解離
私の服用している避妊薬は低用量の28錠タイプのもので、28という数字はすなわち4週間を意味している。錠剤の詰められたシートには7つ並んだピルが4列ごとに並べられており、上の3列が白色、下の1列は黄色である。この薬を1ヶ月の間、日に1錠ずつ服用する。
白色の錠剤は避妊薬であるが、黄色の方は偽薬であり、所謂プラセボ錠という何の効果も持っていないものだ。服用期間で生理が訪れるのはこのプラセボ錠を飲んでいる時である。
前者の白い避妊薬を飲んでいる間は、当然副作用が出てくる。私の場合、少しの眠気と倦怠感がそれにあたる。寝起きは悪くなったし、体力は少し落ちた気もする。けれど、そんな僅かに不調の肉体に対して、精神の方はそれに反比例するかのように充足を極めていった。副作用である乳房の張りすら、心臓から溢れ出す熱情によるものであるかに思えた。
避妊薬は体を妊娠している状態にあると思い込ませることにより、卵巣の排卵を抑制する。生理が来ないことに関する安心感、これによって私の
この男の精神が再び戻ってくる現象は、しかし、私にはプラスの影響を与えた。かつての、前世の頃のような精神的な逞しさが一時的にではあるが、取り戻せたかのような気になるのだ。倦怠感や眠気のある肉体にも関わらず、思考は冴え渡り、普段よりもむしろ勉強が捗るくらいだった。
最も不思議なのは、日頃の私の生理前症候群は然程酷くないはずなのに、避妊薬の服用期間中に思い出されるそれは恐ろしいほどの苦痛として想起されることだった。中二から今まで、月経を理由に学校を休んだことすらない、この私がである。妄想の中の月経は考えれば考えるほどに私の肉体に仮想の痛みを顕在させ、しかしそれによって苛まれるはずの精神は、むしろその健啖さを取り戻していく。21日間という避妊薬を服用している期間、私の肉体と精神は全く別の場所にあるかのように思われた。
そしてプラセボ錠を飲む一週間に、ともすれば人工的と思えるような生理を迎えて、想像したほどではない苦痛と、それに反するように、大袈裟なほど私の精神は苛まれる。この一ヶ月、肉体の痛みと精神の苦痛は、完璧な反比例の曲線を描いていた。
これらの経験を通して私が得た知見は、肉体の痛みは必ずしも心を傷つけるわけではなく、精神を苛むものは現象そのものであるということだった。
私は普段、入浴の際あまり湯船に浸からない。別に月のものの日に限らず、日常的に入浴をシャワーのみで済ますことが多かったのだ。例外は、航平とともに湯船に浸かるときのみである。
この行動は初潮を迎えた日の失敗から来るものだ。母親という女の先達を失った私は、生理中に湯船に浸かってはいけないということを失念していた。中二の頃、前世の故郷から帰宅してすぐに入った湯船を、己の赤で染め上げたあの瞬間は鮮明なほどに覚えている。その失敗から学んで、浸かって良い日と悪い日の区別はすぐにつくようになったが、何故か私は良い日であっても湯船に身を沈める気にはなれなかった。
男であったとき、私の身体は閉じられていた。密室の中で渦巻く欲とプライドは、私にとっての生命力に他ならず、時折の自慰によって吐き出される白濁はその残り滓だったのだ。
女の身体は常に開け放たれている。内に溜め込んだものは一月ごとに必ず流れ出てしまい、湯の中に浸かれば、その流出はさらに加速させられるように思ったのか、自然、私は皮膚の上をなぞるシャワーのみが心地よいものとなった。月経の赤泥は私の生命力そのものに思えて、それを失った肉体はそのたびに空虚さを突き付けられる。
湯船で身を揺らす度に、股ぐらを通る湯の流れが恐ろしかった。私の中の、重要なものを根こそぎ奪われるかのように思われるのだ。
航平と風呂に入るときは、その恐怖は感じなかった。おそらく、その時の私は、重要なものを航平に一時的に預けることにより、その恐怖から逃れることが出来ていたのだろう。どうぞ、好きなだけ私を暴いてください。そこには何もありませんから、そういう無意識の声が木霊するのを、当然航平は何も知らない。
避妊薬は、私の肉体を一時的に閉じてくれた。普段なら流出するものは遮られ、安心して私は湯に浸かることができたのだ。
センター試験を一ヶ月後に控えた12月、予定していた通りの時期に生理周期をずらす事に成功した。本来なら、頭を鈍らせる副作用がある避妊薬はここで御役御免となる。けれども、私は年明けからも避妊薬を服用し続けた。「これは受験が終わるまでだから」、そう誰に言うでもなく、心の中で言い訳しながら。
ところで、同じく女子の陽菜はどうしてるかと言えば……。
「え、ウチは私立しか受けへんし、たぶん今のままでも問題なさそうやから薬は使ってへんで」
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