第19話 ちょっかい (才加視点)

 あれは出張明け初めての出勤日。

 私がデスクでお昼を食べている時だった。


『なあ、お前あの話聞いたか』


『あの話?』


『ほら保坂の話だよ』


『あー、瀬川さんにしばかれたやつね』


 同僚の人たちの噂話。

 それに耳を傾けていた私は偶然知ることになった。

 センパイと瀬川さんの間に何かがあっということを。


『昨日の食堂すごかったらしいぞ。地獄だよ地獄』


 センパイが何かとんでもないことをやらかした。

 それで瀬川さんにはしばかれ、2人の関係は悪化。

 食堂で一緒に居たみたいだけど、雰囲気は地獄だったとか。


 どこまでホントなのかはわからない。

 けど私がそれを聞いた時、真っ先に思ったのは。


 何それめちゃくちゃ面白いじゃん!





 その日の夜。

 私はちょうどセンパイと焼肉の約束をしていた。

 あのクソみたいな出張を頑張ったご褒美だった。


 ——何かご褒美くださーい!


 みたいな感じで適当に頼んだら連れて行ってくれた。

 仕事では厳しいけど、それ以外のセンパイは超ちょろい。

 ぶっちゃけ頼めば絶対に連れて行ってもらえる自信があった。


『先に言っておくが、ここは食べ放題じゃないからな』


 センパイにはそう言われたけど。

 私は良いお肉だけをかたっぱしから頼んでいった。


 さすがにこれは怒られるかな?


 とか、一瞬考えたりもしたけど。

 でも結局センパイは特に何も言ってはこなかった。

 こういうお人好しなところが使い勝手良くてマジ助かる。


 あの時は久しぶりにお酒を飲んだ。

 センパイがオススメしてくれたお酒は結構美味しかった。


 クソだるい出張もようやく終わって。

 人のお金で美味しいお肉をたくさん食べられる。

 おまけに昼間にはセンパイの面白い話だって聞いた。


 そんな私はめちゃくちゃ気分がよかった。


 あの話題をどのタイミングで切り出すか。

 それを聞いてセンパイは一体どんな反応をするのか。

 美味しいお肉を食べながら、私はずっとワクワクしていた。


『私がいない間に瀬川さんと何かありました?』


『ごほっ、ごほっ……』


 ワクワクしていたからこそ。

 あの時のセンパイの反応は傑作だった。


 私が噂のことを持ちかけた瞬間。

 センパイは目を泳がせながらせたんだから。

 わかりやす過ぎて思わず吹き出しちゃいそうだった。


『怒らせるような関係なんですね〜』


『い、いやその……上司だからな俺の』


 だから私は更に追い討ちをかけた。

 センパイの困っている顔が面白過ぎてやばい。

 平静を保つのがホントに大変だった。


『まあいいですけど』

 

 このままだといつか笑っちゃう。

 そう思ったから私は話を流してあげた。

 センパイはずっと引きずってたみたいだけど。





 センパイと瀬川さんが両思いなのは知っていた。

 職場の人たちは全く気づいていないみたいだけど。

 普通あの2人を見ていれば何となく察しがつくと思う。


 でも多分付き合ってはいない。

 センパイは積極的なタイプじゃ無いし。

 恋に発展するのはまだまだ先だと思う。


 だからこそ邪魔のしがいがある。

 この手で壊してやりたいと思っちゃう。

 そう思ってずっと2人の隙を伺っていた。


 瀬川さんは確かに綺麗だとは思う。

 年齢の割に顔もいいしスタイルもいいし。

 センパイが好む理由も何となくだけど理解できる。


 でもね——。


 全然面白くはない。

 正直早く死ねばいいと思う。


 何であんな年増のババアがチヤホヤされてるのか。

 あんな重そうな女の一体どこに魅力を感じるのか。

 社内の男どもの脳内が、全くもって理解できない。


 男にチヤホヤされ、色目使われて。

 ちょっと仕事ができるからって人望もあって。

 おまけに望んだ恋まで上手くいきそうになっている。


 調子に乗んなよクソババア!


