39 勇者信仰

 動揺、困惑、疑問。

 浮かんできたそれらすべてをオズワルドは胃の中へ飲み下した。

 考えすぎだ。クラリスが事件になんらかの形で関わっているだなんて、突拍子もない考えすぎる。

 落ち着け、と何度も心の中で自分に唱えていく。取り乱したところでどうにもならないのに。

 冷静を取りつくろい声の震えに気を付けながら言葉を返した。


「へえ。クラリスも多忙なのに慰安までこなすとか、さすがだな」

「あの方を愛称で呼び捨てできるのはお前と師団長ぐらいじゃねえかな……」


 レルドははっとなにかに気付いた顔をする。


「……まさか【薄紅の聖女】を疑っているんじゃないだろうな」

「おいおい、一緒に世界を救った仲間だぞ。疑うなんてできるか」


 笑いながら否定する。

 嘘だ。

 疑わないでいられようか。

 クラリスの言動はもはや無視できないほどオズワルドに懐疑心を与えている。

 かろうじて、「そんなはずがない」という今にも崩れ去りそうな期待で関係が持っているだけだ。

 この男はそう軽い口ではないが、万が一ということもある。この場はクラリスを疑っていることを否定しておくべきだ。国から【聖女】の役職と二つ名を貰っている女性だ、余計な詮索をすれば彼女よりまず国が詰問してくるだろう。


「すずらんの毒は俺の思い過ごしかもしれないから忘れてくれ」

「んん、調査隊にそれとなく伝えてもいいか? 難航しているみたいなんだよ」

「俺の名前は出さないでくれたら」

「もちろん。……で、話は戻るが――どこからだっけ?」

「イジーリア女史とルッキズが死亡したところ」

「ああそうか、うん」


 納得できないと言わんばかりにレルドは肩をすくめる。


「ふたりの死亡からすぐ、図書館の事件は捜査を打ち切られて、資料は閲覧制限が掛けられた管理庫の奥にしまわれてしまった」

「……」

「あまりに急すぎて妙だろう? 被疑者死亡とはいえまだ調査すべきことはあった。なのに消化不良のまま閉幕だ」

「お前の組織を悪く言うつもりはないが、隠し事をしようとしているな」

「おれもそれを考えている。周りも。ただこんなこと堂々と言えるわけがない」

「見当はあるのか?」

「いや……。どの情報が出たあたりで調査を打ち切ったのかはおれも知らない。——待てよ」


 とんとんと自分の太ももを叩きながら、記憶を引っ張り出すようにレルドは目を閉じた。


「……オズ、ひとつお聞きしたい」

「なんだ改まって。気持ち悪いな」

「『勇者信仰』って、知っているか」


 スロアの顔が浮かぶ。

 熱に浮かされたような言葉も。

 勇者様の呪い――。


「知らないか。勇者を神として崇める団体だそうだ」

「なんだそれは。アレキは神ではない、あいつはただの人間で、特別扱いなんてされるのが嫌いな男だ」

「分かってる分かってる、落ち着け」


 思わず語気を荒くしたオズワルドをなだめるようにレルドは手のひらを見せた。


「新興宗教だそうだ。教会の目を掻い潜って信者を増やしているらしい。どうも、ふたりの死に際の言葉が『勇者信仰』に関わっているのでは――という話が出ていた」

「呪いがーってやつか?」

「それもだし、『選別』という単語も出てきたと聞く。ルッキズは『勇者様お許しください』とずっと唱えていたと」

「……」


 スロアとワイバーンが頭の中を駆け巡った。

 点と点がつながりそうで、つながらない。気持ち悪い感覚だ。

 図書館の事件も、キッサイカ家の事件も、独立したものなのか? 何か共通点があるのではないか?

