第50話

 その後私は席を外し、仕事に戻った。そして廊下の窓拭きの最中、応接室の扉が開いたのが見えてお客様であるフランのお見送りついでに──先程言えなかった言葉を告げに向かった。


「──フラン様!」

「あれ……ナツさん?」

 イェナも不思議そうにこちらを見ているが、構わず私は話し出した。

「先程のお話……!」

「……?」

 フランは首を傾げる。依頼の件かと思ったようだが、私が言いたかったのはそこじゃなかった。


「“普通”は血なんて見慣れてないものですよね」

 そう、彼が自分を”情けない“とばかりに鼻で笑った。それを撤回してほしかった。


 確かにこの世界で──しかもイェナたち裏の人間の中では稀有な存在かもしれない。けれど、そんな純粋な心を自分自身が笑ってほしくなかったのだ。


「私も同じなんです。情けないでしょ?」

 あなただけじゃない、とそれだけは伝えたかった。少しでも彼の心が楽になるかもしれない──なんて、自己満足もいいところだけれど。

「……ふふ、面白い方ですね」

 最初は面食らったような顔をしていたが、私の気持ちを汲んでくれたのかクスクスと笑ったフランにホッと一息つく。


「あの……これは本当に、侮辱しているのではないのですが……この世界に来て初めて“普通の人”に出会いました」

 どうしてかなんて明確な理由なんてないけれど、フランは“普通”であることを望んでいる気がした。だから敢えて無礼も承知でそう言ったのだ。


「“普通”……」

 誰よりも早く反応したのは──何故か私の主だったけれど。


「フラン様は私と似た価値観を持っている方のようです」

 伝えたいことが全て言い終わると、私は息をつく。すると呆気にとられていたフランが顔を歪めて──大笑いしだした。


「──そうですか、私が“普通”だと……初めての経験です」

 ひとしきり笑ったその人は、目に溜まった涙を拭う。そんなに面白いことを言ったつもりはないけれど……どうやら晴れ晴れとした表情をしているから良しとしよう。


「──イェナ、良い女性を婚約者にしましたね。あなたを良い方向に変えてくれそうな気がします」

「……」

 フランが私の隣で真剣に考え込んでいるイェナを見遣る。

「羨ましいです。私もこんな女性と出会いたいものですね」

 お世辞ではあろうが、素直に受け取って照れているとイェナはふいっと顔を背けた。


 ──どうやらあまり機嫌が良くないらしい。


 だけどこの時の私は特に気に留めることも無く──帰宅するフランに大きく手を振って見送った。

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