第六膳回答『初めてのハンバーグ』

 きりりと凛々しい表情そのままに、テンは手を洗っている。緊張しているのか、一心不乱に洗っている。

 タオルを手渡してやると厳かな態度でそれを受け取り、決意に満ち満ちた表情で手を拭いた。


「よし、じゃあテンの台に乗って」




 昨日届いたばかりのスツールには、座面に可愛らしいキツネのイラスト。

 それを見たテンはびっくりした顔でわたしを振り仰ぎ、「これ、テンの?」と聞いてきたものだ。その様子があまりにもいじらしく可愛らしかったので、思わず「そうだよ。テンのだよ」と答えてしまった。


 別に、最近お手伝いをしたがるテンのために購入したわけじゃない。座面を開けば物入れにもなる優れものだから、買ってみただけだ。

 お手伝いの時にダイニングの椅子に乗るのは、ちょっと高さが合わなくて危ないなと思ってはいたけど。

 部屋のインテリアに全くそぐわない、ファンシーなイラスト入りだけど。

 長時間ネット検索して、やっと見つけたけど。


 だから、テンがそのスツールに飛び乗ってわたしに抱っこをせがんだ時だって、断じて「買った甲斐があった」などと思っていない。

 ぎゅっとしがみつかれて「セッキー、ありがと」と言われた時だって、こっそり涙を拭ったりしていない。

 「苦しい」と抗議されるほど抱きしめ返したのは、嬉しかったからというよりはテンを落としそうで危なかったからだ。それだけだ。




 「テンの台」に乗ったテンが、真剣な表情でボウルの中のタネを捏ね始めた。

  牛豚7:3の合い挽き肉200gに、塩少々と粗挽きコショウ、ガーリックパウダー、ナツメグ、タイム、酒を一振り。これを粘り気が出るまでしっかり練るのだ。


 その間にわたしは、玉ねぎを刻む。さすがにまだ、テンに包丁は持たせられない。新たまねぎの美味しい季節だから、半分ほどをちょっと粗めのみじんに。


 涙が出るのは、玉ねぎのせいだ。別に、コマさんからのメールを思い出してしまったからじゃない。



 『志乃ちゃんは、おそらく悪霊に喰われた』


 コマさんはテンを霊視した後、独自にテンの破れ堂もに行ってくれたそうだ。以前わたしも探ったとおり、やはりそこに志乃ちゃんの痕跡は無かった。無さすぎた。

 自分の意志で出て行ったのなら、それなりの思念が残るはず。何も無いということは、突然連れ去られたか喰われたか ────


 コマさんの神社ネットワークによると、最近強大な悪霊があちこちに出没しているらしい。そして神が消え、空になった祠や御堂だけが残る。

 その話はキクさんからの調査依頼とも重なっている。おそらく志乃もその前にいた神様も、その悪霊に……


 でもわたしは、まだ望みを捨ててはいない。まだ何もわかっていないのだ。救える可能性もゼロではない。そうだろう?


 テンを悲しませたくなかった。この身に変えても守ろうと、決意したばかりだ。

 志乃が戻らないと知れば、テンは悲しむ。だが、志乃が戻らなければ……このまま一緒に暮らしていけるんじゃないか………いつかは悲しみも薄れ、ずっと一緒に………




「セッキー、このぐらい? 写真と同じになった?」


 浅ましい迷いを中断させたのは、テンの声だった。

 何ということだ。わたしはテン可愛さに、都合のいい方へ流されそうになっている。志乃を忘れさせ、テンを引き止めたがっている。

 自分でも気づいていなかった孤独を、テンが埋めてくれていた。満たされて初めて、自分が温もりを、笑いを、愛情を求めていたのだと知った。

 何ということだ。ずっと独りで生きてきて、それで満足していた筈なのに。こんな、キツネのスツールまで買い与えて。どんなリクエストにも応えられるよう、冷蔵庫をいっぱいにして………



