第1章 94話 フラグ·クラッシャー②
~side サキナ~
「サキナ様、何か良いことがございましたか?」
家令を務めるビクトリアが、帰宅早々のサキナに質問をしてきた。
「え、どうして?」
「いつもと表情が違います。まるで幼い頃のサキナ様に戻られたような感じですよ。」
ビクトリアは、何十年とディセンバー家に仕えている。メイドからスタートをして、別邸でとは言え、家令を務めるまでになった優秀な人材だ。
サキナとは、彼女が生まれた頃より日々を共に過ごし、第二の母のようであり、また、よき相談相手でもあった。
「そう···かな?」
サキナの幼少期を知るビクトリアは、かつては甘えたで、優しげに笑う素直な少女だった頃を思い出していた。この数年間は、周りの環境や責務にプレッシャーを感じ、将来を悲観するがゆえに、あまり純粋な笑顔を見せてくれなかったことが心配だった。
今日に至っては、魔物の群れが発生したという事案で、決死の覚悟をその表情に乗せて屋敷を出ていった。それが、帰宅して賓客として招いたという男性と、弾むような会話をしている。異性を連れてくるなど、初めてのことではあったが、サキナのあんな屈託のない笑顔を見たのは10年以上も前だったかもしれない。
後で詳しい話を聞くと、賓客の男性は魔物の群れを殲滅したという。自分のことのように自慢気に話すサキナを見て、ビクトリアは「お嬢様は、ようやく運命を変える人と出会えたのですね。」と目頭が熱くなったのである。
サキナは、タイガのいる客室の扉を何度かノックした。
もっといろいろと話をしてみたいと思っていたが、反応がない。大浴場へは夕食の後にすぐに向かっていたので、もう部屋に戻っていてもおかしくはないのだが···。
『疲れて寝てしまったのかも···。』
残念そうに肩を落としたサキナだったが、「あれだけの戦闘の後だ。無理もない。」と、今夜は諦めることにした。
これまでは、異性との会話は疲れるだけで楽しいと思ったことなど一度もなかった。それなのに、タイガとの会話は時間を忘れてしまうくらい楽しく充実したものだった。他愛のない内容でも、おもしろおかしく話してくれるし、その言葉の端々に高い知性と知識を感じる。「この人のことをもっと知りたい。」と本気で思っていた。
彼がテトリア様であるかどうかなど、もうどうでも良かった。貴族としての身分は比べようもない。騎士爵は、名誉爵位である。この先、彼と結ばれるとしたら、自分はディセンバー家から除名をされるかもしれない。質実剛健で、中央での権力に野心がない父などは、タイガの実力と人間性を見て、容認してくれるかもしれないが···。
そこまで考えて、サキナは気づいた。
なぜ、タイガと結婚をすることを前提に、自分は物思いにふけっているのかと。
顔を真っ赤にしながら、サキナは大浴場に向かった。
今日あったばかりのタイガと結婚···自分はどうかしてしまったのだろうか。それとも···。
大浴場に着いても、自問自答を繰り返しながら衣服を脱ぎ、浴室に入った。そのため、他の人が入浴中であることに気づけなかったのである。
洗い場でシャワーを浴び、体をキレイにする。その間も、タイガの事が頭から離れない。
「まだ出会ったばかりだし、人間性はよく知らないのよね。胸を触ったり、耳に息を吹きかけるような人だから、ちょっと変態かもしれないし···。」
そんなことをつぶやきながら、浴槽へと向かった。
「···えっ?」
そこで、サキナは得体の知れないものを発見した。
丸いものが3つ浮かんでいる。1つの丸と、少し離れた所に2つが連なった丸。
湯煙のせいで何かはわからない。怪訝に思いながらも、近づくと···
「···タイガ!?」
1つはスキンヘッドの頭、連なる2つはお尻。器用に、そこだけが浮かんでいた。
「ちょっ、ちょっと何してるのよ!」
サキナは全裸であることも忘れて、浴槽に飛び込んだ。ここの泉質は硫黄泉。換気はしっかりとされているはずだが、万一、換気用の窓が閉まっていたとしたら、非常事態もありえる。
タイガの体を起こし、浴槽の端にもたれかけさせた。胸に手をやり、心臓の鼓動を確認してから、顔を口に近づけて息をしているかを確認する。
大丈夫。
生きてる。
ほっと、胸を撫で下ろすも、すぐに意識がもどるかが心配だった。
この人、完全無欠かと思ったけど···まさか、お風呂でお尻を浮かべて溺死しそうになっているなんて···。
