第20話 朝練

「シンちゃーん。お友達みえてるわよ」


 今日は朝がツライ。あまり寝付けなかった。昨日の友の勧誘は嬉しかった。ただ、その後に受けたアオイの球の味気なさ、原因を色々と考えてしまう。そして、また芽生えてしまったチームとの疎外感。


 いっその事、辞めてしまえばどれだけ楽か。宝木中で出場できるのなら……。


 考えを巡らせるも、最後にはアオイの顔が過る。あの自信に満ちた漆黒の瞳。人を食ったような笑顔と、あの時の一球が……。転校初日のあの一球が、どうしても自分の次の一手を阻む。


「シンちゃ〜ん。寝てるの」


––今日は、また随分と早起きな事で。試合が近づけば気合も入るか。


 最近、コウスケと朝練を始めた。日に日に早くなる朝の時間。明日は準決勝、さらに決勝が待ち受ける。彼なりに焦りを感じているのだろう。バッティングフォームの改造は一日二日で出来るものではないのだから、仕方がないのだが……。


 昨日の今日でも、自分を誘ってくれるとは……嬉しくも少し複雑だ。



「可愛い、お友達ね」


 可愛い?あのムキムキの筋肉バカが……?


「コウスケ、さすがに五時半は……」

「おはよう……ございます」


 朝の陽光に照らされ、八の字まゆ毛の少女は、目を泳がせながら、深々と頭を下げた。



「どっ、どうした……の?」

「あの、あさ、朝練に付き合って頂けませんか」




 陽は昇り始めの白色光。ちゅんちゅんと鳴く愛らしいスズメのバックミュージックに、テンポ良く投げ込む、左腕オーバースローの白峰ユイナ。彼女の制服のスカートが翻る度に、パシリと校庭には乾いた捕球音が響く。


 簡素なブルペン。昨日と同じブルペンで、今日もアオイ以外の球を受けている。



 体は柔らかに、腕はむちの如くしなる。スピード自体はトモヤやアオイには及ばない。長身から振り下ろされるでもなく、地から這い上がるでもなく、球筋は至ってシンプルだ。

 それでも、彼女の柔らかな左の手首から放たれる、独特な螺旋回転のストレートは魅力的だった。


「あの……シンジさん。やっぱり、宝木中に行くんですか」

「行かないよ」


 余りにも意外だったのか、目の前の少女は目を丸くする。その、素っ頓狂な表情が余りにも可笑しくて笑ってしまった。


「シンジさんも笑うんですね」

「俺を何だと思ってるんだ」

「いえ、ただ意外でした。宝木中に行かないにしても、その……もっと、悩んでいるのかと」


 昨夜の寝不足が顔に出たか?彼女は気を遣ってくれているようだった。


「まぁ、やっぱり悩んださ。でも、アオイと野球やるのは、楽しいからな」


 更に少女は目を見開く。アオイとは違う二重まぶたの愛くるしい目が、パチクリと動いた。


「シンジさんって鈍感なんですか」

「俺はキャッチャーだぞ。そんな訳ないだろう」


「たぶん、その言葉、そっくりそのまま姉に伝えれば……姉は頑固ですけど、シンジさんの要望に、答えてくれると思いますよ」


「よく分からないケド……そんなもんなのか」

「そんなもんです」


 妹は言い切る。浅はかな自分より彼女は何かを知っている。ハヤトも、もしかすると他のメンバーも知っているのかもしれない。俺の知らないアオイの過去。


「おーい、シンジ。よくも俺を置いていったな」

「やっべ!コウスケの事、忘れてた」


「今日は、あの……ありがとうございました。私は宿題がまだなので、お先に失礼します」


 いつもと、変わらない八の字の眉が、深々と頭を下げて、走り去ろうとする。そんな彼女を慌てて呼び止めた。


「あぁ、そうだ。ユイナ」

「へっ」と声を漏らし振り向く少女。


「今日、ユイナの球を受けて、楽しみが増えた。チームに残る決心が着いたよ」

「ホント、良いキャッチャーですね。でも……私は、お姉ちゃんみたいには、成れませんから」


 そう言うと彼女は、うなじをかきあげ踵を返す。夏風に乗った「どんかん」という言葉が、耳元でふわりと消えた。

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