第6話

「ナイスピッチング! 大将」


ダケさんが手をたたいて喜んだ。


「絶好調やないか、さすが我が商店街野球チーム『ボロ勝ち』の

 エースピッチャーや。この調子やったら、

 明後日の『寿ファイターズ』との試合は心配ないな」


ダケさんが、うんうんと頷き、ひとりで納得している。


「『寿ファイターズ』ってあの『寿コンツェルン』の社内野球チームですか?」


宝生が尋ねる。


「そうや、最近この近くに営業所を作りよったらしく、

 地元との親睦を兼ねてちゅうことで、

 地元リーグの優勝チームであるわしらに、試合を申し込んできよったんや。

 せやけどわし、あいつら気に食わん。なんや派手なシャツ着て、

 紫のネクタイしとったわ」


ダケさんが憎ったらしく、思いっきり顔を顰めた。


うん? なんか引っかかるぞ。

派手なシャツを着て、紫のネクタイ……。

明後日の日曜日に試合。

寿コンツェルン。


いくつかの単語が聡子の頭の中で結び付いた。

そして数日前に会社の第二応接室にやってきた、

微妙な営業マンに思い当たる。


「ああ、あのグッチに土下座して詫びなきゃならない人ね」


聡子はぽんと手を打った。


「あの……奴らには、あまり関わりあいにならないほうがいい」


宝生の顔が曇る。


「なあに、心配いらんさ、

 わしらだって好き好んであの連中と関わりあいになりたいなんて

 思っちゃいない。それに兄ちゃんも富雄の大将のピッチング見たやろ? 

 この分やったら大丈夫、楽勝や」


ダケさんは自信満々に胸を張って見せた。


「明日堤防のグラウンドを借りて練習をするねん。

 よかったら兄ちゃんも聡子ちゃんも練習見に来てくれよ。

 なんなら一緒に参加してくれてもかまわんで」


「あっはい、是非参加させてください」


ダケさんの申し出に、宝生が笑顔で応じた。


「ええ? 社長いいんですか? 

 ただでさえ忙しい方なのに。たまの休みなんですから、

 無理しなくて全然いいんですよ?」


聡子なりに宝生に対して気を使ったつもりだったのだが、

宝生はかえって機嫌を悪くした。


「っていうかぁ、プライベートできてるんだしぃ~、

 いい加減俺のことを社長と呼ぶのをやめてもらえませんかぁ? 聡子さん」


宝生はわざとらしく語尾をギャル風に伸ばしているが、全然可愛くない。


「では、なんとお呼びすれば?」

少し改まって聡子が尋ねる。


「彰(あきら)、もしくは彰くん♡と語尾に♡マークを付けてくれれば尚よし」


「あっ宝生社長、夜も更けてきましたことですし、そろそろ……」


宝生のリクエストを完全にスルーし、『お開きに』と聡子が言おうとした時だった。


店から女将が顔を出した。


「今夜は是非うちでお泊りになってくださいね、彰さん」


女将は有無をいわさぬ押しの強さで、

宝生の腕をむんずと掴んで離さなかった。


◇   ◇   ◇


宝生と聡子を商店街にある銭湯『宝湯』に見送った後、

お茶を淹れながら聡子の母である女将は神妙な顔をした。


「私、これは千載一遇のチャンスやと思ってるねん」

「へえ? 何の?」


富雄が間の抜けた声を出した。


「もう、あんたは鈍ちんやねんから! 

 イライラするわ。聡子のことやないの」

「聡子の?」

「そうや! 聡子と宝生さんをくっつける千載一遇のチャンスなんや」

「ぶっ」


富雄がお茶を噴いた。


「宝生さんはああ見えて、大手上場企業、宝生グループの社長さんや。

 宝生さんとくっつけば、聡子は一生食いっぱぐれはない。

 さりげなく探りをいれたら、バツイチやけど今は三十歳の独身やて。

 しかも聡子にまんざらでもない様子やし……後は既成事実や」


さらりと爆弾発言を言ってのけ、女将は割烹着の腕をまくった。

腹を括った女は強しである。

女将の目は獲物を狙う鷹のようにらんらんと輝いていた。


「き……既成事実!!!」


富雄が妙に声がひっくり返った素っ頓狂な声を出した。


「お前、そんな急に……。

 こういうことはまず本人の意思が大事なんちゃうんか?」


「なに、悠長なこと言ってるねん。

 あんたがなまじ野球なんか教えこむから、

 あの子色気のない子に育ってしもうて、

 今までの二十五年間にあの子に彼氏がおった時期があるか? 

 かわいそうにラブレター貰ういうたら、

 可愛らしい女の子からばっかりやったやん。

 クリスマスケーキでもな、二十五日を過ぎたら売れへんねんで。

 ここがあの子の人生の正念場やねんから、

 お父ちゃんは口出しせんといてや」


 富雄の脳裏に聡子と過ごした今までの人生が、走馬灯のように頭を駆け巡った。


「おめでとうございます! 女のお子さんですよ」


三千二百グラムで生まれた我が娘を抱き、

『真弓』と名付けようとして、妻にどつかれたこと。


愛娘とともにはじめてキャッチボールをした日のこと。


聡子六歳の誕生日に『聡子、大きくなったらお父ちゃんのお嫁さんになる♡』と言ってくれたことを思い出した。


「ああもう、鬱陶しいから泣きな!」


女将が富雄をどやしつける。


「泣いてへんわ! ちょっと目ん玉から鼻水が流れ出ただけや」


富雄は天井を見つめ、一生懸命に涙を堪え感慨にふける。


一方で女将は台所の下から怪しげな瓶を取り出した。

一升瓶の中ににゅるりとヤツのシルエットが揺れている。


女将がニヒルに笑った。


「ふっふっふ。これが貴美子さん秘伝のラブジュース、

 マムシドリンクや。

 これで明日には、宝生さんは聡子のお婿さん♡やし」

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