第21話 尾行

「今日もごちそうさまでした〜」


 お会計まさかの税込11600円。

 先日の焼肉に引き続きお世辞にも笑えない金額だ。


 2人が満足してこの金額ならまだしも。

 俺はほとんど酒や料理を口にしていない。


 あまりにも藍葉が遠慮を知らないものだから、気づけば俺の方が注文を控える羽目になってしまった。


 自分の財布を守るためにはこうするしかなかったのだ。


「それじゃセンパイ。また会社で〜」


「お、おう」


 好きなだけ食って飲んで。

 満足したらそそくさと帰ってしまう。


(台風みたいなやつだな……)


 と、藍葉の後ろ姿を見て思ったが。

 あながち間違ってもいないのだろう。


 藍葉はきっと俺にとっての台風なのだ。

 突然やってきては財布を荒らすだけ荒らし。

 何事もなかったかのように去って行ってしまう。


「俺もいいように使われたもんだな」


 いつからこうなってしまったのか。

 原因を探ってもいずれまた台風はやってくる。

 俺はもう藍葉の好き勝手からは逃れられないのだ。


「あっ」


 何やら藍葉が振り返った。

 もしや俺の思考が読まれたのだろうか。


「瀬川さんもお疲れ様で〜す」


「はっ⁉︎」


 何を言い出すかと思えば。

 なぜか藍葉は唐突に麗子さんの名前を出したのだ。


「お前何言って——」


 何言ってんだ。

 呆れた俺がそう言いかけた瞬間。


 ガタガタッ。


 俺の背後で人が動く気配を感じた。

 振り返ってみるとそこにいたのは。


「麗子さん……⁉︎」


 一瞬わからなかったが間違いない。

 帽子やメガネで変装した麗子さんだった。


「どうしてここに……」


「べ、別に深い意味はないの」


「普通は意味なくこんなところにいませんよ……」


 まず何から聞けばいいのか。

 状況がつかめないせいで俺の頭はパニックだ。


「てかお前よく気づいたな」


「たまたまですよ〜。もしかして2人はこの後お楽しみですか〜?」


「い、いや……これといって予定はないが」


「そうなんですね〜。まっ、なんでもいいですけど」


 なぜか藍葉はめちゃくちゃ笑顔だったが。

 今の俺は頑張っても苦笑いぐらいが限界だった。


(もしやずっと前から気づいてたのか?)


 この感じだとおそらくそうなのだろう。

 彼氏の俺でさえ全く気がつかなかったのに。

 本当にこいつには後輩ながら侮れない何かがある。


「私はお先に失礼しま〜す」


 逃げるように去ってしまった藍葉。

 最後の最後まで満面の笑みを浮かべていたが。

 今思うとあの笑顔は少し不自然で不気味だった。


「それで、麗子さんはどうしてここに?」


「何というかその……気になっちゃって」


 その後麗子さんにここへ来た訳を尋ねたところ。

 彼女らしいため息が出そうになる理由が返って来た。


 昨日の夜、俺は麗子さんに電話をし。

 今日の藍葉との食事についてのお許しをいただいた。


 もしかしたら嫌と言われるかも。

 最初こそその可能性を考慮していたが。

 思いのほか麗子さんはあっさり承諾してくれた。


「でも実際は嫌だったと」


「嫌とかじゃないの。ただちょっと不安だっただけで」


 だがどうしても俺と藍葉が2人で会うことを不安に思ったらしく、尾行は良くないという自覚を持ちながらも、気づけば変装してここに来てしまっていたらしい。


「いつからここにいたんですか?」


「2時間くらい前からかしら」


「2時間⁉︎ その間ずっと俺たちを見張ってたんですか⁉︎」


「ううん。お店から出て来るのを待っていただけよ。最初は……」


「最初は……?」


 しかしそれでも不安に思う気持ちが収まらず。

 俺に対して何度かメッセージを送っていたんだとか。


「ん? メッセージ?」


 慌ててケータイを見てみると。

 麗子さんからのメッセージが15件ほど溜まっていた。

 しかもその内容は、以前の焼肉の時と同じような内容ばかり。


 最初は先日迷惑をかけた藍葉を気遣うような内容から始まり、気づけば『何話しているの』『まさか浮気してないよね』『なんで気づいてくれないの』と、どんどんネガティブなものになっていった。


 もちろん俺は食事中なのでケータイは見ていない。

 その趣旨は以前にも麗子さんに伝えているはずだ。


「食事中くらい我慢してくださいよ……」


「だって1人でいるのが心細かったから」


 以前ほど拗らせてはいないようだが。

 今の麗子さんは少しばかり不機嫌なようだ。

 どうやらこの人が負った傷は相当深いらしい。


「もしよかったらこの後うち来ませんか?」


「えっ⁉︎ いいの⁉︎」


「せっかくなので一杯やりましょう」


 だが俺はそんな彼女と向き合うと決めた。

 全てを受け入れ、その傷を治してあげたい。

 今の俺にあるのは純粋な麗子さんへの愛だけだった。


「保坂くんがいいならぜひ」


「よかった。そしたら帰りましょうか」


 拗ねた麗子さんをなだめるには。

 彼女のそばにいてあげることが一番だ。


 それに俺は今日ほとんど何も食べていない。

 酒も2杯しか飲んでいないので少し物足りなかった。


「手、もし良かったら」


「う、うん」


 自ら自然に手を差し出す。

 今までの自分なら、絶対こんなことできなかった。


 でも今は違う。


 俺は麗子さんの過去を知っている。

 そしてその過去に向き合いたいと思っている。

 この気持ちは紛れもなく本物で俺の目標でもあった。


 だからこそ恥ずかしいとは思わなかった。

 彼女の力になってあげたい、支えてあげたい。

 そう思う気持ちが俺の羞恥心を上回っていたから。


「迷惑ばかりでごめんなさい」


「いいえ」

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