 とか、私は心の中でずっと思ってる。

 だからこそ今回の噂は私にとって絶品だった。


 待ちに待った好機。

 2人の邪魔するには絶好のタイミング。


 あのクソババアの思い通りにはさせない。

 何もかも上手くいくなんて、絶対に私は許さない。


 恨みにも近い感情を抱えていた私はあの時。

 隙を見てセンパイにちょっかいを出してみた。


『ちょっと酔っちゃったみたいです』


 酔って足元を崩したふりをして。

 センパイの胸に思いっきり飛び込んでみた。


 するとどうだろう。

 思っていた以上にセンパイの反応がいい。

 これはもうちょっと押せば面白くなるかも。


『センパイ。まだ帰りたくないです』


 ぶっちゃけ早く帰りたかったけど。

 微塵にもそう思ってもいなかったけど。

 でも私の渾身の演技は効果絶大だったみたい。


 センパイは顔を真っ赤にして。

 私のことを間違いなく1人の女性として認識していた。


 口では『やめろ』と言っていたけど。

 身体はとても正直にセンパイの気持ちを教えてくれた。

 そのおかげで私は自然にあの質問をすることができた。


『そんなに瀬川さんがいいんですか』


 この質問で少しでも付け入る隙が伺えれば。

 あのクソババアを困らせるきっかけになるかも。

 ぐらいの都合のいい解釈を私はしていたつもりだったけど。


『いや……俺は……』


 何ということでしょう。

 センパイの反応が思いのほかいいじゃないですか。

 この様子だとだいぶ関係を拗らせちゃってるみたい。


『冗談で〜す』


 ここまで確かめられたのならもう満足。

 噂以上に面白い展開になっているのは間違いない。


 そう思った私はすぐさまくだらない小芝居を辞めた。






 あの日のことを思い出すと。

 今でも面白すぎて笑ってしまいそうになる。


 てっきり2人は順調なのかと思っていたから。

 こんなに拗らせてくれているなんて思ってもいなかった。


 これならあのクソババアに一泡吹かせられそうだ。

 センパイとの関係を失って悲しむあの女の顔を想像すると……。


「ふふっ……」


「お客様? どうかされましたか?」


「ああ、別に何でも〜」


 ネイルを塗ってもらっている最中なのに。

 我慢できなくて思わず笑っちゃったよ。

 おかげで店員さん苦笑いだし。


(まっ、いっか!)


 ちょっと気まずい空気ではあるけど。

 でも今日の私はそんなこと気にもならない。


 なぜなら今、めちゃくちゃ気分がいいから!




 * * *




 ネイルはいい感じに仕上がった。

 センパイの付け入る隙も見出せたし。

 今の私はめちゃくちゃ気分が上々だ。


「ファッション誌買って帰ろっ」


 あとは新作のファッション誌を買うだけ。

 私はノリノリの足取りで本屋さんに向かった。


 すると——。


「あれ? センパイ?」


 まさかと思った。

 雑誌を買ってすぐ家に帰るつもりだったのに。

 その後ろ姿を見て、私は思わず指差してしまった。


「やっぱりセンパイじゃないですか!」


「うっっ……藍葉……」


 またしてもやってきた絶好の機会。

 これを機にまたセンパイの心を揺さぶってやろう。

 そう考えた私は、すぐにセンパイの元へと駆け寄った。


 だけど。


「てかセンパイ、何ですかその格好」


 よく見るとセンパイの服装がめちゃくちゃダサい。

 街を歩くのに上下スウェットとかマジでありえない。


「ぷはははっ、ここは家じゃないんですよ〜」


 でもこれはこれでなんか面白いかも。

 センパイらしくなくて、めちゃくちゃに笑えた。

 まあ正直に言って、あんまり近寄りたくはなかったけど。


 それでもこれは絶好の機会。

 服装がダサいからってみすみす逃すわけにはいかない。

 それにセンパイに会ったからには、何かしてもらわないと。


(そうだ! この雑誌センパイに買ってもらお!)


