第29話

 イザークが連れてこられたのは、聖女候補生の宿舎からも離れた施設の端にあるこじんまりとした小屋。

 そこが平民用の候補生の宿舎だった。


 聖女試験の管理を任されているサディアスは、イザークの管理も任されているためか色々な説明や情報を直々に伝えられた。

 説明を聞きながらイザークは内心ため息をつく。

 一応主は決まったものの状況はなんら変わらない。

 この紅い眼を見ればすぐに追い出されるだろう。

 そう思うと聞く必要もないのかもしれないと思いながらも、もたらされた情報を全て把握する。

 追い出されるとは解っていてもローズ家の一員としてキッチリ仕事は熟さないといけない。沈んだ面持ちでサディアスの説明を聞きながら調書を目にする。

 その情報の中に主であるリディア・ぺルグランは魔力を使い切り、今日を含め3日間、眠ったままの状態とあった。



 部屋のドアの前で、一つ深呼吸する。

 そして寝ているだろう部屋のドアを一応念のためノックはしたが、返事はない。

 やはりまだ眠っているのだろう。

 眠っている間なら、追い出される心配も怖がられる心配もない。

 少しホッとして部屋の中へ入る。


 ほんの少し胸が高鳴る。

 目が覚めるまでの間ではあるが、自分にも主が出来たのだ。

 慎重に、眠りを妨げないよう足音を消して近づく。

 そしてベットに眠るその顔を覗き込み目を見張り息を飲み込む。


「!」


 そこには、美しい女性が小さな寝息を立て眠っていた。


(これが、私の主…リディア様‥‥・)


 思わず膝をつき、ベットに手をつき顔を近くに覗き込む。

 近くで見ると頬がコケていた。

 淡い金色の髪もかなり痛んでいた。

 布団からはみ出した腕も痩せ細っている。

 調書で義理の家族にいじめられていた事が記されていたから、そのためだろう。


(この髪を綺麗にして差しあげて、体も…)


 そうすれば、今日見たどの聖女候補よりも美しくなるだろうと思いながら寝顔を見つめる。

 出来れば、自分の手で綺麗にして差し上げたいと思った。

 だが、それは叶わない。

 調書であった淡い青緑の瞳が自分を見た瞬間、恐怖し、自分を追い出すだろう。

 ぐっと手のひらを握りしめる。

 それでも、もう二度と訪れることのない大切な機会なのだと頭を上げる。


(目覚めるまでは、精一杯尽くそう‥)


 それから彼女が目覚めるまでに出来る限りの事をした。

 こじんまりした部屋を少しでも華やかにするよう花を飾ったり、良い眠りをもたらすために香を焚いたり、いつ目覚めてもいいようにお茶の準備や食事の準備、目覚めた主の体調を考えながら用意し、平民用の宿舎でも心地よく過ごせるようにと必死に頭を働かせ目覚めの準備に準じた。


 そしてその二日後、運命の時がやってきた。


 彼女の眠りが浅くなったのを感じ、体に緊張感が走る。

 この二日間、主が寝ているものの凄く充実し幸せだった。

 執事が主を思って動く、これがどんなに幸福なのかを実感していた。

 それがもうすぐ終わりの時を迎える。

 ベットの布団がもぞもぞと動き出す。


(目覚められた…)


 主を持つ執事の時間が終わったと悟った。

 声を掛け最初のあいさつをしなければいけない。

 自分の目を見た瞬間、彼女は自分を拒絶するだろう。

 そう思うと、躊躇する。


(怖い…)


 この二日間、彼女は眠っていてもイザークにとってはもう主であったのだ。

 主である彼女に拒絶されるのはとても怖かった。

 だけど執事最後の務めを果たさねばと、主の落ち着きを見計らってギュッと胸に手を当てると深々と頭を下げた。


「起きられましたか?」


 驚いたように振り返る主に、最後の言葉を告げる。


「お初にお目にかかります、リディア様、これからあなたの専属執事として使えることになりましたイザーク・ローズと申します、どうぞイザークとお呼びください」


 恐る恐る頭を上げる。

 頭を上げ見た主の瞳は調書に合った通り澄んだ青緑色をしていて、とても綺麗だと思った。


「これからは何なりと私にお申し付けください」


 主であるリディア様の目が見開いたまま固まっている。

 まだ目覚めたばかりで認識できていないのだろう。

 その美しい瞳が恐怖に彩られていくだろう恐怖に下ろしている手を握りしめ耐える。


「?」


 だが、リディア様はいつまで経っても恐怖に彩られる事もなく、ただただジッと私のこの紅い目を見つめたままだった。


(怖がっていらっしゃらない?いや、まだ寝ぼけて…)


