第16話 それは誤解です

 sideシェルト


 俺が下げた頭をあげると、4人とも笑顔で歓迎の拍手をしてくれた。

 マスターは「やっと楽ができる」と肩の力を抜き、女将さんは「情けないわねぇ」とマスターの背中を叩く。ジャックさんは料理の研究が更にできることが楽しみなようで、別世界に意識を飛ばしていた。


 そしてアメリーは「宜しくね」と声に出さず口だけでハニカミながら密かに伝えてきた。どれだけ可愛いんだ俺のご主人様は!と心の中で悶絶する。



 過去の不安が拭いきれたわけではない。でもマスター達はこの10日ほどでいい人だとじゅうぶんに分かったし、なによりアメリーが側にいる。

 俺がにゃんこ亭の正式スタッフということはこれからずっと朝起きてから、夜寝るまでアメリーと一緒に過ごせるという事だ。

 しかも3食とも俺の料理を食べてくれる。アメリーがその時間を好きだと言ってくれた瞬間に不安なんて吹き飛んだ。



「そういえば、正式ににゃんこ亭の一員になったシェルト君の家のことなんだが……」

「あ……」


 マスターの言葉を聞いて幸せな思考が止まる。そうだった。臨時で短期だからアメリーの部屋に転がり込むのを了承を得たんだったと、冷静に思い出す。

 流石に長期で住むことは許されないだろうか……と、とぼけた顔をしながらどうにかする方法を必死に考える。

 アメリーが良くても、バレている状態で大家のマスターが異論を唱えたらさすがに隠すのは難しい。


 出ていきたくない。アメリーのそばに居続けるにはどう話を捏造するかと頭を動かす。

 だが、それよりも先にマスターの口が開いた。



「シェルト君に不自由がなければ、そのままアメリーちゃんの部屋に住むのはどうだろうか?」

「へ……はい? え?」



 かなりマヌケな声が出てしまった。

 まさかのマスターから意外な提案に耳を疑う。それよりジャックさんには内緒ではなかっただろうか……とジャックさんを見るが案の定、目が落ちそうな程見開いてワナワナと震える手で口を押さえていた。


 そんな魂が口から出ないようにしているジャックさんの背中をマスターはバシバシ叩いた。



「ジャック、実はシェルト君が助っ人に来たその日からアメリーちゃんの部屋に居候してたんだ」

「はぁ!? 年頃の男女を一緒に住まわしたのかよ。アメリーに押し付けたんじゃないだろうな?」


 一瞬マスターの目が泳ぐ。俺がそうなるように誘導してしまったんだが……なんだか申し訳なくなってきた。マスターは悪くないというのに息子に責められるとは……



「コホン。シェルト君は煩悩に負けない紳士なんだよ。アメリーちゃんが警戒していないのが、手を出していない何よりの証拠だろう。なぁ? アメリーちゃん、何か困ったことあったか?」