 ——いや。

 オズワルドは小さく首を振る。

 似た要素のものが並んだ時、「なにかつながりがあるかも」と考えるのは良いがそれに固執してはいけない。視野を狭めてしまうだけだ。


「誰の命令で、調査を打ち切った?」

「……」


 レルドは目を泳がせる。


「ロッダム・ダンガリー師団長だ」


 勇者パーティのひとり、【銀鼠の戦士】ロッダム・ダンガリー。

 クラリスとはよく連絡を取り合っているそうだが――オズワルドはこの数年式典以外では顔も合わせていない。帰国後から少しずつ疎遠になっていき、今や他人の会話から生存を知るぐらいだ。


「ロッダムが、か……」

「強引なもんだから『実は『勇者信仰』の信者なのでは?』って一時囁かれていた。いつのまにか消滅したけれど」

「そりゃもみ消されたんだ。そういう話に関わると火傷しかしないから気を付けろ」

「言われなくても分かってるよ。……師団長、勇者と不仲だったらしいじゃないか」

「不仲というより、考えが合わなかったんだよ。俺ともめっちゃくちゃ仲が悪い」


 公では大人の対応をしていたが。

 オズワルドとは単純に性格と相性が良くなかった。それでいて戦闘時は息の合ったプレイが出来ていたので不思議なこともある。


「だから、おれとしては彼は『勇者信仰』に入信していないと思うんだよ」

「俺も同意見だ」

「でもなんか裏に事情はありそうだ」

「俺も同意見だ」


 そもそもが昇進欲の亡霊みたいな男だ。自身の経歴に傷をつけるようなことは積極的に行うことはないはずで。

 頭がこんがらがって来た。

 情報をすべて解体してひとつひとつで考えていったほうがいい。


「それ以前に俺がここまで首を突っ込むことではないよなあ……」

「いまさらかよ」


 無慈悲なツッコミをされてしまった。


「でも放っておけないんだろ」

「ああ」

「だったら情報集めて考え続けていればいいじゃねえか。なんかのときに役に立つかもしれないし、役に立たなかったらそれはそれだ」

「レルらしくもない真面目なアドバイスだな……」

「やかましい、はっ倒すぞ」


 事件の話はそこで終わる。

 ふたりはぼそぼそと最近の近況を話し合い、それもやがて途切れた。


「そろそろ帰る。夕飯は家で食べるって家内に言ってるし。なに作っても美味いんだよ」

「惚気るな。報告、有難かった」


 図鑑を返そうとするレルドを止める。


「それは子どもたちにやってくれ。師匠に押し付けられて困っていたんだ」

「二つ名の魔術師の手を渡った図鑑かよ。とんでもねえ代物だな……」


 オズワルドは手を差し出す。レルドも素直に彼の手の甲に自分の手を乗せた。

 さらにその上から包み込むようにオズワルドの手が被さる。


「我が名にちからをお分けくださる魔術の神にして始祖ヒタンの加護を」


 青色の魔法陣がレルドの手の甲に浮かび上がり、瞬きする間に消えた。

 ほんの少しその日が幸運になるおまじないだ。仲の良い友人同士が別れ際にする挨拶のようなものである。


「あんまり無理なことをなさらないように、隊長殿」

「そちらも憲兵の仕事を増やすことはしないで頂きたいですね、魔術師殿」


 軽口を叩き合ったのち、去っていくレルドの背中を見送る。

 完全に見えなくなると研究室のドアを閉めて再び椅子に座った。


「キッサイカ家のことを触れてこなかったな……。管轄外ならそれでいいか」


 背もたれに体重をかけながら話を整理する。

 図書館切り裂き事件の犯人の死。

 毒殺。

 打ち切られた調査。

 『勇者信仰』。

 クラリスとロッダム。


 天井に手を伸ばす。

 灰色のビーズが視界に入った。


「神だってさ、笑うしかないぞ。アレキ」


 誰よりも平凡を願った青年が、死んで十数年後に神様扱いだ。

 これが笑わずにいられるだろうか。


「お前が神になるなら、生贄でもなんでもいいから俺を連れていってくれないかな……」


 呟いたあとにばかばかしいと苦笑した。

 傾いていく陽を眺めたあと、レポートの添削に取り掛かった。

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