回答【苦い思い出の話】ハーフ&ハーフ


🍻


「今も言った通り、僕は今のキミが好きだ。キミにどんな過去があろうとも、それは変わらない。だから僕にとっては、過去の話なんてどうでもいいんだ」


 彼女は僕の目を見つめたままだ。でも、彼女の意識が、気持ちが、すっと後退したのがわかった。僕は確信した。やっぱり、そうか……


「でも、君が話したいのならいつだって聞くよ。それが今であっても、10年後であっても」


 彼女の目が不意に潤む。短く息を飲み、顔をそらして目を閉じた。


「ずるいのね。そうやって、私に決めさせるなんて」

「君は、話したいんだろう? でも、話すのが怖い。違うかい?」


 彼女は揺れていたブランコを止め、空を眺めた。


「もうすぐ、日が暮れるわ」

「……そうだね。綺麗な夕焼けだったけど、それももう終わる」


「そう。終わるの。今日の日暮れまでで、わたし………」


 ─── あなたが聞いてくれたなら、わたしはあなたを殺す。聞かずにいてくれたなら、わたしは何も言わずに去ろうと思った。でもあなたは、わたしに選ばせてくれた。いつもみたいに、キミの好きな方でって。 ───



「わたしね、昔、人を刺し殺したの。そして……同時に、殺された」



🍻


 生ぬるい風が吹いた。

 3つあるブランコのうち空っぽの一つが、キィィ、キィィ……と揺れる。


「わたしはかつて、包丁だった。精魂込めて鍛練され、美味しい料理を作るために生み出された包丁だったの」


 ここは口を挟むべきではない。僕はじっと言葉の続きを待った。


「でもわたしは、食材の一つも切らないうちに、人を殺すのに使われたのよ。辛かった。運命を呪ったわ。わたしは、こんなことのために生まれたんじゃない!」


 脳内で鬼束ちひろの「月光」が流れ始めた。懐かしいな。でも僕は、そんなこと顔には出さない。神妙な顔で頷いた。


「包丁だったわたしは、何度も何度もこの身体を刺し貫いた。血まみれの体で祈ったわ。こんなの嫌。神様でも悪魔でも、なんでもいい。やり直させて! って。そしたら……殺されたはずの女性に、魂が乗り移っていた。身体には傷ひとつなく」

 ブランコから、彼女が立ち上がった。キィキィと音を立てて揺れるブランコ。最後の力を解き放つようなオレンジ色の光が、錆色の鎖を照らす。


「与えられたのは、3年。その猶予の3年が、今日で終わる。復讐を遂げるか、このまま消えるのか」

 彼女が僕の目の前に立ちはだかった。燃え立つような夕日を背負い、禍々しいオーラが立ち昇る。


「探して探して、やっと見つけた。でも、あなたは自分が殺したはずの女性と再会したのに、気づきもしなかった。殺した女の顔なんて、覚えてすらいない。それなのに……わたしはあなたを愛してしまった」


 彼女の放つ瘴気が、僕にまとわりつく。ゆっくり、じわじわと僕の体を締め上げる。

「……でも、だからこそ、わたしはあなたを殺す。そしてわたしも……」



「えっと、違うよ?」


「え?」と彼女が聞き返すより早く、僕は刀を抜いていた。僕を締め上げていた瘴気が、はらりと舞い落ちて消えた。


「何?! どうして!!」

 焦りながらも、彼女は再び瘴気を放った。だが、乱れている。さっきの純粋で明確な殺意は弱まり、朧げに揺らいでいる。そんなんじゃ、アリンコ一匹だって殺せるもんか。


「僕は人を刺したことなんてない。キミを、いや、キミを使ってその女性を刺したのは、僕が祓おうとして追っていた男だ」

 そう言いながら、刀を軽く振る。片腕の一振りで、彼女の放つ瘴気を根元から断ち切った。


「Heaven's Kitchenオーナー関川は、表の顔。本当の僕は、。人呼んで、地獄の料理屋ヘルズ・キッチン 関川。言っとくけどこのあだ名、僕がつけたんじゃないからね?」


 言いながら、呆然と立ち尽くす彼女に向かってすいと刀を伸ばした。その途端、刀身が煙のようにすぅっと消え、柄だけになった。何の装飾もない、シンプルな木製の柄。これなら職質されても安心安全。便利なお祓いグッズだ。


「ね? 僕は刃物で人を傷つけたりしない。だって、刃物を愛しているからね」


「何なの?! どういうことなのよぉ!!」

 柄を懐へしまうと、取り乱す彼女を再びブランコに座らせる。そして僕は、彼女の目の前に跪き、彼女を見上げた。


「おそらく、包丁だったキミは、生まれ変わったあと僕の気配を辿ったんだろう」

「ええ……そうよ。当時の私は目が見えなかった。だって、包丁だもの」

「あの男と僕じゃ、霊気の強さが段違いだから、無理もない。それで僕が犯人だと勘違いしたんだ。それに、あの男は早々に地獄に落としたから、仮に彼の気配を辿ろうとしても無理だったろうね」


