第五膳回答『おでかけとちらし寿司』


「キクさんが是非にと言うから来てみれば、お前か!」


 わたしの姿を認めるなり、その女性は驚きの声をあげた。


「そういうことなら、桃子も連絡してくれればいいのに。ああ、大方サプライズみたいなことなんだろう。桃子らしいな」


 呆然と立ち竦むわたしに、うっすらと微笑みかける。長めの前髪を細い指でサラリと流し、色素の薄い瞳が着席を促してくれるのだが……


「どうした、突っ立ったままで。ほぼ一年ぶりの再会じゃないか。さっさとかけたらどうだ、セキカワどの」


「えっと……コマ、さん?」


 今度は彼女が呆然とする番だった。


「……そうだが……どうした? まるで初対面みたいに」


「いえ、今日が初対面です」


 一瞬固まった後、彼女は目の前のアイスティーを一口飲んだ。グラスを置き、気まずげに軽く咳払いする。


「……失礼した。まさか忘れられているとは思わなくて。桃子の紹介で、会っただろう。ほら、去年の6月、申畑サルハタ木島キジマと3人で」

「すみません。その、桃子さんという方も存じ上げないのですが。キクさんからは、何と?」


 コマさんは僅かに目を細め、わたしを見つめた。魂の向こう側まで見透かされそうな視線に、ざわりとする。一瞬ののち、彼女は小さく「……そうか」と呟いた。



「重ね重ねすまない。私の勘違いだった。あ、店員さんすみません」


 彼女の言葉に振り返ると、席まで案内してくれた店員が困り顔で佇んでいた。おずおずとテーブルに水を置かれたのを機に、わたしも席に着く。神妙な顔をしたテンも、隣に座った。

 おすすめメニューから、テンのために白ぶどうジュースを。わたしはコマさんに倣いアイスティーを注文した。



 店員が去ったところで、改めて挨拶と自己紹介。ちまっと座ったテンもぴょこんと頭を下げ、「はじめまして。テンです」と元気に挨拶できた。えらいぞ。


「狛田といいます。先ほどはすみませんでした」


 コマさんは静かに、深く頭を下げた。そんな場合じゃないのだけれど、その所作が威厳に満ちて美しく、思わず見惚れてしまう。


「キクさんからは、この店に来て彼女の弟子に会えと言われただけで、何も聞いていないのです。先ほどは、してしまって、人違いを」


「……なるほど」

 とは言ってみたものの、さっぱりわからない。

 コマさんの説明によれば、わたしと桃子さんという女性が一年ほど前に結婚しているがあるらしいのだけれど……聞いたところでやっぱりわからん。


「色々視えてしまうので、ごく稀にこういうことがあるのです。それにあなた、魂の姿もあちらのセキカワどのとそっくりだし」



 そう言われても……適当に受け流すことにしよう。


「不思議なこともあるものですね」


 彼女はクスッと笑った。

「本当に、似ている。ものごとをありのままに受け入れる、そういうところ」


 再び小さく咳払いして、彼女は真面目な表情に戻った。


「不思議なこと、科学で証明できないことなんて、たくさんあります。私たちそれぞれの特別な霊力もそう。それから、こちらの……小さなケモノさんも」


 テンがビクッとして背筋を伸ばした。そして慌てて頭に手をやって、耳が出ていないか確認している。


「テン、大丈夫だよ」


 わたしが小声で言うと、テンはホッとした様子でまた、ちんまりとなった。テンが言うには、「耳は自分の目で見えないし尻尾は人間に無いから、気を抜くとつい出ちゃう」らしい。



 飲み物が揃うのを待って、彼女はやおら霊視を始めた。

 周囲の気圧がスッと下がり、店内のBGMや他の客のざわめきが遠のく。わたしたちのテーブルの空間だけ、清浄な空気の壁で隔てられている気がする。大きな窓の外で揺れる新緑が、白い陽を浴びてきらきら光っていた。




🍻



「さあ、テン。今日は頑張ったご褒美だ。ちらし寿司に、テンの好きなものたくさん入れちゃおう。何がいい?」

「あぶらげ!」

「だよな」


 今朝も一緒に、昨日の餃子で余った材料を詰めて焼いた油揚げと、油揚げとキャベツの味噌汁を食べたのだが、まぁ想定内だ。



「あっ! テン、このスーパー来たことある! 志乃ちゃんと一緒に」


 おっと、これは新情報。志乃ちゃんについて知るチャンスだ。いつ来たの? どうやって? そもそも志乃ちゃんは何者?


「あのタヌキの看板、みたもん。そんでね、テン、おなか空いたらあぶらげ買ってくれたの。お賽銭のおかね持って、『ください』ってしたんだよ」


 テン、興奮しすぎて何言ってるかわからないよ……


「志乃ちゃんはポッケに入って、教えてくれたの。そんでね、志乃ちゃんはおひなさまのちらし寿司がだいすきなんだよ。だから、テンも食べてみたかったの」


 テン、相変わらず意味がわからないけど、自然に手を繋いでくるの可愛すぎるな……小さな手でわたしの薬指と小指をきゅっと握って、拙い言葉で一生懸命しゃべっている。

 胸の奥が熱くなって、なんだかちょっと泣けてくる。やばいぞこれは、一体どういう感情なんだろう。ただ一つ確かのは、この身に変えてもテンを守ってやりたいと思い始めていること。


 べ、別にコマさんの霊視で「テンちゃんは関川さんを心底信頼していて、大好きみたいですね」なんて言われたせいじゃないんだからね!