じっと、顔を見つめて様子を見る。
「ん···。」
「タイガ?」
「···お腹いっぱい。」
「は?」
人が心配しているのに···サキナは呆れながらも、無事な様子を見て安心した。
体調に問題は無さそうだが、まだ意識が···いや、寝ているだけか。
硫黄泉のせいでも、湯あたりでもない。お湯の中で、うつ伏せで浮かんで寝るって、どんなに器用なんだと思いながらも、その間の抜けた部分に安心する。彼も普通の人間なんだと。
せっかくの機会だと思い、サキナはタイガを観察してみた。
スキンヘッドの頭が異様に赤い。
事情があって剃ったと言っていたが、最近のことのようだ。顔よりも少し色白な頭が、お風呂に入ったからか、一番真っ赤だった。
初めて顔をじっくりと見たが、それなりに整っている。普段は細めで切れ長の目が厳つさをプラスしているが、笑うと人懐っこい顔になる。
目尻の下や頬に傷跡···紅潮しているからか、はっきりとわかる。顎や鼻にもあり、闘いに身を投じてきた証と思えた。首筋から胸にかけても同じような線傷や、窪んだような、何でできたかわからない傷が無数にある。
無駄のない体つき。着やせをするのか、思ったよりも筋肉が発達している。いわゆるマッチョではないが、強靭な鋼線を編んで、凝縮したかのような肉体。
その下は、お湯であまり見えないが···黒々とした影が···。
「う···。」
眉毛もあるし、元々が無毛ではないから当たり前か。でも、下も黒なんだと、照れながら思う。
あ···これでは、タイガのことを変態かもなんて言えないな。
そんなことを考えていると、天井から水滴が落ちて、タイガが声を出した。
「ん···。」
サキナは裸であることに思い当たり、タイガの横に移動した。
「私···まだ純潔だから。」
「え?」
雰囲気がそうさせたのか、サキナは思わず言ってしまった。恥ずかしい。
少し考えた素振りを見せたタイガは、こう言った。
「そっか。じゃあ、大事にしなきゃね。」
タイガは紳士だった。
もし、情欲にかられて押し倒してきたら、自分はどういった対応をしたのだろうか。
そのまま、従順に応えたのか。
平手打ちで返しただろうか。
それとも、魔法でお湯を凍らせて対抗しただろうか。
いずれにしても、タイガを試すようなことをしてしまい、少し自己嫌悪した。
でも、彼の反応を見て、はっきりとわかったことがある。
人間性も問題ない。
強くて、優しくて、おもしろい。
一緒にいて楽しいし、他の男性が霞んで見えるような存在。
出会ってまだ1日目だが、はっきりと自覚した。
私は、彼に惹かれていると。
~side タイガ~
右腕の痺れで目が覚めた。
客室の天井が視界に入る。
仰向けに寝ているのに、なぜ腕が痺れているのかわからない。寝相は悪くないはず···。
タイガは、右側に目をやった。
サキナがいる。
なぜか、腕枕をされて。
目が合うと、サキナは瞳をパチクリとさせて、次第に顔を真っ赤にさせた。
無言で見つめあう。
記憶にない。
夢だと思うことにした。
タイガは目線を天井に戻し、再び目を閉じた。
「···ちょっと。」
夢の中でサキナが何かを言っている。
「ねえ!」
頬を指で突いて、ぐりぐりされだした。これも夢だと思うことにした。ちょっと、痛い。
「昨日はあんなことをしたくせに···。」
してない。
何もしてない。
そもそも1人で寝た。
「頭を黒く塗るわよっ!」
タイガは瞬時に体を回し、サキナを正面に見据えた。
彼女が瞳を大きくして驚いている。
左手で、サキナの頬に触れた。
「あんまり悪ふざけばかりしていると、本当に襲われるよ。」
昨夜の大浴場も、今朝の腕枕もからかっているだけだろう。まぁ、信用してくれているから、そんなことをするのだろうけど。
「···いいよ。ちゃんと責任をとってもらうから。」
一瞬、体を固くしたサキナは、そんなことを言い出した。
タイガは、頬に触れていた手で髪を撫でる。
「わかった。」
微笑みながらそう答えて、腕枕をしていた右腕を、サキナの背中にまわして抱き起こした。
「おはよう。」
「お···おはよう。」
そのままベッドを出て、裸の上半身にシャツを羽織る。ちゃんと下は履いてるからな。お尻丸出しじゃないからな。
「タイガって···その···こういうことに慣れてるの?」
「こういうことって?」
