第10話 モーニング・ランチ

 ここリリカランの街でも、人口は数万人はいる。オレが殺された場所から考えても、犯人はこの街に住んでいるのが妥当だろう。


 「わかるわけないだろ! 数万人の男を一人づつ締め上げて、問い詰めろってのか? 『お前はわたしをレイプして殺した男か?』って!?」


 「みずからの手で相手を殺さなければ、彼女の魂は浄化しない。浄化さえすれば、死臭も消えるだろう」


 「……」


 「犯人はレイプ魔だ。特定はしやすい……がしかし、レイプ殺人はよく起こることでもあるのだが……」


 そこまで言うと、ニックは黙りこんだ。


 レイプ殺人はよく起こることだって? この世界の男はどうなっている。オレもAVのレイプモノは好きだが、実際にやろうとは思わない。目の前で自分をイヤがられたら、こっちはえるがな。それでも勃起する男って、頭のなにかの回路がショートしていると思う。


 “強姦ごうかんは死刑”。オルファが言っていたのを思い出した。そんなにレイプ殺人が多いなら、そういう法律ができるのも無理はない。


 そのとき、扉がノックされて、給仕が入ってきた。


 「侯爵さま、お飲みものはいかがなさいましょう?」


 「あ、ああ……。ビールを頼む。二つ……でいいな?」


 ニックはオレに目配せをした。


 はっきりいって、もうビールはどうでもいい。完全に酔いはさめていた。


 オレはいまからどうすればいいのだろうか。ニックの話を考えるたび、気持ちがどんどん沈んでいく。


 「死神と戦えないのか?」


 “窮鼠きゅうそネコを噛む”だ。やけくそで言った。


 「……名前さえわかれば、死神は寄りついても“連れて”は行けない……」


 「オレは名前を思い出せない。そうだ。あんたはオレがいた世界に行けるんだろ? オレの家に行けば名刺がある。それをとってきてくれれないか?」


 「あの店は、この世界でもあなたがいた世界でもない“アウターゾーン”。わたしはあなたの世界に行くことはできない」


 「じゃあ、どうすればいいんだ!」


 オレはテーブルを叩いた。


 いつのまにか給仕が部屋の入口に立っていて、両手のビールの泡を床にこぼしていた。


 「ああ、驚かせたかな。すまん。ありがとう……」


 ニックはビールを受けとった。給仕は申しわけなさそうに部屋から出て行った。


 「あなた……名前はなにか決めているのかね? この世界用に。名無しではこまるだろう?」


 「……ビアンカ……」


 「ビアンカか。わかった。あなたのことを、いまからビアンカと呼ぶ。ビアンカ、あなたがいた世界のことを、くわしく教えてくれないか?」


 「……」


 「あなたは日を追うごとに記憶が失われてしまう。いままでの経験や、元にいた世界のことも。話すことにより、名前も思い出すかもしれない。自分がいた世界のことを、書き残しておくことも大事だ」


 断る理由もない。


 それからというもの、ニックは根掘り葉掘り聞いてきた。オレがいた世界のことを。軍事や経済、文化や科学のことなどを。


 とくに食糧事情や科学のことを、何度も聞いては紙に書き残していった。オレも知りうるかぎりのことを話した。気分転換で気晴らしにはなった。


 それが終わったのは明け方だった。結局、いくら自分の世界のことを話しても、名前だけは思い出せなかった。


 その後、ニックは高級宿屋を手配してくれた。


 明け方にチェックインをした。さすがは高級宿屋だ。こんな時間にチェックインしても、フロントは怪訝けげんな顔ひとつしない。


 通された部屋はスイートルームだった。内装が豪華だった。王様の寝室のようだ。ネコ足の浴槽もあり、シャワーもあった。蛇口をひねれば、水もお湯も出てくる。「意外にハイテクなんだな」と思った。


 ニックはかなりの額のおカネを用立ててくれた。「いろんな話をしてくれたお礼」だと。


 彼はこの街のボスでもあり大富豪だ。この宿屋にしても、客室は埋まっていたらしいのだが、彼のコネで泊まることができた。なんでも、得意客の緊急宿泊のために、何室かはつねに空けているものだという。


 しかしながら、ニック=リリカラン侯爵は不思議な人間だ。さっきまでいた酒場での女将やまわりの客の対応は、敬意もなにもない。タメ口はあたりまえで、ニックも威張るそぶりもない。あきらかに、みんなから慕われている感じがする。