「セッキー?」


 己の身勝手さに愕然としていたわたしは、慌てて笑顔を貼り付けた。料理に集中。大丈夫、いつものセッキーだ。


「いいね、写真と一緒だ。上出来!」

「じょうできー!」

「じゃあ、卵を入れるよ」

「はい!」


 小皿に割り入れておいた卵をボウルへ移す。黄身が潰れてしまい、テンは途端にしょんぼりする。


「大丈夫だよ、混ぜちゃえば一緒だ。殻も入ってないし、上手にできてる。ハイ、よく混ぜて」


 あまり納得していない様子だったが、指示どおりまた、小さな手で混ぜ合わせる。


「うぅ、ねちょねちょー」

「ちゃんと後でまとまるからね。次に、玉ねぎを入れます」

「入れまーす」


 まな板から新玉ねぎをザッと落とす。このレシピでは、玉ねぎは生のまま入れるのだ。ツナギは卵だけ。これでふっくらジューシーに焼きあがる。


 テンが捏ねている上から、玉ねぎ用の塩コショウを追加して完成。ボウルにラップをして冷蔵庫へ入れ、しばし寝かせる。



「よーし、テン。手を洗うよ」

「はい!」


 背後から覆いかぶさるように、テンの手を挟んで洗ってやる。指の間まで脂でネトネトだから、しっかりと泡を立てて。テンが楽しそうに声を上げ、キャッキャと笑う。そうだよ、テン。そうやって笑っててくれ……



 例の料理本からテンが選んだサイドメニューは、ポテトサラダだった。なかなか良いチョイスじゃないか。焦げ目がしっかり付いた薄切りポテトのソテーも捨て難くはあるけれど、ポテサラなら半分残った新玉ねぎも使える。テンは天才のテンだな。


 じゃがいもを茹でる間に、薄切りにしたきゅうりを塩もみ。フライパンでベーコンをじっくり炒めたら火を止め、厚めにスライスした新玉ねぎを投入。

 大急ぎでにんじんをイチョウに切って、じゃがいもの鍋へ。一緒に茹でてしまう。

 茹で上がったら、熱々のうちにフライパンへ。にんじん共々潰してしまう。


 マッシャー? ないない。フォークで充分。フライパンの中身を潰しまくる。


「すごいな、テン。ほら、写真と一緒だ。ちょっと粒が残ってても美味しいんだよ」

「うん!」


 あらかた潰れたら、マヨネーズをきっちり計って入れる。本の通りに、忠実に。

 塩揉みしたきゅうりをさっと洗い、小さな手でぎゅっと絞る。が、力が足りなくてまだ水っぽい。


「貸してみな」


 テンからきゅうりの塊を受け取ってさらに絞ると、淡い緑色の水滴がポタポタとシンクに落ちた。


「わあ、セッキーすごい!」


 テンからわたしへ、同じ手順を繰り返し、きゅうりも全てフライパンへ。塩と粗びき黒こしょう、ナツメグで味を整えて……


「牛乳でのばすよ。ちょっとずつ入れるから、テンはそのままフォークで混ぜてて」

「はい!」


 様子を見ながら、少しずつ牛乳を加えていく。作り慣れたメニューだから、目分量でいける。


「わあ、写真よりびちょびちょだよ?」

「大丈夫。食べる頃には同じになるから」



 ポテトサラダを器に盛ってフライパンを洗い……さあ、いよいよハンバーグを焼こう。


 冷蔵庫からボウルを取り出し、タネを軽く混ぜ直す。肉が水分を吸収し、さっきよりまとまりやすくなっている。4つに分ければ、テンの手にちょうどいい大きさだ。

 見本用にひとつを丸くまとめ、両手へ交互に叩きつけて空気を抜く。フライパンに並べ、真ん中に深く窪みをつける。


「よし、テン。やってみよう」

「はい!」


 口の端っこからちょろりと舌を出し、ペコちゃんみたいになりながらも真剣な眼差し。幼くもいっぱしに、挑戦する男の顔だ。

 柔らかなタネをそっと掬い取り、丸く成形。空気を抜くのが上手くできないみたいだ。


「もっと思いっきり行け!」

「はい!」


 何度かペチャペチャやっていたが、次第に叩きつけ方が上手くなってきた。まとまったタネが、小さな手のひらで良い音を立てる。おっかなびっくりフライパンへ乗せ、窪みをつける。多少いびつではあるが、立派なハンバーグだ。


