オルタネイティヴ・ナラティヴズ ー音楽活動投げ出した僕だけど、よく喋る霊か何かに取り憑かれてワンマンライブ目指す羽目になりましたー

三次空地

第一章 無能の証明

1話

 酔っ払って笑い転げたあと

 ひとりになるのが怖かった

 自分がどれほどの虚しさに呑まれていたか

 唐突に気がついてしまったから


 どんな理不尽な配役も諦めることで順応した

 無知と無力を装えばそれで許された

 都合良く求められる意思と選択も

 演出通り上手に間違えられたけど


 あと少しで暴かれてしまう

 得体の知れない情動に夜毎怯えている

 軋む骨を獣の形に変えて

 すべて食い殺させるような


 かつて希望と名付けていたものを

 墓を荒らすように掘り起こしている

 自分がどれだけの悲しみに塞いでいるか

 何もかも思い出せなくなったから


 どんな欲求も本音をねじ曲げることで無視できた

 無垢と無欲を演じればそれで見過ごされた

 本能に求められる淫らな欲望も

 肌一枚であざむくことはできるけど


 あと少しで満たされてしまう

 動機を持たない悪意に日毎侵されてく

 疼く歯牙を蛇の毒牙に変えて

 音もなく噛み殺すような


 それで殺されずに済むのなら

 壊れても生き続けられるのなら



 オーディエンスの拍手に頭を下げ、アコースティックギターのストラップを肩から外す。思わずため息が出た。

 たった二十分のステージだったのに、どっと疲れたな。体力より精神にきている。

 四年ぶりくらいの真剣なライブだし、プロの前座なんて初めてだ。本当にこんなので良かったのかもわからない。

 照明がついてざわめきだした客席を横目に、ギターから抜いたシールドを8の字巻にしていると、白いシャツに黒いベストを着た痩身の男性が駆け寄ってきた。

 丸メガネと、紺のローキャップ、襟足にのぞく金髪――スタッフの河南かわなみさんだ。僕は彼をその三つの要素で判別している。出会ってから一年近く経つが、未だに顔をまともに覚えられない。頭部に属性が多すぎる。

「お疲れさまです! 今日は、いや、今日も最高でしたよ!」

 河南さんは嬉しげに話しかけてきた。声のボリュームを抑えてはいるが、隠しきれないテンションの高さ。僕は軽く礼をいって、おずおずと尋ねる。

「……こんなので良かったんですか?」

「十分すぎますよ! めちゃくちゃ良かった。感想はまたあとでじっくり!」

 彼はてきぱきとステージの配置換えをしはじめた。

 僕は自分のギターとブルースハープを抱え、ステージに直結する楽屋に移動する。

 楽屋といっても、出演者が荷物を置いて、ちょっとした身支度ができるようになっている小部屋だ。奥の壁が化粧台になっていて、中央には簡素な椅子と机。あとは姿見。アコースティック主体のハコだし、出演者もソロが多いからこれで事足りるんだろうな。

 ギターをソフトケースに仕舞う前に、ネックと指板をクロスで拭く。

 ブラウンサンバーストのボディに、べっ甲調のピックガード、ゴールドのフレットとペグ。指板はローズウッド。エレアコとはいってもチューナーやプリアンプはなくて、パッシブのピックアップが搭載されているだけだ。特に面白みはない。それほど愛着もない。

 ギターケースを壁に立てかけた。出演後の楽屋に長居は無用だ。

 ホールにつづくドアをあけると、白黒のチェッカー柄の床が現れた。白い天板のテーブルと、赤い合皮の上張りの椅子が並んでいる。エメラルドグリーンの壁には、大小様々の額縁が所狭しと飾られており、往年のスター・ミュージシャンや、過去の出演者の写真が収まっている。アメリカン・レトロってやつ。

 ライブバー『シンクウカン』は着席でキャパ三十名くらいの店だ。

 今夜のイベントはソールドアウトしていて、まだ全員は入ってきてないみたいだけど、すでに二十人くらいはいるんじゃないか。こんなにガヤガヤしている光景は初めて見た。僕が来るオープンマイクの日は集まっても五、六人くらいだし。

