道行 朧の桂川 ヤンデレだって?そんなもの江戸の昔から
心中もののクライマックスと言うのは、二人が死に場所に向かう道行(みちゆき)のシーンです。
「あれ壬生寺の鐘の数、九つここに北南、東寺の塔や朱雀野の、火影かすかに三筋町」
最期のその瞬間に至るまでは場所と時間が動き続けるのです。
ですが『桂川連理柵』の道行には他の心中ものとは異なる大きな特徴があります。
二人で連れ立って行くのではなく、長右衛門がお半を背負って心中場所の桂川に向かうのです。
お半がまだあまりに若く、また身重である事を現わしているのでしょうか。
いやさっき帯屋の店先に下駄を脱ぎ捨ててきちゃったからだって言うと身も蓋もありませんが。
ともかくも長右衛門の背中にはお半とわが子二人の命の重さが圧し掛かっています。
「いい歳をして小娘を一緒に死なせたんじゃ申し開きができない、どうかお前と子供だけは生き延びてくれ」とここまで来ておいて、まだ迷いがある長右衛門。
確かに言っていることは正論です。現実世界でしたら私も彼に同意しますよ。
でも小娘のお半の言葉の方が遥かに鋭く突き刺さります。
「ここで生きろなんて言うのは私のことを大切に思っているからじゃない、憎くなきゃ出てこない言葉だよ」
「八坂神社や北野天満宮に手を引かれたり背負われたりしていったあの頃から長さまが愛しく、ずっとこうなると思っていました」
うわあ……幼子の無垢な好意から、ほのかな初恋、男女の性愛まで徐々に段階を踏んでステップアップしていくのが通常の恋だとしたら、お半の方はそれらを全部一直線に並べて最速で撃ち抜いたようなものです。
なにが凄いって母親としての意識が完全に欠落してますよ。子を宿したとしてもお半は永遠に少女のまま。
この異形の恋心がお半本人の言うとおりの子供の頃からの恋情なのか、石部の宿で火がついてしまったものなのか、それとも長右衛門が考えている前世からの因縁なのか正体は分かりません。
でも当事者にしてみれば恋の始まりのいきさつより、今ここで文字通り身を焦がしている想いを桂川の水で鎮めるしかないわけです。
「定まり事とあきらめて、一緒に死んで下さんせ」
振り袖を死装束にした少女は可憐でなんの邪気もありません。
ここに至って、こう言われて長右衛門も覚悟を決めます。
背後から聞こえてくるのは事情を察した帯屋、信濃屋の人々が二人を探す声。
またストーリーラインによってはすでに事件が解決している場合もあります。
長吉が盗んだ正宗の行方も、儀兵衛が盗んだ五十両も舞台裏で全部明らかになっている。
なにも死ぬことはないって?正宗の名刀?帯屋の身代?いえいえ、もはやそんなものにはなんの価値もありません。
「ともに沈まんこなたへ」
二人は足早に桂川へと駆け出します。
長右衛門がお絹や繁斎よりお半、お半が両親よりも長右衛門を選んで家を出た時にもう結末は決まっていました。
初めに書いたタイトル『桂川連理柵』(かつらがわれんりのしがらみ)
連理とはもともと一つの根から出た木の枝が再び絡みあい融け合って一つとなってしまうこと。
放っておけば手を取って桂川に流れて行ってしまう二人をこの世に留めていたのは家族と言うしがらみだけだった訳ですから。
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