第七膳回答『春の訪れと天ぷら』


「午後になるとさすがに暖かくなるなぁ」

「なぁ〜」


 テンと手を繋ぎ、通い慣れた破れ堂からスーパーまでの散歩道をのんびりと歩く。

 午前中こそちょっぴり肌寒かったけれど、日課みたいになった破れ堂の補修と掃除を終えて外に出てみれば、もう春の陽気だ。

 こんなふうに風景を楽しみながら、くつろいだ気分で歩くのは久しぶりだな……


「お、テン。見てみろ。この樹、桜がたくさん咲いてるぞ」

「咲いてるねぇ〜」


 両腕を引っ張り上げて肩に担ぐと、テンは桜の枝に手を伸ばした。


「触ったらダメだよ。見るだけ」

「天ぷら、しないの?」


 わたしは思わず吹き出してしまう。よっぽど楽しみなんだな。


「桜の天ぷらか。テンにはちょっと苦いかもな。それに、植えてある花は勝手に取ったらダメだろ?」

「あっ、そうだった! 志乃ちゃんに怒られちゃう」


 胸の奥がちょっとだけ、キュッとなった。

 当たり前だ。最近はその名前を出すことは減ったが、テンは志乃ちゃんを忘れたわけじゃない。だから今日まで、お堂の補修と掃除を続けているんだ。

 そもそも「志乃ちゃんが帰ってきた時のためにお家を綺麗にしとこう」と言い出したのは、わたし自身だ。ただあの頃は、テンの気を紛らわすため、そしてまさか自分がこんな心境になるなんて思わずに言ったことだった……



「ねぇセッキー、あぶらげの天ぷら、ある?」


 再び歩き出しながら、テンが繋いだ手をぶらぶら揺らす。食材でない桜の花にはあまり興味がないらしい。


「油揚げの天ぷらかぁ。聞いたことないなぁ…」

「あのね、テン、今朝食べたをあぶらげに入れたやつ、美味しかった。また食べたいの」


 ああ、アレか。昨夜とっておいたポテサラを、半分に切って裏返した油揚げに詰めて両面をパリッと焼き、ウスターソースをつけて食べた、アレ。

 確かに美味しかったけど、それよりも自分が作った料理をアレンジされたことが意外で面白かったのかもしれないな。



「テンは本当に油揚げが好きだな」

「うん! お供えでもらったあぶらげ、初めて食べたの、すごく美味しくてね。そしたら、お賽銭が貯まったから、志乃ちゃんが買ってくれたんだよ」


 ああ、初めて一緒にスーパーに行った時に言ってたやつだな。お堂を訪れた誰かが供えた油揚げを気に入ったから、貯まった賽銭を持ってスーパーに行って買った、と。


「志乃ちゃんと一緒に買い物したんだよな」

「うん。志乃ちゃんは赤い櫛になって、テンのポッケに入ったの」


 おっと、新情報。どうやら今は、志乃ちゃんのことを話したい気分らしい。さっきの桜の話がきっかけかもしれないな……って、いやちょっと待て。今、大事なことを……


「赤い櫛?」

「うん。つるつるでピカピカの、赤いくし。金色のお花が描いてあるの」

 

 ……漆塗りの櫛、だろうか。それが彼女の憑代?

 声に深刻さが滲まぬよう、何気なさを装う。なるべくたくさん聞き出さねば。


「そうか。外に出るときは、志乃ちゃんはいつもテンのポッケに入ったの?」

「お外に行ったのは、スーパーのときだけ。あとはずっとお堂おうちにいた」

「その櫛は、今どこにある?」

「なくなっちゃった。前にも言ったでしょ?」


 きっとテンの中では、自然と「志乃ちゃん=櫛」になっているのだろう。だから、志乃ちゃんが消えたならば当然、櫛が無くなったことと同義なのだ。

 見た目こそ4〜5歳の可愛らしい男の子だけれど、テンは元々野生の狐。テン独自の文脈に寄り添わねば、解釈は難しい。


「うんうん、聞いたね。で、志乃ちゃんは櫛になる前の話、生きてた頃の話はしてた?」




 🍻



 ダイニングテーブルの真ん中には、串ホルダー付き多機能卓上フライヤー。スーパーの2階にある家電コーナーで見つけて衝動買いしてしまった。ガスコンロと天ぷら鍋より安全だろう。