「あぶらげは、こっちだよ」


 テンはわたしの手を引いて客のまばらなスーパーの中をぐいぐい進んでゆく。来たことがあると言うのは本当みたいだ。

 5枚入りを3袋カゴに入れると、テンは目を丸くし、わたしを見上げた。


「たくさん、いいの?」

「全部いっぺんに食べるわけじゃないよ。冷凍して置いておけるからね」

「そっかぁ。れいとーかぁ」


 あまりにも嬉しそうなので、つい抱き上げてしまった。片腕で抱くのはさすがに重たい。けれど、テンがとっても幸せそうに笑うから、もう少し頑張って抱えておこう。


 テンに懐かれる以上に、わたしの方が情が湧いてしまっているみたいだ。どうやら自分で思うより、わたしは親バカ気質なのかもしれない……



 🍻



「よし。テン、あおげ!」

「うん!」


 物入れから引っ張り出してきた団扇で、テンはパタパタと酢飯を扇ぎ始めた。

 寿司桶なんて気の利いたものは無いので、フライパンで代用。酢と砂糖を少なめ、塩をちょっぴり多めに。酢飯を素早く切り混ぜる。

 あんまり風が当たっていないけれど、椅子に登り団扇を両手で持って懸命に仰ぐテンが可愛らしいので許す。


 テンからは他のリクエストが無かったので、手巻き寿司用の海鮮盛り合わせ的なものを買ってみた。その他にも、諸々。


「扇ぐのやめ!」

「やめー!」

「酢飯、完成!」

「かんせい!」


 昨夜の餃子作りが楽しかったらしく、テンは率先してお手伝いしたがった。エプロン姿がなかなか様になっている。


「テン、これ覚えてるか?」


 ガラスのタッパーの中を覗き込み、テンはハッと息を呑んだ。


「お茶漬けのやつだ! 甘くてしょっぱくて美味しいやつ!」

「そう。よく覚えてたなぁ」

「テン、これ好きー」


 椎茸の甘辛煮を、薄く削ぎ切りに。油抜きした油揚げと、ラーメン具材セットのメンマも細く切って、小さなボウルに投入。


「これをよーく混ぜてくれる? ゆっくりでいいからね」

「うん! できる!」


 箸が苦手なテンのために、フォークを手渡す。テンはただならぬ集中力を発揮して、具材をゆっくり丁寧に混ぜ始めた。やっぱり舌先がちょろっとはみ出ている。


 その間にわたしは、小さめのフライパンで胡麻を炒り、ほんのり甘い薄焼き卵を作成。水溶き片栗粉を少量入れると破れにくい。フライパンにお湯を沸かす間に、レンコンを花形に細工して……

 お湯に塩と絹さやを放り込む。色よく茹で上がったら引き上げ、お湯に酢を加えて薄切りにしたレンコンをさっと煮て、甘酢だしに漬けておく。


「テン、ご苦労。上出来だぞ」

「ジョーでき!」

「次は、酢飯を半分、このお皿によそってみよう。平らに、まーるく入れるんだよ」

「はいっ!」


 食器棚の奥から引っ張り出した藍色青海波の八角皿に、テンが慎重に酢飯をよそう。昨夜の餃子といい、こういう作業は得意だろうから任せてしまおう。わたしは野菜と魚の準備だ。野菜を洗い、大葉を刻み、ラーメン具材セットのチャーシューをほぐし、海苔を炙る。刺身類も一口大に切り分ける。


「セッキー、できた!」

「よし、では海苔を手でちぎってかけてくれ。こんなふうに」


 皿の上で海苔をビリビリに破くと、テンは待ちきれないみたいに手を伸ばした。

 うんうん。子供はこういうの好きだよな。そうだ、その調子。ちぎれちぎれ!


 皿の酢飯が真っ黒に覆われたら、刻んだ大葉を散らす。その上に、刺身を彩りよく並べていく。イカにマグロ、鯛、蒸し海老、タコ、ホタテ、サーモン、厚焼き卵。イクラは多めに買っておいた。スーパーで一瞬見惚れたのを、わたしは見逃さなかったのだ。


 薄くスライスしたきゅうりで器を作り、イクラを少し載せた。


「ほら、テン。イクラだよ。あーん」

「あ゛〜 ん」


 目をまん丸にしてモグモグした後、顔がとろけた。


「ふぅ〜ん、おいし〜い! きれいでピカピカで、プチってして美味しいねえ」


 同じものをいくつか作って盛り付け、カイワレを散らしたら、海鮮ちらしの出来上がり。藍色の皿に、色とりどりの刺身が映える。海の宝石箱や〜!


 あと半分の酢飯には、テンが混ぜてくれた材料とチャーシュー、炒りごまをさっと混ぜ込む。余ったメンマは、後で酒のツマミにしよう。

 粉引きの花形皿によそい、ふわふわの錦糸卵で覆う。桜でんぶ、絹さや、紅しょうが、そしてこちらにもイクラきゅうりで彩りよく。最後に花レンコンを飾って出来上がり。温かな白の上に、華やかな春の色彩。

 おそらく、志乃ちゃんが好きだという「お雛様のちらし寿司」はこっちのタイプだろう。

 でも、どうせなら両方食べさせてやりたかった。海鮮も美味いもんな。お祝いの料理だから、皿もそれらしいのを使ってみた。


「きれいねぇ。お花畑みたいだねぇ」


 テンは並んだ皿をうっとりと見つめ、何度も唾を飲み込んでいる。

 お腹がグーと鳴る音が『いただきます』の代わり………だけれども、ここでメールの着信音。きっとコマさんだ。『詳細は後でメールする』と言っていたから。


 「テンには見せるな」というタイトルを見て、わたしはスマホを閉じた。


 内容を確認するのは、楽しく食事を終えてからの方が良さそうだ。


 🍻


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