第135話
だけど未来を覆しても、彼のプライドを傷つけたとしても、私は彼を守りたかった。これはもうただの漫画の中の世界じゃない。私の物語になってしまったのだから。
「別にそんなの気にしないから。オレはナツを泣かせない。嫌いにもさせない。これは“確固たるオレの意思”だよ」
先程の私の啖呵をイェナが繰り返す。よほど面白かったのか、思い出してまたククッと短く笑った。
「笑いすぎですよ……」
目の前の男を睨みあげると「ごめん」と短く言ってまた私の頭の上に手を置いた。
「オレはね……自分が死ぬ覚悟はできてるし死ぬのを怖がったことはない。誰かが死んでもオレには関係ない。……でも、オレが死んだらナツとはもういられない。ナツを一人にしてしまう。それは嫌だ。そういう意味でなら、“死ぬのが怖い”ってみんなが言うのも分かる気がしたんだ」
イェナの言葉はいつも素っ気なく発されるのに、愛情がそこら中に散りばめられている。
自分の死すら怖くない──。そんな人が、私が消えることを何より恐れている。
好きだと言われなくても伝わる。むしろそれ以上の愛の言葉に私の胸は熱くなった。
「大好きです、イェナ様……っ」
「……うん、ナツだけは、誰にも渡さないよ」
背の高い彼を見上げる。首の後ろを支えてくれる冷たい手と腰を抱く腕。伏せたまつ毛に見惚れていたら、ゆっくりと唇が重なった。
温もりが離れて、思わず溢れた笑みにイェナは微笑み返す。
「世界で一番、大好きです!!」
「──当たり前でしょ」
数ヶ月前には当たり前ではなかったはずの日常が、今はもうなくてはならないものになった。
「愛してます……」
「……うん。ナツからそれを言われるのがオレは気分がいいみたい」
「へへへ、それは私も知ってます」
本来は変人で無表情で堅物な悪役である彼は、正義感あふれる主人公ではない。私だって激弱メイドで、正義感あふれる元気っ子ヒロインや癒し要素たっぷりの女神系ヒロインとも程遠い。
それでも私にとってイェナは最推しよりもカッコいいヒーローだ。
「──本当に、ナツはオレの知らない感情をたくさん教えてくれる。それも不愉快じゃないから不思議だよね」
「まだまだこれからですよ、覚悟はいいですか?」
「……期待してる」
涙はまだ枯れないし、気が緩めばもうこの世にはいない彼らを思って辛い思いをするだろう。
誰かが言った。「世界は残酷だ」と。けれど別の誰かは笑った。「それでも、世界は美しい」と。それは私がいた世界?この漫画の世界?それとも私が知らないまた別の?
──時には冷たく厳しい顔を見せ、時には優しい温もりをくれる、そんな世界。その振り幅に差はあったとしても、どんな世界に生きる人にも試練は訪れる。
それを仕方がなかったと諦めるのか?
同じ過ちを繰り返さないように改めるのか?
それはその人にしか決められない。
だから私は前に進むしかない。辛くても悲しくても、私は足を進める。隣にはイェナがいてくれるなら、この残酷な世界も美しいと思えるから。
私はまた笑って踵を浮かせると、イェナの背中に手を回し体温のあるその身体を消えてしまわないようにしっかりと抱きしめた。
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