 素晴らしい作戦を閃いてしまった私。

 レジに向かったセンパイの後を追って。

 背後からそっと雑誌をレジカウンターに乗せてみた。


「おい。何してる」


「何って、一緒に買ってもらうんですよ〜」


「それは別に構わんが、当然金は払うんだろうな」


「え〜、たったの700円ですよ〜? いいじゃないですか〜」


「だったら自分で払え」


 でもそう上手くはいかず。

 センパイに雑誌を押し返されちゃった。

 お人好しの分際で一丁前に自分で買えだってさ。


(でもまあ、雑誌くらいは別にいっか)


 ちょうどお腹がすいて来た頃だし。

 きっとセンパイはこの後お昼を食べに行くはず。

 なら私もそれについて行ってご飯を奢ってもらおう。


「センパイこの後どうするんですか?」


「どうするって、ラーメン食ってすぐ帰るけど」


「えっ! ラーメンですか!」

 

 ほらやっぱりね。

 しかもラーメン屋さんに行くらしい。

 最近食べてなかったから絶対食べたい。


「まさかお前もついてくるとか言わないよな」


「いやいや、普通に行きますけど」


「やっぱりか……」


 どうやら私は煙たがられてるみたい。


 でもどうしても人のお金でラーメンが食べたい。

 私は無理を押し切って、何とかセンパイを言いくるめた。


 最初は奢らないという約束だったはずなのに。

 私が適当に駄々こねていたら、結局奢ってくれた。

 あまりにも計画通りすぎて笑っちゃいそうだった。


 でも私の計画と違う点が一つ。

 ラーメンが信じられないほど脂っこい。

 来なければよかったと本気で思っちゃった。


 でもいざ食べたら美味しいのは何でだろう。

 こってりなのに次々と食べ進めてしまった。


 でもそれも中盤までの話。


 最後の方は油がきつくてマジしんどい。

 食べ終わった後はホントに気持ち悪くて最悪だった。


「そんじゃ俺は帰るぞ」


「あ、はい。楽しかったですよ割と」


 だからセンパイが帰ると言った時。

 本当なら何か仕掛けようかと思っていたけど。

 気持ち悪過ぎて、そんな余裕は微塵もなかった。


 まあセンパイのダサい部屋着で笑ったし。

 ラーメン奢ってもらったし、何より今日は気分がいい。


(今日くらいは見逃してあげる)


 その代わりまた奢ってもらおう。

 そんなことを考えていた時だった。


「あなたたち……ここで何してるの」


 まさかだった。

 あの女がやって来て。

 何やらセンパイと言い争いを始めたのだから。


(これってもしかして……)


 2人で一体何をしてたのだとか。

 どうしてこんなところにいるんだとか。

 会話の内容的にどう考えても2人の関係は普通じゃない。


 極め付けには。


 クソバ……瀬川さんは確かに泣いていた。

 そして足早に来た道を引き返して行ったのだ。


「わるい藍葉。また今度説明する」


「あ、はい」


 その時のセンパイの焦った顔。

 そして『説明する』という言葉。

 今までの2人のやりとりから私は確信した。


「もうできてるとか嘘でしょ……」


 付き合う前に2人の関係を邪魔してやろう。

 あの女の思い通りにはさせてやらない。

 そう思って私はずっとセンパイにちょっかいをかけていたのに。


 もう遅かった。

 センパイと瀬川さんは付き合っていた。

 私の知らないところで、あの2人はできていたんだ。


「ホント……意味わかんない」


 でも邪魔するだけならまだ間に合う。

 むしろ今の関係をぶち壊した方があの女にはダメージになる。

 センパイには悪いけど、これはこれで私的には面白い展開だと思った。


 でも——。


「マジムカつく……」


 今感じている憤りは一体なんだろう。

 どうしてこんなにも胸がモヤモヤするのだろう。


 あの女の困った顔を拝むためなら。

 2人の関係が深ければ深いほど都合がいいはず。


 頭ではそうわかってるんだけど……。


「絶対またご飯奢ってもらうから」


 無性にイライラしてしまった。

 上々だったはずの気分が一気に地の底まで落ち、気づけばラーメンの気持ち悪さなど、どこかへ消えてしまっていた。

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