 僕よりも若そうな子から、白髪の人まで幅広い年齢層がいる。高齢層のほとんどはこのあとに出演する、ジャズ・デュオが目当てだろう。となると、若い人たちはトリのブルースシンガーのファンか。

 僕の客は――、いない。

 そりゃそうだ、誰も呼んでないんだし。

 出演させてもらっておいて集客努力を怠るのはどうかと思うのだけど、僕は動員のあてがないからと何度も断った。それでいいからと粘ったのは河南さんだしな。

 それにしても、活動経験がない(嘘だけど)といっている人間を、いきなりオープニングアクトに起用するっていうのはどういうつもりなんだろう? 通常のブッキングにくらべて尺は短くなるけど、その分気軽になるというわけでもない。メインの出演者の前に場を温めるという役割があるからだ。おまけに全部自分のお客さんじゃないわけだし、通常の出演よりも荷が重かった。

 まあいい、終わったことだ。一杯やろう。

 出入り口横にある木目のバーカウンターは、ショックピンクとブルーの間接照明に照らされていた。カウンターの中では、ウェリントンの眼鏡をかけ、背中に掛かるくらいの髪をそっけなく束ねた女性が、入ってきたお客さんの受付をしている。アルバイトのめぐみさんだ。

 続けて何人か入ってきて忙しそうだったから声を掛けるのはやめて、その隣にいるマスターに挨拶した。

 マスターは中肉中背、少し濃い顔立ちをしている。歳はたぶん、五十になるかならないかというくらいかな。癖のある短髪にポークパイハットを被り、シャツには蝶ネクタイを締めるのがお決まりのスタイルだ。

 ジン・リッキーを頼むと、マスターはビーフィーターの瓶を棚から取り出しながらいう。

「お腹痛はもう大丈夫ですか」

 ダンディな声でそんなくだらないことを囁かないでほしい。開演前に僕が渋い顔をしていたら、愛さんが腹の調子が悪いのかとからかってきた話だ。

「マスターまでやめてくださいよ」

「ミッチーさん、いつもはもっと冷静でいらっしゃるので」

 僕の態度は無気力といったほうが正しいけど。

「オープンマイクとは違って、失敗できないですし……」

「全力投球、気迫のこもった演奏でしたよ」

 差し出されたグラスを受け取って煽る。喉に炭酸とアルコールの刺激がしみた。同時に緊張が完全にぬけて、だるさが身体を包む。もうこのまま帰って横になりたい。

「おっ、いい顔してる」

 河南さんが急に背後から顔を出したので、気だるさは一瞬で吹っ飛んだ。びっくりさせるなよ。僕が彼の顔を見返すと、いたずらっ子のようにニヤニヤ笑った。そしてカウンターの内側へひょいと入り、愛さんと業務連絡を二言三言交わし、今度は楽屋へと向かっていく。忙しない人だな。

 ほどなくしてステージに次の出演者が現れる。ペイズリー柄のシャツを着て、ロマンスグレーの髪をなでつけた藤田さんが、赤いストラップのついたアルトサックスを持っている。ソフト帽と、黒地に白いドット柄のシャツの柴本さんは、アップライトピアノの前に座った。

 軽く音を出している二人の周りで、河南さんはマイクスタンドや譜面台の位置を調整している。何事かやりとりしてからぺこりと頭を下げて、バーカンとは反対側のPAブースへ。

 カウンターに頬杖をつき、その様子を目で追いつつ、手が空いた愛さんに話しかける。

「……張り切ってますね、河南さん」

 決して僕の知っているときが落ち着いているというわけではなく、輪をかけて、という話だが。彼のテンションがいつも高いのには変わりない。

「あの人イベントの時はあんな感じですよ、いつも」

 愛さんは苦笑いなのか、微笑みなのか、よくわからない表情を浮かべた。

 そのとき、ホールの照明が落ちる。

 BGMの音量が煽られてから、素早くフェードアウトする。それを合図に観客はさっと静まり、ステージに向き直った。

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