 揚げ油は、菜種油と太白胡麻油のハーフ&ハーフで。

 テンの頭には豆絞りのねじり鉢巻。いつものエプロンを巻いてテンの台に登り、気分はすっかり天ぷら屋の大将だ。


「テン大将、次はエビをお願いします」

「はい、エビいっちょう!」


 掛け声も勇ましく、串に刺したエビを2本、教えた通りに衣に潜らせ、そっとフライヤーに挿し入れた。途端に、心地よい油の音が立つ。


「次はレンコンとアスパラ」

「はい、レンコンと……アスパラ!」


 これも串に刺してあるので同様に。

 買い物へ行く途中、「櫛」の話をしていて、天ぷらを「串」に刺して揚げることを思いついたのだった。テンは絶対やりたがるだろうと踏んだのだが、案の定、テンはノリノリで天ぷら屋の大将に成り切っている。と言っても、フライヤーに入った串を、隣に座るわたしの網皿に置いてくれるだけなんだけど。

 ふざけて教えた掛け声も気に入ったらしく、なんとも威勢がいい。


「ヘイ、エビおまち!」

「おお、美味そうだ。うんうん、上手に揚がってる」


 網の上で油を切ったら、さっくりと軽く揚がった串海老天を大根おろし入りの天つゆへ。同時に口へ運ぶ。


「ん〜。大将、最高」

「えへへ。美味しいね」


 ホフホフと顔が綻ぶ。料理を振る舞う喜びを、一緒に食べる幸せを、テンは既に知っているのだ。



「ヘイ、らっしゃい!」


 玄関のドアから顔を覗かせたキクさんに気づいたのは、テンの方が先だった。


「おー、テン。いなせな板前さんじゃないか」

「キクさん、早かったっすね」



 🍻



「うちらはもう結構食べたんで、好きなの頼んでください」

「そうかい? じゃあ、キスを頼もうか」

「はい、キスいっちょう!」

「テン、それはセッキーがやるよ。ちょっと難しいし」


 キクさんからのオーダー、キスは串から外れやすい。なのでわたしがやろうとしたのだが ───


「テン、できるよ! タイショーだもん」

「テンができるのは知ってる。大将だもんな。でも、セッキーも揚げるのやりたいなぁ」


 難しい顔をして考え始めたテンの唇が、だんだん尖り始める。お? ぐずるか?


「……しょうがないなぁ。あげるの、楽しいもんね。セッキーもやっていいよ」


 渋々、という様子でキスの串を渡してくれた。大将、ありがとうございます。


「じゃあ、テンはあぶらげのヤツ揚げるか?」

「うん! なぁに?」

「食べてのお楽しみ、テン・スペシャルだよ」


 手渡したのは、四角く開いた油揚げに豚バラと大葉、チーズを乗せて巻き、一口大に切ったのを串に刺したもの。


「テンすぺしゃる、いっちょう!」


 自分の分なのに高らかに宣言し、テンは串をフライヤーに差し入れた。


「ああ、揚げたての天ぷらは格別だねぇ。あ、次はイカとちくわを磯辺揚げで頼むよ」

「ヘイ!……いそべあげ、いっちょう!」


 青のり入りの衣を纏わせたイカとちくわをフライヤーへ。テンのヤツ、すっかり板についているな。



 キクさんは揚げたてのキス天を柚子塩で堪能している。うん、天つゆもいいけど柚子塩も美味いよな。

 おあつらえむきに見つけた、柚子・桜・藻・トリュフのフレーバー塩セットを買ってみたのだ。あのスーパーは品揃えが良くて助かる。

 カラッと揚がったテンスペシャルは、下味がついているのでそのままでもよし、ケチャップやソースでもイケる。テンは何で食べるのかと見ていたら、なんと柚子ポン酢をチョイスしたので驚いた。子供のわりに渋いな、テン。