「朝起きたら、女の子が一緒に寝てるとか。」
別に慣れてはいない。
悪戯ってわかっているから、ドキッとはするが、ドギマギとはしないだけだ。それに、こんな悪戯をする女の子はそんなにはいないだろ。
「いいや。どうしていいかわからない。ほら、焦ってシャツが前後逆だった。」
「本当だ。」
クスッとサキナが笑う。
もう一度、シャツを着替え直して、ベッドの端に座る。
「で、何でここにいるのかな?」
やんわりと聞いてみた。
「えと···起こしに来たのだけど、気持ち良さそうに寝ていたから、私も眠くなって···ちょうど、良い枕があったから···。」
目を泳がせながら答えるサキナがかわいかった。まぁ、だからと言って、変なことをするわけにもいかず、笑いながらこんなことを答える。
「刺激的な目覚めをありがとう。」
「うん···どういたしまして。」
不思議な女性だった。
あまり、意識せずに接することができる。キレイだし、かわいい部分も多いが、自然体で話が出きた。
ちょっと悪戯が過ぎるが、楽しかったから、まあ良いか。
~side サキナ~
朝食の時間になっても、タイガは起きてこなかった。
メイドの1人が起こしに行こうとしたのを制し、サキナは「自分が行く。」と言った。
なぜか、ビクトリアが微笑ましくこちらを見ている。
タイガの部屋の扉をノックする。
反応がないので、ドアノブを回すと鍵はかかっていなかった。普通は施錠くらいはするだろうが、詰所にいる兵士は緊急事態に備えて宿舎の鍵はかけないので、特に違和感は持たなかった。タイガもそういった習慣があるのかもしれない。
扉を開くと、ベッドに寝ているタイガが見えた。意外と寝相が良い。
近くに行き、寝顔を見る。
昨夜と違って、少し浅黒い、精悍な顔だった。同じように目を閉じていても、笑顔はかわいいのに不思議なものだ。
髪があれば、だいぶ印象は変わりそうだが、いまいちイメージがわかない。サキナは掌でタイガの頭部分を隠して顔を見たり、自分の髪を額にのせて見てみる。
『黒髪だしな···やっぱり、イメージがわかない。』
そんなことをしていると、サキナの髪がくすぐったいのか、タイガが腕を上げて額に手を置いてきた。サキナは起こさないように、さっと離れた。
そのまま、真横に下ろされた腕を見る。
じっと見る。
しばらくして、そっとベッドに横になり、サキナはタイガの腕に頭をのせたのだった。
タイガと一緒に朝食を取った。
またも「美味しい!」を連発していたが、近くに来たシェフに隠し味についての質問を始めた。どうやら、社交辞令ではなく、料理にも見識がある様子。
「不思議な方ですね。」
ビクトリアが近くに来て、話しかけてきた。顔を見ると、目線はタイガを見ていた。
「作法などもそれなりですし、料理にも造詣がおありのご様子。」
お世辞ではなく、本当に感心しているようだ。ビクトリアとは、つきあいも長いので声音でわかる。
「そうね。でも、あれで戦場では最強よ。戦闘力だけではなくて、采配にも長けているの。」
本当に、この人は何者なのだろうと驚かされてばかりだ。あれだけの実力があっても、良い意味でプライドがない。誰に対しても気さくなのだ。
『モテるのだろうな···。』
昨夜も、今朝も勇気を出してがんばってみた。でも、軽くあしらわれてしまったような気がする。言い寄ってくる女性が多いから、対処の仕方を心得ているのかもしれない。一時の快楽に身を寄せない、誠実さの裏返しでもあるのだが。
タイガは、今日にでもここを出ていくだろう。立場上、それについて行くことはできないし、足止めをするわけにもいかない。
サキナは、タイガが周囲からフラグ·クラッシャーと呼ばれていることを知らない。自分がモテないと勝手に認識をしているタイガは、今回も意図せず、サキナが立てたフラグをすべて壊してしまっていたのだ。
「はぁ···。」
ため息をつくサキナに、ビクトリアは耳打ちをした。
「タイガ様は、サキナ様のために神が遣わされた御仁ではないですか?私にはそう思えます。」
サキナは、ハッとした。
『そうだ!本人は否定をしているけど、彼はテトリア様の転生した姿かも知れないのだ。だったら···。』
頭をフル回転させ、サキナは今後のプランを考え始めた。
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