お風呂

 

 自宅に戻り、まず最初にやろうと思ったことは入浴であった。昨晩は風呂に入っていなかったし、冷えた体を暖めたいとも思ったからだ。

 帰宅してすぐに風呂の電源を入れ、お湯を張る。浴槽が満たされるまで時間がかかるので、ストーブの前で座りながら体を暖めていると、ふと、航平を呼び出そうと思った。今日は休日であり、確か剣道部の練習も無かったはずだ。


 カバンからスマホを取り出して航平に電話する。すぐに応答があった。


「もしもし、今家にいる?」

『ああ、そうだよ』

「今から私の家に来てよ」

『何するんだ?』

「一緒にお風呂、入ろう」


 突然の提案なので、航平は驚いたらしく、少しの沈黙を挟んでから聞き返してきた。


『……いきなりどうした』

「入りたくないの?」

『入りたい』

「じゃ、待ってるから」


 そう言って電話を切った。程無くしてインターホンが鳴り、ドアを開けると航平がそこにいた。手には着替えを持っており、その布の間には小さな箱が挟まれているような脹らみがあった。現金なものだと呆れながらも、別に悪い気はしない。そのままリビングまで航平をあげると、目敏い彼は放置されたままのキャリーバックに気づいた。


「どこか行ってたのか?」

「ちょっと、父親のところまでね」

「……」

「来月から私と一緒に住んでくれるって」

「おお! まじか!」


 航平は私と父の複雑な関係を知っていたので、素直に喜んでくれた。昔からよく気を使われていたので、今後はそういった引け目もなくなる。ああ、やはり、悩まず父親のところへ行ってよかった。成果が得られたという達成感は実に心地よい。


『お風呂が沸きました』


 お風呂の操作パネルからアナウンスが鳴った。同じマンションなので航平もこのアナウンスを聞き慣れているはずなのに、びくりと肩を震わす彼の初々しさを愛しく思った。


 着替えを持って、脱衣場に二人で入るとやや手狭であったが、それを不快には思わない。


「ねえねえ」

「ん?」

「服、ぬがせて」


 頭上の航平に向かって、万歳をするような体勢を取り、やや甘えた声でそう頼む。航平の指が私のセーターの裾に伸びてきて、捲るようにそれが上げられた。私もそれに合わせて体を動かし、セーターから胴を抜き取る。


「シャツも」


 セーターの下に着込んでいたシャツのボタンを掲げるように、胸を張り航平に迫る。ゴツゴツした指が、恐る恐るといった感じで小さなボタンを外していく。ブラが見えたが、むしろそれを誇らしげに張って、今度はシャツの無くなった背中のホックを見せつける。何も言わずとも、航平はそれを外してくれた。

 上半身が裸で、その下にはまだスカートが残っているという、蛮族のような姿になる。


「スカートもお願い」


 スカートの腰のホックを航平に寄せて、同じように頼む。果たしてスカートが下ろされると先程のブラと同じ柄のショーツがあらわになり、私はそのまま隠すでもなく棒立ちする。

 航平も、ここまでくれば最後までやり遂げようという感じで、私のショーツを下ろした。航平の持つショーツから足を抜き取り、全裸になった私は先に浴室に入った。



 シャワーで体を流していると、遅れて航平が入ってくる。

 二人で一緒に体を洗ってから、さあどちらが先に髪を洗おうかというときになって、私は先程と同じように、甘えた声で航平にこう言った。


「髪、洗ってよ」

「……上手くやる自信ないぞ」

「優しくやってくれればそれでいいから」


 そういってから、躊躇いの残る航平にシャンプーを渡して、バスチェアに腰を下ろす。手前に垂れた髪を後ろにやってのけて、航平に背中を向ける。そのまま何も言わずじっと待ち続けていると、航平も観念してくれたのか、シャンプーのノズルを押した。


 太く、逞しい指先が私の髪束の中に割って入って、その奥の頭皮が愛撫される。航平はかなり優しめにやっているつもりなのだろう、それでも私からすればやや乱暴なその撫でかたは、しかし、不快ではなかった。2日分の汚れを落とすためには、むしろそれくらいのほうがちょうどよいとすら思える。


 ストレートの、背中まで垂れた私の黒髪は男には洗いづらかろう。けれども、拙い手つきの航平にはどこか愛着を覚えてしまう。無垢な少年の心に、自分という存在が確かに刻まれていくのを実感した。


 ゆっくりと、丁寧に時間をかけて擦られる私の後ろ髪。そこから伝わる少し遠くの感触が頭皮の神経を通して、私の官能に火を灯す。


「これくらいでいいか?」


 本音を言えば、もう少し続けてほしかったが、髪には十分に泡が撫で付けられている。いいよ、と航平に言うと彼はシャワーノズルを左手に持ち、そこから出る湯の温度を右手で確かめてから、私の頭頂部にかけてきた。シャンプーの泡が全て洗い流される。


「これがリンスね」


 女の髪には、まだまだ続きがあるのだ。



 リンスもトリートメントも済ませて、髪を纏めてから私だけ先に湯船に浸かる。小さい体はコンプレックスではあるが、浴槽で足を伸ばせるという利点だけは素晴らしい。肘を浴槽の縁に乗せながら、シャワーで頭を洗っている航平を眺める。ノズルに対して頭を垂れて、両手を雑に動かしている。その腕の筋肉は逞しく、先程まで私の髪がそれによって扱われていたことを思い出すと、無性に喜悦を覚えてしまう。


 洗髪を終えた航平が湯船に入ってくると、溢れた湯が勢いよく外に流れ出た。航平のためにスペースを開けてやり、私は彼に後ろから抱かれる体勢になる。浴槽に満ちる湯の縁は弧を描き、浴室照明を反射して煌めいている。


 航平の股に私の臀部はすっぽりと嵌まりこみ、背中を彼の硬い胸板に預ける。湯と、航平の体温のお陰で、すでに私の体から冷えは消え去っており、骨の髄まで暖かい。


 航平の腕が、私の肩を抱き締めるように回された。自分の鎖骨に乗せられた逞しい腕を見ると、髄液が沸騰してしまうのではと思うほどの熱が一瞬体内で渦巻く。その熱を逃がしたくないと、抱き締めるように、私は両手を航平の腕に引っかけ、自分の胸に押し付ける。


「お父さんが帰ってきたら、これまでみたく、頻繁にはできないね」

「……別にいいよ。美咲が幸せならな」


 優しげな低い声が、吐息とともに私の頭にかかる。その響きにゾクゾクと上り詰める何かを感じて、私は航平にこう言った。


「今日は、ここでしよっか」

「二回も風呂に入るの面倒だしな」


 実利を語る航平にほんの少しの不満と、大きな期待を抱きながら、私はより深く肌を沈めた。



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