してしまったわたしに、コマさんはちょっと得意げに言った。


「やってみたらできた。ま、苦労しなかったとは言わんがな」



 いくつかの世界線に生きるコマさん達と情報交換した結果、彼女らは一つの推測に至った。

 『あちこちの世界線を渡り歩き、神や霊力の高い者を喰い荒らしている者がいる』



「……そんな、商店街の食べ歩きじゃないんだから」


 わたしの言葉に、コマさんはフッと笑った。神秘的なオーラが凄まじい女性だが、笑うとなかなかに可愛らしい。


「上手いことを言う。私達は、境界が脆くなっているのはそのせいじゃないかと考えたのだ」

「ってことは、他の世界線でもが起きているんですね?」

「そうだ。居なくなった神の痕跡が全く辿れないのも、世界線を越えてしまったからだと考えれば辻褄が合う。しかもそいつは、徐々に力の強い神を喰らうようになっているようなんだ」

「神を喰って強くなっている? ……もしこのまま、そいつがどんどん強くなったら」

「いずれ神が食い尽くされ、この国の加護は消える」

「それじゃあ、この国は……」



 🍻


 コマさんの話を思い返しているうちに、駅まで来ていた。

 少し早い夕食どき。店という店から美味そうな香りが漂ってきて、空腹を思い出させる。胃袋が引き絞られるようだ。

 仕事帰りや食材の買い出しの人々で賑わう駅前を、ふらふらと嗅覚が導くままに通り抜ける。


 とある店の前で足が止まった。店外まで漂うニンニクの芳香が、キュウキュウいう胃袋を掴んで離さない。唾液があとからあとから湧き出してくる。


『元祖・ニューたんたんメン本舗』

 この街へ越してきて以来、気にはなっていた。カオスな店名も気になるところだが、それだけじゃない。夥しい数の飲食店が立ち並ぶこの界隈で唯一、いつ来ても行列の絶えない店なのだ。

 並ぶのが面倒で毎回諦めていたのだが、今は幸いなことに並んでいるのは3名…いや、2名になった。これはもう、入るしかない。そういう運命なのだ。



 カウンター席のみの店内には、ニンニクの匂いが充満している。その奥に香るのは……鶏ガラ出汁だな。

 メニューには混ぜそばや味噌ラーメンなんかもあるけれど、ここは無難に看板メニューでいこう。一番人気、5段階レベルの真ん中「中辛」、トッピングは無し。まずは基本の味を食してみたい。


 運ばれてきたのは、ギョッとするような代物だ。よく見る坦々麺とは全く異なり、そのビジュアルにちょっと引く。

 地獄の夕焼けもかくやという真っ赤なスープに、血まみれみたいに見える溶き卵。咳き込みそうなほどガツンとくるニンニクの香りと唐辛子。


 お腹がギュルルと鳴る音が『いただきます』の代わりだ。

 まずはスープを一口。辛い! と感じたのは一瞬で、塩味の鶏ガラ出汁は奥深く、大量の刻みニンニクの衝撃の後に豚ひき肉のしっかりした旨味とふんわりかき玉の優しい甘味が広がる。このスープ、見た目ほどには辛くない。

 麺を啜ってみれば、モチモチつるつるの中太麺に程よくスープと具材が絡みつき、コク深い味わい。クセになる旨さ。


 3口ほど食べれば、もう汗が吹き出してくる。ニンニクとカプサイシンのパワーが凄まじい。きっとこの刺激を、このパンチ力を、身体が欲していたのだ。

 食べ進むうちに物足りなくなり、テーブルにあるラー油と一味を振りかける。

 傷口に塩を塗り込むように。

 喪失感に疼く心に、更なる刺激を。

 心の痛みを別の痛みで上書きするかの如く。

 いくらニンニク臭くなったって、帰ればどうせ独り。誰にも迷惑はかけない。

 半ばヤケクソでビールとライスを追加注文。丼の底に沈んでいたひき肉やニンニクをライスにごっそり載せてモリモリ掻き込み、ビールで流し込む。

 残ったスープも全て飲み干し、ごちそうさまでした。


 暴力的とも言えるラーメン体験だった。

 いわゆるB級グルメ的な旨さに妙な中毒性があり、いつも行列ができている理由がわかった気がする。


 真っ暗な寒々しい部屋に帰る勇気を得て、わたしは店を出た。大量摂取したニンニクと唐辛子のおかげか、身体にはスタミナとパワーが漲っているようだ。

 オレンジ色だった夕焼けは毒々しく燃え盛るような朱に変わっていた。山吹色に染められた雲が、血飛沫を浴びたみたいに朱に塗れている。

 まるで、さっき食べたラーメンを再現したみたいな空。


「テン、晩めし何食ったのかな……」


 思わずこぼれた独り言に、鼻を啜る。

 泣きたいわけじゃない。汗が冷えて洟が出そうになっただけだ。

 泣いてる場合じゃない。いずれ来る戦いに備えねばならないのだから。


 🍻

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