第12話 君のためならば

 sideシェルト



 にゃんこ亭に連れていかれた日――俺は仕事先へ向かうアメリーの姿が見えなくなるまでを見送ったあと、リビングに戻りすぐにアメリーのベッドに飛び込んだ。


 枕を引き寄せて顔を沈めるように抱き締め、残るアメリーの香りを堪能する。シーツを取り替えるときの恒例行事だ。



「あぁ、落ち着く。本当に俺が犬だったら本物のアメリーに飛び付いて、あの可愛い顔にたくさんキスできるのに。でもそのうち必ず……ね? 俺の愛しのご主人様アメリー」



 アメリーの代わりに枕にキスを落とし、名残惜しいがそのまま枕カバーとシーツを取り替え、洗濯するために風呂場に行く。

 ここで自分の香りを残して警戒されては、今までゆっくり侵略してきた意味がなくなる。


「あ、クルルの足跡……いつのまに」


 先に服を洗い終え、シーツに取りかかったところでご近所猫の足跡を発見する。

 俺とアメリーを出会わせてくれたクルルは恩人で、ライバルだ。


 クルルの甘い鳴き声は、俺の料理でも難しい緩みきったアメリーの笑顔を引き出す。

 何よりもこの足跡がクルルの偉大さを表している。あの猫はなんとアメリーと同じベッドで寝ているのだ!

 俺が用意したクルル専用ベッドはお昼にはきちんと使ってくれているのに、夜はちゃっかりアメリーの隣にベッドイン……彼女の首元にすり寄り丸まっている。


 なんとも羨ましい!


 毎朝、アメリーの寝顔を横目に耐えてる邪念だらけの思考を見透かしたように、クルルはベッドから余裕の視線を寄越す。

 尚且つクルル本人は動物というアドバンテージを活かして、ペロペロとアメリーの顔を舐めて格の違いを突きつけてくるのだ。


「くそぉ……」


 早く俺もクルルのようになりたいと思いながら、足跡が消えるように丁寧に洗う。


「はぁ、今夜は冷製パスタにしようかなぁ」


 いつまでも悔しがってばかりではいられない。俺なりの戦い方がある。口から……体の中からもアメリーを侵略マーキングするための夕方の献立をシーツを洗いながら考えていた。



「シェルト!いて良かった!はぁはぁ」



 すると突然脱衣場の扉が開き、息を切らしたアメリーが現れた。

 その姿をみた瞬間、心が闇に染まりそうになるが、アメリーに訂正され我にかえる。


 ストーカーは関係なく、どうやらにゃんこ亭のマスターが腰を痛めてしまってお店のピンチを助けて欲しいとの事だ。


 アメリーのお願い事は本来なら二つ返事で頷きたいが……出来なかった。


 思い出されるのは前の職場の言葉と失われた自信。アメリーと出会って、癒され、もう大丈夫だと思っていたはずなのに心は沈みそうになる。


 最近ずっとそうだ。前と同じようにこの幸せが続くと思った矢先に奪われるのではと不安になるのだ。


「アメリーは俺が本当に必要?」


 縋りたいのはアメリーの方だというのに、俺は不安で聞いてしまう。

 もしお店の手助けが上手くいかず、アメリーに幻滅されるのが怖い。捨てられるのが怖い。


 だけど、そんな気持ちを吹き飛ばすようにアメリーは俺を心から必要としてくれた。

 俺だけが頼りだと……俺しかいないと……その言葉が嬉しくて堪らない単純な自分に苦笑した。


 更に彼女は俺を抱き締め、ご褒美まで用意してくれると言う。俺は情けない自分に喝を入れ、俺を救い上げてくれた小さな手を握りお店に走った。



✽ ✽ ✽



「マスター、塩のストックは?」

「左2番目の引き出しだ」


 マスターの言うとおり塩を見つけ、テーブルにどんと置く。本当は容器に入れて使いたいが、時間がないので袋から直接塩をつまんでソテーを仕上げる。


「ハンバーグ3、スパイシーシチュー1入ります!」

「了解!アメリー、この甘辛ソテー2つ出して」

「はい!お客様お待たせしましたー!」


 俺の指示に応えるように、鈴のようなアメリーの声が店内に響く。入れ替わるように女将さんがカウンターを覗いたので指示を出す。


「女将さん、洗い物そろそろ良いですか?」

「はいよ、皿洗いは任せなさい! アメリーちゃんホール頼むわよ」

「はーい!」


 この俺たちのやり取りの間にも注文や会計をアメリーはこなしていく。最近忙しいとは聞いていていたが、外からも見るより店内はずっと賑わっていた。



 開店直後の森へ出掛ける前の冒険者がくる短時間の第一次ピークと比べ、ランチタイムの第二次ピークは一般人も冒険者も入り乱れていて客数が多い。

 その上にランチ後の仕事の時間に追われていることもあって、回転率が高い。作っても作っても新しいお客様が入ってくる。



 無心で体を動かし、それ以上に頭を動かして指示を出す。物の場所を覚えて、厨房に慣れて余裕が出てきた頃、途中でチラリとマスターを見る。目線が合う度に満足げに頷いてくれるのでどうやら俺は合格らしい。



