満天の星空の下、水平線の向こうまで広がる積雲の連なりは、まるで羊の群れの様だ。

 足元までガラス張りの飛行船『アゲハ号』の船橋では、この時間のワッチ(見張り員)を務めるユロイス・ランデールが、戦闘機の操縦士時代に鍛えに鍛えた視力を持つ空の蒼の様な碧眼で、その雲の群れの彼方を鋭く監視していた。

記章を取り去った軍帽を真正面に被り、黒い革のフライトジャケットの下には黒いネクタイに濃灰色のシャツ身に着ける。と言う、およそ無法者らしからぬ成りの美丈夫。

 この船の副長であり操舵士も務める男だ。

 操舵席の右斜め後ろ、今は主が就寝中の機関士席のさらに後方には電探士席があり、茶色い肩までの巻き毛の間に、同じ色の毛でおおわれたウサギの様に長い耳を垂らしたドラヒタール族の女性チャタリ・バクナが、画面を眼鏡越しの茶色い瞳でじっと見つめている。

 華奢な体を軍放出の毛織のジャケットとパンツで包んだ嫋やかと言うか聊かひ弱にすら見える彼女だが、その集中力は誰もが認める所だ。

 船橋後部のドアが開き、三つのマグカップを載せたお盆を手に、柔らかそうな長い赤い髪に、灰色の山羊角を生やし、寸法が大きめのつなぎ服を着た少年が入って来た。

トァム・イルブン、この船に二人いる十代の乗員のうちの一人、物腰、物言い、立ち居振る舞いすべてが優しく柔らかく、心遣いも木目細やか、今もこうしてワッチ員の為に飲み物を入れて持ってきた。

 まず先に副長のユロイスにマグカップを差し出し。


「どうぞ」

「遠慮なく頂戴するよ」


 と、ユロイスは受け取り口を付ける。砂糖、ミルク一切なしのブラックで多少温め。獲物を見つけた時、一気に飲み干す必要を考えての配慮だ。

 背後でもチャタリの。


「頂きます」


 の声が聞こえ、すぐに。


「美味しい、私は紅茶にしてくれたのね、ありがとうトァム君」


 との礼を言うのが聞こえた。

 またカップに口を付け、苦く優しい温度のコーヒーを啜る。

 機関士席にトァムが座ると、操舵室は星明りが充満するエンジン音と船外の風の音だけが聞こえる水底の様な静かな空間に成る。

 突然、緊張したチャタリの声が響く。


「電探、感アリ。方位マルーヨンーマル。距離1万。高度3500。反応の形状から見て、3万トン級の客船かと思われます」


 他の者から見れば黒い画面に映る白い光の点にしか見えないだろう。しかし、彼女はわずかな反応の形状の違いや、それが航跡として残すエコーの濃淡や形で何が画面に映っているか瞬時に言い当て、まず実物とたがえる事は無い。彼女にしか出来ない芸当だ。

 ユロイスは双眼鏡を取り出し、チャタリが言った方角を見て獲物の船の舷窓から漏れる光を探すが、捉えるとは出来ない。

 ここはもう一人、異能を持つ仲間を頼ることにする。 

 右舷の機関砲座で見張りをしているはずの乗員をユロイスは伝声管で呼び出す。


「右舷砲座、方位マルーヨンーマル。距離1万。高度3500。何か見えないか?」


『ムニャ』と明らかに今まで居眠っていた様子の間の抜けた返事が聞こえる。そして数分後。


『いたいた!居たぞ!左右船体に大きな鳥籠型の展望室!横に細い船体!間違いない『白鷺丸』だ!これで50ポルド(5万円)はあがの物だぁ!』


 と、頓狂な若い女の声が伝声管を震わせる。 

 ダチュレと名乗る有角有尾の女。用心棒や殺し屋を生業とする南方大陸の戦闘民族。ネールワルの女だ。

 五感の鋭さは獣並み。夜目もフクロウの様に利く。その黒い瞳が千キロ先の船の明かりとそれに照らし出された船体を捉えたのだ。


「よくやった、しかし最初に見つけたのだチャタリだ。25ポルド、二人で仲良く半分に分けろ」 

『げぇ!25!それでは借金が返せない!チャタリ!頼む、半分・・・』


 うるさいので伝声管の蓋を閉め、続いて船橋の部屋二つ挟んで後ろにある船長室直通の伝声管に呼びかけた。


「船長、起きてください」


 呼びかけからややって『ふぁ、ふへぇ』とか言うおよそ意味不明の声が聞こえて来たので、相手が起きたと判断したユロイスは要件を伝える。


「チャタリとダチュレが白鷺丸を発見しました」


 途端に船長室から何かをひっくり返す音、引き倒す音、ぶちまける音が若い女の悲鳴と共に壁と伝声管を伝わって派手に聞こえた。

 その後すぐに勢いよく船橋の扉が開き、茶色い馬革のフライトジャケットに身を包んだこの船の主が姿を現す。

 艶やかな黒髪をなびかせ、秀でた額の下の大きな目をさらに興奮で見開かせて黒い瞳に星明りを映す。

 手にしたゴーグル付きの革製の飛行帽を頭に乗せつつ、小さく形の良い鼻を息を荒げて広げ、血色の良い唇が開き、船長アマツ・アゲハは開口一発。


「アタシの獲物はどこ!どこ!!」

「方位マルーヨンーマル。距離1万。高度3500」


 ユロイスの間髪入れぬ答えに反応し、船長席に引っ掛けた専用の双眼鏡を取り対物レンズに我が目を寄せる。

 慌てて間違いに気づき、接眼レンズを覗き込む。

 そこに小さく姿を映したのは、左右にのびやかな翼状の船体を広げ、その上に煌々と輝く鳥籠型のガラス張りの船室を載せた優美な姿の飛行船。


「あの鳥籠みたいなのは、ご自慢の展望レストランとラウンジ、こんなイキった設計の船はそうは無いわ。あれは『白鷺丸』よ、間違いない!」


 浮かされたようにつぶやくと、全船内に声を送れる伝声管の蓋をあけ、手元のベルをせわしなくかき鳴らし。


「総員起コシ!総員起コシ!戦闘準備!戦闘準備!」

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