「そんな……」呆然と呟いて、彼女はハッと息を飲んだ。


「わたし、消えてない。復讐も果たせず日も暮れたのに、わたし消えていないわ! 今日の日没がリミットだったはずよ!」

「キミがまとっていた闇の力は、いま僕が断ち切った。だからもう、心配ない」


 呆然としていた彼女だったが、事態を飲み込むとやがて小さく震え始めた。


「ああ、わたし……わたしったら、なんてことを。ごめんなさい、関川くん。本当に……」

 素早く立ち上がろうとした彼女の腕を取り、また座らせる。彼女の小さな手の上から鎖を掴む。逃げられないように。


「出会ってから今まで、何も言い出さなかったのは何故?」

「……それは……」


 僕は彼女の言葉の続きを待った。


「あなたの作る料理が、美味しかったから……包丁や食材への大きな愛情を、確かに感じたから……判断が、つかなくて」

「そうか。キミは、確かめたかったんだね。でも、それには自分のことを話さなきゃならない。それで今日まで来てしまった」


 彼女は瞳いっぱいに涙を湛え、僕を見上げた。

「そう。ええ、そうよ……あなたは、知っていたの? ……私の正体を知っていて、そばに置いていたの?」

「まさか。いや、キミには何かあるとは感じてたけどね。ただ、キミを一目見たとき『刃物の化身のような女性だ』と思った。凛と研ぎ澄まされていて妥協を許さない。揺るぎなくまっすぐに美しい。僕の理想の女性だ、この出会いは運命なんだと、そう思っていた」


「関川くん……」

「真面目な分、小さなことで悩みすぎることもあるけどね。そういうところも含めて、僕はキミを愛してる。さっきも言ったろ?」


 今や空は群青に染まり、星が瞬き始めていた。彼女の潤んだ瞳に、それが映って揺れている。




「さて、じゃあ今度はこっちが聞く番だ。過去を知ったところで僕はキミを手放さない。けれど、キミの魂を包丁へと戻すこともできる。キミはどっちとして、僕の側に居たい?」


 わたしの答えは決まっていた。そりゃ、包丁として彼に奮ってもらいたい気持ちもある。でも、やっぱり………そんなこと、許されるのかしら。勘違いとはいえ、彼を殺そうとしたわたしに、そんな資格が?


「……やっぱり、わたしに決めさせるのね」


 今のままで、僕のそばに居ろ。そう言って欲しいのに……


「う〜ん。じゃあ、答えを決めやすいように、ヒントを出すよ。もしキミが、このままで居てくれるなら………」


 急に彼の顔が近づいた。ふわりと煙草のかすかな香りが過ぎったかと思うと、彼が耳元で甘く囁いた。

「…ギリで命名を避けられた、もうひとつのあだ名を教えてあげる」


 わたしは思わず吹き出してしまう。なにそれ、そんなことで決めろというの? しかもそれ、ヒントって言える?

 彼は笑って続ける。「おまけに、僕の過去のくら〜い修行生活のアレコレも披露しようかなぁ。本当は刀鍛冶になりたかったのに、霊力が強すぎて妖刀を生み出してクビになった話とか……」


 何よそれ。気になる。目茶苦茶気になるじゃないの、もう!


「さ、どうする?」


 その笑顔、答えはもうわかってるくせに!

 わたしはブランコの上で地団駄を踏みながら叫んだ。

「このままで! このまま、ずっとあなたと一緒に居たい!」


 彼は声をあげて笑い、わたしを高く抱き上げた。わたしは彼の肩に手をつき、見つめ合い笑い合いながら、ぐるぐる回る。脳内に、彼の店にいつも流れているBONNIE PINK の「Heaven's Kitchen」が流れる。


『わたしはただ思ったとおりに生きたいだけ

わたしの人生には、愛してくれる人、抱きしめてくれる人が必要なの

だからここに来たのよ、Heaven's Kitchenに

わたしの救い主はどこ? わたしが言いたいのは、もう一度幸せになりたいってこと』



 やがて私たちは、固く抱きしめあった。


「それで、もうひとつのあだ名って?」


 彼はわたしの肩に顔を埋め、小さく呻いた。そして一言、「笑うなよ?」って。


「……闇の調理衣ダークネス・エプロン

「どっちも変な名前!」


  無理。笑わないなんて、無理。

 刃物を愛する彼と元包丁のわたしは、瞬く星空の下で長い間抱き合って笑った。




おしまい。



🍻 

 関川さまが、刃物がお好きだとおっしゃるので、つい出来心で……

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