 アメリーに誉めてもらおう。何をお願いしようかと楽しみになり自然と口角が上がる。

 でも頑張っているのは俺だけじゃない。厨房で俺一人で大変ということは、ホールのアメリーも同じだけ大変だということだ。あまりの客数の多さに女将さんは洗い物からほとんど離れられない。



 アメリーにもご褒美が必要だろう。料理がご褒美ではいつもと同じで面白味がない。どうしたらアメリーは喜んでくれるだろうかと、魚の頭を落としながら自分の頭を捻った。



「終わったわー!」



 昼の営業の最後のお客さんを見送ったアメリーが椅子に座り、背もたれに体を預ける。うーんと言いながら体を伸ばす仕草すら、可愛い。


 頑張ったねと頭を撫でてあげたい。

 あの輝く金色の髪に触れたい。


 ピークを乗り切った達成感も相まって幸せな気分でアメリーを見ていたら、背後から視線を感じ振り向いた。


「……あ」

「うん、うん、可愛いよな?」



 マスターの生温い視線を受けながら、無言で頷くとマスターの笑みは深まった。

 ピークを乗り切ったからと気を抜きすぎていた。アメリーへの思いが顔に出すぎていたらしい。

 気づけば、女将さんからも同じような視線を向けられ全身がくすぐったい。



「そうだ、休憩前にシェルト君には四人分の賄いを作って欲しいんだが、頼めるかい? 店内の物は自由に使って構わないからさ」

「良いですよ」



 俺は冷蔵庫から鶏肉を取り出し、筋を切っていく。塩コショウで下味をつけ、皮の部分にはフォークをさしてから衣を付けて油で揚げる。

 その間に玉ねぎ、ニンジン、パプリカをできるだけ薄く包丁でスライスして、ビネガー、レモン汁、砂糖、細かく刻んだフレッシュバジルを加えて和える。

 大皿の上にご飯、キャベツの千切り、揚げたての唐揚げを乗せ、その上にビネガーソースをかけたらワンプレートの完成だ。


「お待たせしました」

「おぉ、なんて早い……しかもうまそうだ!」

「まぁまぁ、なんて美味しそうなの! アメリーちゃん、大好きなご飯よぉー」

「あぁ! 待ってましたご飯! いただきます」



 女将さんの呼び掛けに、目を輝かせたアメリーも厨房に入ってくる。そして真っ先に唐揚げにフォークを刺して、口をハフハフしながら熱そうに食べ始めた。


 家と変わらない小さな口で大きな唐揚げに食らいつく可愛い姿に、俺の疲れも癒されていく。今日はカウンターからたくさんの美味しそうに食べるひとの顔が見えたが、アメリーに敵う人は誰一人としていなかった。



「おいひー」

「疲れた体には酸っぱさが良いわね~」

「シンプルなのにうまいな! たまに他人が作ったものも新鮮で面白い」



 アメリーに続いて、女将さん、マスターも美味しそうに顔を綻ばせて食べていく。今日の客入りはどうだったとか、腰は大丈夫なのかとか、同じものを食べながら同じことを話す光景が眩しい。


「シェルト君も食べなさいな。あなたが一番頑張ったんだから~今日は本当にありがとうね」

「は、はい」


「そうだそうだ。シェルト君は凄かった。初見の厨房であれだけ動けるとは……素晴らしい青年だ。アメリーちゃん良い人知ってたなぁ」

「そうでしょ? シェルトは凄いんですから!」



 女将さんとマスターに誉められ、アメリーは俺を自慢してくれる。それが恥ずかしく、誤魔化すように俺も唐揚げを頬張る。

 料理を作ってこんなにも誉められたことがない。鼻の奥がツンとしてしまいそうだが、ビネガーの酸味のせいにした。




「あらアメリーちゃん、口元に二粒もごはんがついてるわ!」

「え、うそ……いやーん」


「ははは、相変わらずだなぁアメリーちゃん」

「そうねぇ~ふふふ。ジョーイもついてるけどね」


「まじか~これはうまい飯が悪い!ははは」



 厨房にどっと3人の笑いが響く。この明るい輪に自分がいるなんて変な感じだ。温かくて、フワフワして……アメリーが勇気をくれたお陰でこの場に立ち会えた。


 やっぱりアメリーは俺の天使で女神だと惚れ直した。

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