スマホの目覚ましで起床する。時刻は朝の5時だ。ベッドを降りてキッチンに向かう。台所で手を洗ってから冷蔵庫を開けて、余っている適当な具材を取り出して並べる。まな板の上でそれを切り刻み、油をひいて温めたフライパンに入れて大雑把に炒める。


 お弁当の具材は余っている食材を処分するのにちょうどいい。炒め物が出来たので、冷凍食品を出して電子レンジに入れる。今日はシュウマイにしておいた、賞味期限が近いから。


 おかずの用意が済んだので、弁当箱を2つ取り出して昨晩セットしておいたお米をその中に詰める。そのあと反対のスペースに炒め物と冷凍食品を入れて蓋をして完成である。

 大きいお弁当と小さいお弁当、二人分の昼食が完成した。


 そんな風に一仕事終えると時刻は6時、そろそろ着替えようか。自室に戻って高校の制服に着替える。地元では可愛いと評判のデザインの制服で、私もわりと気に入っている。



 7時になったので、お弁当を袋に詰めて片方を自分のカバンに入れる。もう片方は手に持ったままで、家を出てすぐ隣に行く。インターホンを押すと、ちょうどよいタイミングだったのか航平がすぐに出てきた。


「おはよ、航平」

「おう、おはよう」

「はいこれ」

「サンキュ、いつもありがとう」


 大きい方のお弁当を航平に渡してあげた。中学の時は給食だったが、高校には給食がないので私が航平のぶんもお弁当を作ってあげているのだ。航平のお母さんは忙しいから、その代わりである。


 この少年はあまり食事に頓着せず、気を抜いたらいつもコンビニ弁当ばかり食べていたので、それを見かねての行動だった。まあ、私にとってはある意味航平へのお礼も兼ねているのだが。いや、お礼というよりは罪滅ぼしかもしれない。


 マンションを出て最寄り駅まで二人で歩く。


「あ、そうだ航平」

「どした?」

「私、今度からバイトすることになったんだ」

「マジか、どこで?」

「いつも私が行ってる喫茶店」

「ああ、あそこか。へえ、頑張れよ」

「うん」

「変な客に気を付けてな」

「…………子供扱いしないでよ」


 最近、航平に子供扱いされることが多くなった気がする。きっかけは恐らく、去年の泥棒の一件だろう。あの頃から航平が私を保護するべき対象として見ているように思える。




 高校に入学する前の春休み、私が航平に告白して付き合いはじめてからはそれが特に顕著になった。


 今世の私にとっては初めての彼氏、航平にとっても最初の彼女だ。男にとって最初に付き合った女というのは、嫌でも記憶に残るものであり、わりとその後の人生に目に見えない影響を与えたりする。だからこそ、それが私みたいな出来損ないで申し訳ない気持ちがある。私の前世のことは誰も言っていない、言うべきではないし言う意味もない。例外は山本くんだけだ、ちなみに彼も私や航平と同じ高校に進学している。


 最寄り駅について電車に乗る。そこそこ人が多く、私みたいに小さな人間は人の波に押し流されて大変だ。おまけに、つり革に手が届かないのも問題だった。電車が揺れる度に、反射的に腕を伸ばすけれど、それはどこにも届かない。なので、最近はこうすることにしている。


 右腕でつり革につかまる航平の、左腕に私がつかまる。彼の脇に自分の腕を通して、彼の肘を自分の脇に押し付ける。皮下脂肪の多い女の肉に、筋肉質で骨ばった男の腕が沈み混む。


 毎朝、これで電車に乗るたびに自分の女性らしさを再確認する。自分にとってはある種の儀式だ。


 私が航平に告白したのも、彼を利用して自分の性別を女に近づけるためだった。自分の身勝手な行いに彼を巻き込んでしまうことは申し訳ない。けれども、それが心地よいのも事実で、そんな自分を自覚してはさらに罪悪感を覚える。


 ちなみに航平にはこの行為を痴漢避けと電車のつり革の代わりであると言い訳をしている。最近は、よく嘘をつくようになった。


 目的の駅に着いたので、航平に手を引かれながら降りる。同じ制服を着た学生がまばらにいて、私も航平もその中に溶け込むように学校へ向かう。


 学校に着いたあと、航平と別れた。航平は剣道部の朝練、私は図書館の受付だ。まだ人の少ない校舎を歩いて職員室に向かい、そこで図書館の鍵を受け取る。図書委員の仕事はとても簡単だ。朝早く登校するのが少し辛いが、それだけ。

 図書館の鍵を開けて中に入り、カウンターに座る。当然、まだ誰もいない。そもそも朝から図書館に来る学生は少ない。寂しげな雰囲気の図書館だが、私はこの空間が好きだった。閉められた窓の外から、グラウンドで朝練に励む野球部の掛け声が聞こえる。時折、金属バッドで球を叩くコンという高い音が窓を震わせる。すぐそばで練習しているが、ガラスの窓があるため、その音はどこか遠くから聞こえるように錯覚する。


 カウンターにあるパソコンを起動して、貸し出しシステムを呼び出す。そのあとは、ただ学生を待つだけだ。座っているだけの簡単なお仕事。カバンから文庫本を取り出して、しおりを挟んだページを開く。誰もいない、静かな空間は読書に最適である。



 静かで、冷たくて、乾いていて、すこし薄暗い。不純物のない透明な空間。私は朝の図書館の空気が大好きだった。



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