 この紅い眼を怖がらない者はいない。

 まだ寝ぼけているのだろう。

 少し終わりが遠のいたと解り、いきなり悲鳴を上げられなかったことに、ほんの少しだけ安堵する。


「起きられますか?」


 そう声を掛けると、頭を大きく頷かせた。


「それでは、すぐにお茶の準備を致します」


 マネキン相手ではない、初めて淹れる主のためのお茶。

 飲ませることはできないだろうと思っていた主のために考えに考え抜き選んだ茶葉を手に取る。

 初めての人相手に緊張の面持ちで準備を進める。

 そしてお茶を注ごうとした所でティーカップに添えた指先が震えた。

 記憶に焼き付いた母が自分の淹れたお茶を叩き落とした場面が脳裏に浮かぶ。

 それがまた再現されるかと思うと、執事としてあるまじき事なのだが緊張と恐怖に手が震えた。


「いい香り…」


「!」


 不意に呟いた主の声に息を飲む。

 聞き間違いだろうかと思わずこの紅い眼で主を見てしまう。

 ”しまったっ怖がられてしまう“と、焦り固まり見たが、主はその美しい青緑の瞳をくりんとさせ、どうしたの?というように愛らしく首を傾げた。


「申し訳ござません、もう少々お待ちください」


(この紅い眼を怖がってない?今確かにいい香りと…?)


 そんな事はあり得ない。

 開会式での聖女候補たちの恐怖に満ちた目を思い返す。


(期待してはダメだ・・・ 受け入れられるはずなど・・・)


 脳裏にまた母が自分のお茶を叩き落とした場面が映る。

 ぐっと一度手を握りしめると、ティーカップを手にした。


「どうぞ」


 緊張で張り裂けそうなのを隠し、叩き落とされる覚悟を決めて主にティーカップを差し出す。


「!」


 すると、すんなりそのティーカップを受け取る主に瞠目する。

 しばし固まり、何が起きたのか理解するまで時間を要した。

 そのまま香りを楽しみ、何の躊躇もなく口にする主に息をするのも忘れ見入る。


「美味しい…」


 その一言に更に目を見開く。


「どうかしました?」


 驚き固まる自分に主はまっすぐこの紅い眼を見て首を傾げた。


(私のお茶を‥‥本当に…この紅い眼を怖がっていない?!)


 心臓がドクンと飛び跳ねる。


「いえ…」


(受け入れられたのか?魔物の…この私が‥‥)


 信じられないと激しく高鳴る胸を押える。


「お代わりもあります、遠慮せず仰ってください」

「ありがとう」


(……私に…この私に”ありがとう“ と?!)