「ふー。できた」

「よし、上出来。でも、あとふたつ作るぞ」


 テンはわたしをふり仰ぐと、大きく「はぁー」と息を吐いた。そして再びボウルに向き直り、慎重にタネを掬う。


 いちいち可愛いなオイ! なんでわざわざわたしに向けてため息を吐くのか。目をまん丸にしてこちらを見つめ、まるで緊張を吐き出すみたいに。ああ、ちくしょう。可愛い。動画でも撮っておくんだった……



 🍻



 湯気に曇るガラス蓋の下で、パンパンに膨らんだハンバーグが美味そうな音を立てている。匂いを嗅ごうと顔を近づけるのが危ないので、背後からテンの首に腕を回して防いでいるのだが……心なしか、捲った袖が濡れている気がする。涎かな……テンの涎なんだろうな……


「よし、そろそろだな。チーズ載せる人!」

「ハイ! 片っぽだけ載せる!」


 即座に答えが返ってきた。最近はもう、当初の遠慮もなくなって、本当に家族みたいだ……


 二つにだけスライスチーズを乗せて火を止め、蓋をしてしばし蒸らす。その間に、ソースの準備。お好みソースにウスターソース、ケチャップ、赤ワイン少々を混ぜ合わせておく。

 ハンバーグを二つずつ皿に盛り付けたら、フライパンでソースを温める。フライパンに残った油と混ぜながら少し焦がして、出来上がり!



 🍻


 丸々と膨れたハンバーグにナイフを入れると、透明な肉汁がびゅうと噴き出した。湯気を立てる肉の断面を、玉ねぎの粒を撫でながらキラキラと流れ落ちてゆく。


「ふわぁ〜!」


 肉汁に負けないキラキラした瞳を丸くして、テンが歓声を上げた。その拍子に、また涎がたらーり。 


「はい、いただきます」

「いたなきます!」


 割ってやった一口分にフォークを突き刺し、口いっぱいに頬張る。


「ほむうぅーーーーー!」


 ぎゅっと目を瞑って、ゴクゴクと喉を鳴らしている。あふれる肉汁を飲み込んでいるのだ。そして、もぐもぐ。肉感荒々しいミンチに、シャキシャキとした歯応えの残る甘い玉ねぎ。ほのかに感じるスパイスに、芳しいソースの香り。

 もぐもぐしながら、テンは初めてのナイフを見よう見まねで操り、次の一口分を切り分けている。付け合わせのクレソンやミニトマトには目もくれず、二口め。


「ンむぅ〜〜〜〜〜ん!」


 テンの至福の呻き声をBGMに、わたしも一口。うん、美味い!!

 繊細に焼き上げた口溶けなめらかなハンバーグもいいけれど、わたしはこのワイルドなハンバーグが断然好みだ。じゃぶじゃぶ迸る肉汁、ガツンとくる肉の迫力と旨味。瑞々しい玉ねぎの食感も最高。

 甘辛いソースもよく出来てる。濃い目の味付けで、ハンバーグ自体の美味さを引き立ててくれる。


 ……なんて堪能している間に、テンは早くも一個食べ終えてチーズハンバーグに取り掛かっている。

 そんなテンを横目に、ポテトサラダをぱくり。よしよし、こっちも完璧だ。熱々の具材と混ぜたおかげで新玉ねぎにもいい感じに火が通り、爽やかな甘味を存分に出してくれる。全体に染み込んだベーコンの脂、瑞々しいきゅうり、寄り添うような甘味のにんじん。そして野菜と牛乳の水気を吸収したぽってりとなめらかなポテトを、マヨネーズがまとめ上げている。


「すごく美味しいよ。テン、ありがとう」


 心を込めて礼を言うと、テンは嬉しそうに、そして誇らしげに笑った。ポテトサラダからきゅうりをつまみ出し、見せてくる。


「これ、一緒にぎゅーってしたね」


 …っキューン!



 ああ、駄目だ。これはダメだ。止められない。ぎゅーってなったのはこっちの心臓だよ……


「セッキー、なんで泣いちゃうの?」

「テンの作ったお料理が美味しすぎるからだよ。泣いちゃうくらい、美味しいんだ」

「そっかぁ。テンも泣いちゃうくらい美味しい!」


 そっと涙を拭うと、袖口はテンの涎でまだ湿っていた。


🍻

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