 そんなことを考えながらシャワーを浴びた。指を体にわしたとき、あらためて自分の体が女であると認識する。肌は白く透きとるようで、どこをさわってもやわらかい。


 中学生のころ「女の体になったら自分であちこちさわる」というのが夢だった。いざ現実になると、まったく興味がない。


 胸は重くて肩をこりそうだし、髪も長くて洗うのがたいへんだ。というより、それよりもはるかに重要な問題を抱えていて、いまはそれどころではない。


 だから、しょせんは夢であり、非現実なことなのだ。その非現実が起こるということは、非現実のイカれた状態を意味する。オレは“イマココ”ってやつだ……。


 ローブをまとい、ふかふかのベッドに横たわる。窓の外は次第に明るくなってきていた。鳥のさえずりや、荷馬車を引く音が聴こえる。「みんな朝が早いんだな」と思っていると、猛烈な眠気が襲ってきた。


 これが夢であってほしいと、このときばかりは思った。







 重厚感のある扉のノック音で目が覚めた。向こうから「ビアンカ様」っていう声が聴こえる。


 ベッドがら降りて、ヨタヨタあるいて扉を開けた。


 「……! ビ、ビアンカ様! まだお休みでしたか?」


 十代後半くらいのベルマンが、料理をワゴンに載せて立っていた。顔をうえに向けてあいさつをしている。目は天井を見ている。


 「もう起きるつもりだった……で、なに?」


 「はい! お食事をお持ちしました! いまはお昼ですが、ビアンカ様はお休みが遅かったので、一応あさのメニューをお持ちしました! メニューはですね……」


 「わかったわかった。ワゴンごと部屋に入れてよ」


 「かしこまりました!」


 あいかわらず上を向いたまま、ベルマンは部屋をあとにした。客の目を見たらいけないというご当地ローカルルールでもあるのだろうか。寝起きだったし、はやく出て行ってもらいたかった。


 ベッドに腰をおろした。ワゴンには、きれいな銀食器にパンやスープ、くだものなどがおいしそうに盛られていた。それらをボーっと見つめていた。


 ふだんはありえない夢のような部屋での食事が、ここでは現実だ。だんだん頭がえてくる。だんだん絶望に近いニックの話を思い出してきた。皮肉なことながら、夢のような状況は現実であった……。


 食欲はもちろんない。でも、残すのはもったいない。量もそんなに多くないし、時間をかけてでも食べることにした。


 窓のそとからはにぎやかな声が聴こえる。パンをかじりながら窓を開けた。広場を一望できた。中央に噴水があり、それを取りかこむようにいちが出ていて、大勢のひとでにぎわっていた。さすがは高級宿屋。ここは街の一等地だ。


 「ビアンカ様」


 扉がノックされた。さっきのベルマンの声だ。


 「どうぞ」


 「失礼いたします。先ほど、仕立て屋からお召し物が届きまして、それをお持ちしました!」


 「ありがとう。ところでキミ、なんでいつも上を向いているの?」


 「はい! こ、これは……クセであります! あ、あと、侯爵様からのお手紙も届いております!」


 ベルマンは手紙をライティングテーブルに置き、逃げるように部屋から出ていった。


 まずは服だ。じつはチェックインのとき、フロントに自分に合うサイズの服と靴を、適当に用意してくれとお願いしていたのだ。


 服を持って鏡の前に立つ。


 なるほど。ベルマンが目を合わせないわけだ。オレの上半身は、かなりはだけていた。


 動きやすい旅人っぽい服が用意されていた。フロントにはそこまでの注文はしていない。とにかくいま着ているボロを、なんとかしたいだけだった。気が利くフロントだ。こんな気の利いたサービスをしているからこそ、いつも客でいっぱいなんだなと思った。


 革製の靴もはき、ニックの手紙をとって読んだ。


 “おはよう、ミスター・ビアンカ。


 朝までいろいろ話してくれてくれたことを感謝する。


 状況は深刻だ。しかし、打開する道はかならずあると信じている。


 そこで、さっきまでいっしょにいた酒場に、もう一度行くことをすすめる。


 あそこには公示人や旅人が多数出入りする。なにか情報を聞けるかもしれない。


 健闘を祈る。


 「我思う、故に我在り」


 リリカランより”

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