 この時の感動はきっと一生忘れることはないだろうと、自分の胸に手を当てた。


 その後、リディア様はベットの上に立ち上がり何かを決意していらした。

 きっと聖女候補生なのだから試験を頑張ろうときっとお思いになったのかもしれない。

 リディア様のために自分も出来る限りのことを尽くそう。

 私を怖がらないなら尽くすことが出来る。そう思うと嬉くて嬉しくて胸が高鳴った。




 だが苦難は続く。

 メイドが居ないため着替えも自分がやらなければならない。

 だが着替えるとなると、多少は触れてしまう事になる。

 自分で着替えて頂くように言おうかとも悩んだが、主は聖女候補生で城の大切な客人でもある。

 王家に仕えるローズ家の執事が、大切な客人を自分で着替えさせるなどしてはいけない。

 だが、メイドは居ない。

 今度こそ嫌われてしまうかもしれない。

 そんな事を考えているときに案の定メイドの事を聞かれた。

 まだ、目覚めたばかりで今の自分の状況を知らない主。

 自分の今の境遇を知ったら、きっと傷ついてしまわれるだろう。

 折角自分を受け入れてくれた主が傷つくのは見たくない。

 とはいえ、その主にいつ追い出されてもおかしくない状況。たった今も直面している。

 今の状況を乗り越えなければ、こうして主を思う事すら許されないのだ。


「触れられるのはお嫌かもしれませんが、少しの間、我慢していただいてもよろしいでしょうか?」


 勇気を出して恐々と言ってみる。

 そうしたら、リディア様はすぐに頭を頷かせた。

 まさか頷くとは思ってはいなかったため驚く。

 男でも魔物に触れられるとなったら嫌がり追い出されるだろう、ましてやリディア様は女性だ。

 当然頷くはずはないと思っていた。

 だが現に今、着替えを待ち背を向ける小柄な華奢なリディア様が目の前にいる。

 夢でも見ているような気分だった。

 一瞬頭が真っ白になるも、ハッと我に戻る。

 主を待たせてはいけない。


「では失礼します」


 出来る限り肌に触れないように気を使いながら、服を脱がしていく。

 マネキンでない本物の人肌に微かに指に当たる。


(人とはこんなにも温かいのですね‥‥)


 指先でほんの少し触れただけなのに、柔らかく体温が伝わる。

 そして、服を脱がせたところで目を見張る。


(なんて…細い‥‥・)


 まともな食事をしてこなかったのだろうと一目で解る体。

 薄れてはいるが暴力を受けたのであろう痕。

 折角の透き通る白い肌なのに、勿体ない。


(この肌を体を蘇らせて差し上げたい…)


 自分の手を見る。


(この私の手で‥‥)


 可能だろうか?

 と、いつまでここに居られるかも解らないのに、リディア様が許して下さるのでつい期待してしまう。

 そうして着替え終わった後も苦難は続く。

 次は私の作ったご飯を食べてくれるだろうか?

 メイドも料理人もいない。料理は平民扱いのこの宿舎では自分で用意しなければならない。

 そうして案内した食堂に主は怪訝な表情を浮かべた。

 それもそのはず。

 キッチンと食堂が一緒になった平民用の宿舎だ。

 しかも私が料理すると知って案の定「他の聖女候補生も皆、自分で食事の用意をするの?」と聞いてきた。

 この状況をお伝えしなくてはいけないのは、心苦しかった。

 出来うる限りを尽くし、居心地よい空間を作っても、平民扱いされているのは変わらない。

 どれほど屈辱的な事だろう。主の気持ちを考えるとお伝えするのを躊躇われたが、だがこれもまた必要な事。主の質が問われる所であると、そこを見極め主のために出来ることがあるかを考えるのが執事の役目だ。

 私は決意し、躊躇いがちに状況を説明した。


「なるほど、私の扱いが平民同等の扱いで折り合いをつけたってわけね」


 少しの説明でリディア様はすぐに状況を把握した。

 私は少し驚いた。

 か弱く美しいその華奢な体を震わせ、泣いてしまわれるかと心配していたが、リディア様は冷静だった。


(リディア様は…聡明なお方なのかもしれない…)


 聖女候補生に殿下が連れてきたというのが、何となく解る気がした。

 だけど、この屈辱的状況は変わらない。


「大変ご不憫な生活を強いることになりリディア様のお気持ちを考えると心苦しくもありますが、私にできる限りの事は致す所存にございます、どうか試験期間の間ご辛抱頂きたく‥‥」


「あー、大丈夫、そこは問題ないから」


 あっさりと言い切るリディア様にまたも驚く。


「それより、早くスープ貰える?」


 こんな状況だというのに、本当に気にもされていないようだった。


(こうも簡単に状況を受け入れるとは…それよりも今は…)


 またも面食らっていたが、急いで自分の役割を思い出しキッチンへと向かう。

 そして次々と主を思って用意していた料理を机に並べる。

 食べてくれるかどうか心配していたが、そんな心配など全くいらなかったほどに意図もあっさり口にされた。


「んーっ美味しい」


 私の料理を満足そうに顔を輝かせパクパク食べていく。


(本当にリディア様は私を受け入れて下さっている‥‥)


 完全に夢の中に自分は居るのではないかと、今の状況がとても信じられなかった。

 そんな私の前で、あっという間に全ての料理を平らげてしまわれた。

 満足気に鼻歌を歌いながら最後に私が用意したお茶を美味しそうに飲む姿に、思わず私は期待した。




 聖女試験の期間、本当にリディア様にお仕えすることができるかもしれない。と。







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