強迫観念
「桜田先輩、好きです、付き合ってください」
私にそう告げてきたのは、図書委員の後輩の坂崎くんであった。彼が告白に選んだ場所は図書館の第2書庫。ほとんど人の来ない狭く古ぼけたこの部屋は、誰にも知られずに愛を告げるにはうってつけの場所だろう。
別に手紙で呼び出されたりした訳ではない。たまたま、今日という日に司書から押し付けられた仕事を坂崎くんと一緒にこなしていただけだ。
段ボールに詰められた古い本を二人で手分けしながら整理していると、坂崎くんが手を止め、何かを思い詰めたような顔をした。はて、何かあったのだろうかと思い、どうしたのと尋ねた結果、返ってきた言葉が先の告白であった。
「いきなりだね、坂崎くん」
「あ、すみません、でも俺は本気です」
先程の思い詰めた表情は何処へやら、頬を引き締めて宣言する後輩の少年をどう思うべきか。
「私、彼氏いるよ」
「知ってます」
知っていたのか。そうか、なるほど。
いまいちこの少年の真意が掴めない。彼氏持ちの女に告白するという戦略は、まあアリとは言えるが、それでもリスキーな行動であることに変わりはない。思春期特有の突発的な行動かと結論づけてから、彼に返事をした。
「ごめんなさい、お断りします」
「……ですよね、わかってました」
最初から断られることがわかっていたのだろう、坂崎くんはそれほど落ち込んだ様子を見せなかった。この告白も上手く処理できたと安堵しながら、段ボールを指差して作業を続けようと坂崎くんに言った。彼は元気よく、はいと応えた。
狭い室内で二人、無言で作業を続ける。やや気まずい空気だが仕方ない。坂崎くんと離れた場所、この部屋の一番奥まったところで作業をすることにする。入り口付近にいる坂崎くんと距離が取れたことにより、会話をする義務感が無くなって少し楽になる。
テキパキと作業をしていると、ふと、背後から視線を感じた。チラリと振り返って見ると、当然その視線の主は坂崎くんである。振り返った私と目が合うと、彼はすぐに作業に戻った。
数分が経って、また視線を感じた。今度は振り向かずに横目で様子見してみる。先程よりも長かったが、坂崎くんはしばらくすると作業に戻った。特に気にするほどのことでもない。告白した相手がすぐそばにいるというのは気分が落ち着かないのだろう。意識的に坂崎くんの情状を推論していると、不意に、下らない妄想に襲われた。
本棚の上から幽霊が降ってくるという妄想だ。日常生活で突発的かつ無意識にやってしまう下らない妄想は、しかし、今の私には何か突き刺さるような感覚を覚えさせた。首を上げて本棚の上を見る。薄暗いけれど、そこには何もいない。当たり前だ。
気を取り直して段ボールから本を持ち上げる。その時、視界に入った自分の腕が粟立っていることに気がつく。沸々と隆起する毛穴の縁は、まるで私に何かを訴えかけるようであった。
そこでまた、視線を感じる。今度は振り返った。坂崎くんと目が合う。お互いしばらく見つめ合いながら、何かを牽制し合う。いや違う、牽制しているのは私だけだ。その証拠に、坂崎くんは手元の本を指差して、これはどこのやつですかと聞いてきた。正しい本棚を場所を教えてから、私はすぐに自分の作業に戻る。視界に坂崎くんを入れようとしない、無意識の意図が私にそうさせた。
周りに目を向ける。この部屋には窓がなく、入り口は1つしかない。すりガラスすら填められていない重厚なその扉は閉じており、高い防音効果が期待される。これらの設備は全て本を適切に保存するためだ。次に、現在の私と坂崎くんの位置を確認する。入り口に近い場所に坂崎くん、本棚に挟まれた一番奥の空間に私がいる。
ここでまた、私は下らない妄想に駆られた。坂崎くんが、いきなり私に襲い掛かってくるという妄想だ。先程の幽霊のものよりも現実味があり、想像しやすかった。この薄暗く、窓の無い部屋で襲われたら私はほとんど抵抗できずに陵辱されるだろう。思えば、このような空間で告白されたのは初めてのことだった。
自分の腕を見なくても、鳥肌が立っていることがわかった。
襲われる、襲われる?
それが現実になったとしても、女の悲鳴のソプラノであれば重厚な扉など容易く貫ける。その音はすぐ隣の図書館にまで届き、すぐに助けが来て私は救われるであろう。けれども、私にはそんな高音を出せる能力があるように思えなかった。恐怖によって喉が押し潰されるのではない、むしろその逆、膨れ上がった屈辱と傷つけられた自尊心によって私の頚は押し上げられ、仮想の喉仏が作り上げられるように思われる。私の悲鳴はその出っ張りに封殺され、内部でしか反響しない。もしもそんなことが起これば、今度こそ私の人間性は崩壊するだろう。
もちろん、そのようなことは万が一にもあり得ない。坂崎くんは紳士的な少年だし、決して乱暴を行える種の人間ではない。そもそも、そういった種の男は図書委員などやりはしない。しかし、無意識のうちにしたとはいえ、彼を性犯罪者にしたてあげる妄想などあまりにも失礼だ。
「桜田先輩」
「……なに?」
「いや、手が止まってたので」
考え込み、ぼうっと突っ立っている私を心配したのだろう、眉を寄せながらこちらを気遣う坂崎くんは、先の私の妄想とはかけ離れていた。当たり前だ。
「ああ、ごめんごめん、ちょっとぼうっとしてた」
「大丈夫ですか?」
「お手洗い行ってくるね」
優しげな声の坂崎くんの横を足早に通りすぎて第2書庫を出る。
廊下に出て、すぐ隣にある図書館に入ると、陽菜が文庫本を読みながら貸し出しカウンターに座っていた。ちょうどいい、付き合ってもらおう。
「ねえ陽菜」
「どしたん美咲、もう終わったん?」
「いやまだ、ちょっとお手洗い行こ」
「ん、わかったわ」
陽菜は読んでいた文庫本を閉じると、私についてきてくれた。
女子トイレに入って、中に誰も居ないことを確認する。洗面台の前で立ち止まって陽菜と向き合う。鏡の前で振り返った私に対して、陽菜は首を傾げた。無防備な陽菜の腰に両腕を回して、そっと抱き着いた。
何も言わず突然抱き着いた私に、陽菜は全く文句を言わず、それどころか抱き締め返して頭を撫でてくれた。豊満な陽菜の胸元に鼻を埋めながら、ゆっくりと呼吸する。仄かに甘い、女性らしい香りで肺が満たされる。
「なんかあったん?」
「……なにも」
「そっか」
そのあとも、陽菜は特に追及することもなく、頭を撫で続けてくれた。
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