七十六話 契約の悪魔
「何だ、この声。陽子?」
キィーンと頭に響き渡る声に俺は堪らず膝をついた。
八咫烏を壊滅させて誘拐事件に一先ずの区切りが付いて、東京に戻ろうとしていた矢先の話だ。陽子の声で脳味噌に直接響くような怨嗟の叫びが届いてきたのは。
エインヘリヤルのテレパシーにも似た現象だが違う。姉やクリスも頭を押さえて苦しそうにしている。
無差別かつ広範囲にスピーカーで叫んでいるような暴力染みた思念。アイドルマインドにはこんな能力もあったのか。
おそらく日本中に響き渡っているな。陽子のいるだろう東京から俺達のいる九州の熊本県にまで声が届いてるんだから。
不思議と海外には伝わっていないのが確信できる。距離の問題というより事件の性質上、そうなるのだと直感が囁いてくる。
神の啓示か? 今、何が起こっているんだ。
「泣き声が」
「拓巳?」
「行かないと」
寝込んでいた拓巳が目を覚ますと歯を食いしばって無理矢理に身体を起こそうとし始めた。慌てて姉がエナジードレインで精気を分け与えている。
拓巳が反応するってことは、これは霊障なのか? つまり陽子はもう……。
いやだが、陽子はエインヘリヤルの契約を結んでいる。死んだら俺の周囲に現れるはずだ。だからまだ、死んでない。
「最悪のパターンね」
「……リデル。何が起こってるんだ」
「山川陽子。彼女はもう死んだの。死んで悪霊になった」
「契約は?」
「無効化されたわ。絶望と呪いが貴女の力を凌駕した。心しなさい。八咫烏の七人ミサキなんて目じゃないチート持ちの大怨霊が誕生したのだから」
俺の他者覚醒でチートを与えられた拓巳は数百人もの犠牲を要した七人ミサキの一人と互角だった。成長途上にも関わらずだ。個人としての魂の力量も異能の強さには関係するけれど、俺に加護をくれたオーディンの現神としての祝福が覚醒させた人間にも伝わっているのだと思う。不遜な例えだが、俺がキリストだとしたら覚醒させた人間はキリストの弟子の十二使徒のようなものなんだ。
拓巳が指導した教え子が異能に簡単に覚醒できたのも納得だろう。十二使徒から直々に教えを授けられるんだからな。
その十二使徒の一人が怨霊として出現したような感じなのか現状は。穂村に死ぬ寸前まで追い詰められた事を考慮すると、陽子は俺の力を超えている可能性が高いな。格としては俺の方が上だとしても、戦闘力で見るとエインヘリヤルと俺は大差ないし。生産職が戦闘職にレベルで上回っても勝てないのだ。
「行かないで」
拓巳を頭痛でふらつきながらも南ちゃんが引き留めている。
嫌な予感で動かずにはいられなかったんだろう。他の死に方ならともかく、悪霊に負けたらエインヘリヤルだろうと死ぬ可能性があるからな。
魂の情報を元に身体を霊体で構成して復活したのがエリンへリヤルだ。外傷や病気なんかの身体的な理由が原因ならば幾らでも復活できるだろうが、魂そのものを喰われたら、おそらくは復活できない。悪霊はエインヘリヤルの天敵なのだ。
「すまない」
「なら私も行く」
無言で拓巳は首を振ると、静かに南ちゃんを姉に預けた。一人で行くつもりだな、こいつ。
この場にいるのは姉と拓巳と南ちゃんとクリスと公安警察の浅野さんだけだ。霊に対処できるのは俺と拓巳と、魔法ダメージが通るならクリスになる。
翔太の事で消耗してるクリスを連れて行く気はないが、南ちゃんと浅野さんはこの場でチートを授けりゃ拓巳並の戦力になるな。どうするか。
「止めときなさい。力があっても立ち向かえるとは限らないわ」
「そう思うか」
「あの顔色を見なさいよ」
「あー、確かに」
注意して二人を観察すると血の気が引いて病人のような見た目になっていた。
下手に霊感があると精神的な重圧に耐えられないのか。超遠距離の叫び声に過剰反応するようじゃ連れて行かない方がいいな。
「ええ。拓巳すらも怪しいくらい」
難しい顔でリデルは拓巳を見た。確かに拓巳は霊を鎮めて祓うタイプの霊能力者で、悪霊を力尽くでどうにかするような性格じゃない。
その自分だけの現実がチートにも影響していて同格であるはずの八咫烏に敗北している。
対話が陽子に通じるなら、これほど頼りになる人材もいないんだがな。俺だと消滅させるしか選択肢がないし。
「拓巳、そこのガキ共は連れて行け」
「母さん。ですが」
「お前に力を与えた契約の悪魔。それがそのガキの正体だ。お前よりも年上だ、心配するな」
こそこそ話していた車外の俺らを見て姉が拓巳に助言する。説得の手間が省けたと感謝のテレパシーを送ったら、拓巳が死んだら殺すと脅迫された。
うーん、可愛い弟に対する反応じゃないな。まあ女装した成人男性に対する対応としては最上級かもしれんが。
「よう拓巳。やっと会えたな。ゆっくり話して親睦を深めたい所だが緊急事態だ。俺の知り合いを救う手助けをお願い出来るか?」
フッと消えたリデルを見て驚愕した拓巳に笑顔で話しかける。悪魔だと姉が俺を拓巳に紹介したのは別にふざけているわけじゃない。
拓巳の自分だけの現実を崩壊させて陽子の救出確率を下げる訳にはいかないし、暫くは悪魔ムーブをするしかないのだ。
こんなシリアスな場面で成り切りを楽しむ余裕なんかないんだがな。仕方ない。
「はい。私に出来ることでしたら」
コクリと拓巳は頷いて、舞台は東京へと移るのだった。
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