「いえ、むしろ快適です。美味しいごはん最高です」


「ほら、シェルト君は素晴らしいだろう!お前とは違うんだよ」

「まじかぁ……シェルトさん、あなたって人は」



 ジャックさんから寄せられる物凄い尊敬の眼差しが俺の良心を痛ませる。

 すみません……本当は煩悩の塊なんです。

 最終的な目的のために慎重に、時々大胆に本能に忠実に動いてるだけなんだ。そんな事が言えるはずもなく、謙遜するしかない。


「いえ、お世話になっている方の信用は裏切りたくありませんから」

「よし、俺が持っている近所の物件が空いたら教えてやる。それまで変わらずアメリーちゃんの家から通うってことで良いな?」



「私は大丈夫です!」

「では俺はお言葉に甘えて、宜しくお願いします」


 マスターの最終確認にアメリーと俺は一緒に頷く。

 あぁ、なんだこの二人で一緒感。親に認められたようなカップルのような、新婚夫婦のような気分に顔が緩んで崩壊しそうだ。



 だが油断はいけないと顔と共にすぐに気持ちを引き締め直す。近所の物件が空いてしまっては、やはり屋根裏部屋から出ていかなければならないだろう。

 アメリーがOKなら継続、と簡単に甘えてしまうと俺の好青年イメージが崩れて色々やりにくくなる。そうなる前にもっとアメリーが俺を必要としてくれるようにしなければ。



「みなさん、おかしいです!」



 話がまとまったと和んでいると、悲鳴に近い声が突然店内に響く。そこには夕方から来るはずのリコリスさんが、怒りの形相でこちらを睨んでいた。



「リコリスちゃん……今の話……」


 マスターが明らかに「しまった」という顔で頭を抱えた。

 アメリー、女将さん、ジャックさんも「あちゃー」と揃ったように手を額に当てて天を仰いだ。

 ジャックさんがひそっと「リコリスはアメリーが大好きで、常識を重んじるんだ」耳打ちしてくれた。



「私は認めませんよ。いくらアメリーさんが良くても同世代の男性と同じ屋根の下に住まわすなんて、常識を考えてください。アメリーさんの優しさを利用するなんて駄目です」

「でもシェルト君はこの10日間大丈夫だったんだ」

「たった10日ではありませんか! アメリーさんの可愛さを見てください! 紳士といえど、いつアメリーさんの魅力と美しさの誘惑に負けてしまうか……私は心配で……心配で……っ!」


 そうしてリコリスは瞳を潤ませてアメリーに抱きつき、訴える。


「アメリーさん、私と暮らしましょう?」

「リコリスったら……」


 アメリーもリコリスに応えるように、ぎっと抱き締め返す。せっかく穏便に進んだのに邪魔したあげく、アメリーを奪おうとするなんて……



「――!?」



 と俺の心に影が落ちた瞬間リコリスと目線が合う。

 その目は敵を見る殺気が籠っているだけではなく、ほんの少しの優越感が混ざっていた。


 彼女は俺の本性に気づいていると直感的に分かった。俺が動揺している間もアメリーには“きゅるるん”という言葉が似合うような、可愛い小鳥のような庇護欲を擽る仕草で説得を試みている。

 一方で、俺には殺気を込めた猛禽類のような目線を放つ。



 あぁ、同類か……面倒だな、と舌打ちしたくなる。俺は犬であちらは鳥か。

 マスターに女将さん、ジャックもこの小鳥の皮を被った鷹の本性には気付いており、怯えるように俺とリコリスの間で不安の視線を揺らす。

 知らぬのはアメリーだけ。


 本当に……アメリーは少し抜けててなんて可愛いのだろうか! じゃなくて、相手が鷹なら遠慮なく反撃しよう。


「アメリー、リコリスさんが心配しているようだけど決めるのはアメリーです。アメリーはどうしたい? 俺は出てった方がいい?」



 きっちりいつもの子犬の皮を被ってアメリーに縋る。するとアメリーは少し困ったよう笑顔で首を横に振ると、リコリスさんはショックを受けたようにアメリーの肩を掴んだ。


「アメリーさん、目を覚まして」

「リコリス、シェルトなら大丈夫よ。シェルトだもの」

「何を根拠に……」



 ほら、アメリーは俺を見捨てはしない。アメリーが味方ならリコリスさんの睨みなんて怖くもなんともない。

 だが、アメリーは申し訳なさそうに俺を一瞥したあとこちらに背を向けて、そっとリコリスさんに耳打ちした。


「実はね……シェルトはアッチやソッチの人だと思うの。だから女の私は大丈夫なの」



 ――は?



 俺の耳に入ってきた言葉が受け止めきれない。ひそひそ話にしようとしたんだろうが、どんなに小さくてもアメリーの言葉を聞き逃すような俺ではない……が待ってくれ……アッチかソッチって、なんでそうなる。


「まるで兄と妹の関係なのよ。大丈夫だって……そんな妹に手を出すなんてことしないわよ」


 追撃するかのように女将さんがフォローするが、全く逆効果だ。リコリスさんが疑うように視線を寄越すが、俺は唖然として固まるだけ。

 しまった……隙を見せてしまった。すると彼女は勝ち誇ったような笑みを一瞬だけ浮かべて、すぐに小鳥の皮を被った。



「シェルトさん、私ったら勘違いしていたようですぅ。ごめんなさい。にゃんこ亭を助けてくれる紳士なシェルトさんなら、こんなに優しい妹的アメリーさんの信頼を裏切るような、過ちを犯すことなんて絶対にありえませんものね☆」

「エェ、モチロンデス」



 がっつり釘を刺されてしまった。笑顔で応えたつもりだが、俺はきちんと忠犬の皮を被れているだろうか。

 マスターはあからさまにホッと肩の力を抜き、ジャックさんには何故か距離を開けられた……いや、違うんだと言いたいが、アメリーとの同居のためだと自分に言い聞かせて耐える。



「これで解決ね♪」



 愛しのアメリーはそういってご機嫌だ。アッチやソッチの話はリコリスさんを納得させるための冗談なのだろうか。それとも本当にアメリーは俺がアッチやソッチだと思ってて無防備なのか……あぁ、後者な気がする。

 アメリー……全く解決していないよと俺は新しく浮上した問題の解決策に頭を悩ませることとなった。

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