 キクさんが「大将にお任せで」とオーダーしたせいで、テンは片っ端からネタを揚げている。「ヘイ、おまち!」が言いたくて仕方ないのだ。

 だからこちらも、もりもり食べる。ただ、うずら卵の串はテンが独り占めして、私たちには全然くれない。うずら串をもぐもぐしながら、どんどん他の串を揚げる。その度に高らかに、「ヘイ、おまち!」と叫ぶ。


 結構食べたけれど、キクさんは大丈夫だろうか。いくら元気とは言っても前期高齢者だ。


「そろそろ店じまいにしようか? テン」

「まだちょっとあるよ?」

「そうだよ、みんな食っちまおう。こんなに美味いんだからさ」


 ……参りました。わたしはもう、明日の胃もたれが心配です……


 今日は、テンより先にわたしがグロッキー状態みたいだ。




 🍻



「で、どうすんのさ?」


 テンを寝かしつけて戻ると、キクさんは4本目の缶ビールを開けたところだった。わたしは麦焼酎を濃いめのほうじ茶で割り、キクさんの向かいに座った。


「どう……と、言うのは?」

「とぼけんじゃないよ。テンのことだ」


 何か言われそうな気はしていた。テンとの大将ごっこに付き合いながら、キクさんが時々物言いたげにしていたのは気づいていたのだ。


「こんなスツールやら…」

 と、キクさんは『テンの台』に視線を投げ、さらに洗い終えたフライヤーを顎で指す。


「…変てこな器械やら買い揃えちゃってさ。ずっと親子ごっこやってくつもりかい?」

「……それは………あのフライヤーは、蒸す・焼く・煮る・揚げるの一台4役だから買っただけで」

「そういうことじゃない」


 わかってる。こんなこと、長くは続かない。でも、今は、まだ。もう少しだけ。



「目ェ逸らすんじゃないよ、フタヒロ」


 修行時代の呼び方に、条件反射で思わず背筋が伸びる。


「確かに、テンのおかげであんたはだいぶ持ち直したよ。でも、志乃のことがどうなるにせよ、こんな状態は不自然だ。いつまでもあの子をお前の手元に置いとけるわけじゃないんだよ」

「……はい」


「志乃が戻らなけりゃ、テンは自然に還すのが道理だ。辛いだろうが、覚悟はしておくんだね」


 人の言葉が、こんなに深く胸を抉るなんて知らなかった。目を逸らしていた現実を突きつけられるのが、ここまでキツいとは。

 目の前の湯呑みを掴み、ほうじ茶焼酎を流し込む。グッと締まった喉が、ようやく少しだけ開いた気がした。


「……わかってます」

「そうか。それじゃ話が早い。あんた、明日は事故物件の除霊部屋掃除の仕事が入ってんだろ」

「はい。え?」


 何故、キクさんがそれを?!


「今まで仕事回してやってたの、誰だと思ってんだ。タチの悪くなさそうな物件やつは、あたしが根回ししてお前に振ってたんだよ。ここだって、そのおかげで格安で住んでるだろ」


 そう、料理人を辞めてからわたしは、所謂「事故物件」に格安で住んでは自ら除霊し、契約更新のタイミングで別の事故物件へと渡り歩いていた。その中で「除霊できる」と噂が立ち、たまにそういった依頼を引き受けて生活していたのだ。おかげで料理人時代の貯金を減らすどころか、少しばかり余裕も出てきたところだった。


「狭い業界だからね。あんたが何やってるかぐらい、大体は知ってたさ。で、明日だけど」


 キクさんは驚きの冷めやらぬわたしに向かって、缶ビールを持ったまま指さした。


「その仕事が終わったら、コマんとこ行っといで。何か『世界線がどうたら』ってネタ掴んだらしいんだけど、あたしにはよくわからんかった。スマホは苦手だよ。話せば耳がキンキンするし、メールとやらは老眼で見えん」


 ……コマさんが、ついに情報を掴んだ。志乃ちゃんの行方が、神隠しの謎が、わかったのか。ということは……終わりが近づいている。テンとの別れが……



「テンはあたしが預かる。お前はキリキリ仕事しな」


 飲み干した缶ビールを片手でグシャッと潰したキクさんは、『師匠』の顔に戻っていた。


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