1皿目~フレンチトーストの隠し味にはハニーシロップを~
~まずは作り方から~
「ふふっ、ウチってばやはり有名なのね」
エミリカがどこか誇らしげに言う。ゴリ松はうなずき、
「ああ、破天荒生徒四天王の一人だからな」
「破天荒だなんて・・・照れるわ」
エミリカは言われ、頬を少し赤らめて小さく舌を出した。その顔は先程の近寄り難い表情とは打って変わって愛嬌のある年相応の女の子の顔だった。
だが、破天荒という言葉はあまり褒め言葉で使われない。
それはともかく、宇野はこの奇妙な状況を進めようと言葉をはさむ。
「それで、彼女が犯人ではないというのは?」
「そうだ、柳田がやっていないって証拠があるのか?」
本題に戻り、ゴリ松は鬼のような形相と怒気を孕ませた声で、相手を圧迫するように言う。しかしエミリカは物怖じとせずに悠然と返す。
「ええ、あるわ。証拠はここに置かれたフレンチトーストよ」
エミリカは皿に乗ったいくつかのパンを指し示す。
「ふんっ、これがどうしたっていうんだ?」
「あら、わからない?そうねえ、柳田さんだっけ?少しトーストを摘ませてもらってもいいかしら?」
柳田が首肯する。エミリカは「いただきます」を言うと、テーブルの上、皿に積まれた黄色いパンの中から崩れないように下の方のパンを一つ手にする。
そしてそれを半分にちぎり、一口サイズにして口に含み、咀嚼する。
「ん~~~、おいひぃ~、本当に美味しい焼き具合ね。表面はバターの焦げが程好く、かつ満遍無くついていてまるで収穫前の麦の稲穂みたいに綺麗ね。それでいてパリッとしてるし、中はしっかりと火が通っていてふわふわになっているわ。味も卵と牛乳の風味を損なわない程度に砂糖とはちみつの甘さ加減が上手にマッチしている。あら?ほんのり苺の味がするわね。ジャムを溶いたのかしら?あ、やっぱりそうね。手が込んでるわ~」
エミリカは口々に感想を漏らしながらパンを食べ終え、悦に入る。
するともう一つパンを手に取って、宇野とゴリ松に差し出す。
「ほら、食べてみて、美味しいから」
エミリカは自信満々に手渡してきた。その自信は一体何に対してだろうか?
宇野は空腹であった。それにこの場で食べないのは流れに反する事である。
何よりこの甘い香りに、食欲というものは素直であり、お腹の虫が空腹を訴え、口に唾液があふれ、欲する。
そして聞こえた虫の声は二重であった。ゴリ松もどうやら同じの様である。
二人は揃って、口にフレンチトーストを含む。
これは・・・美味い。
まず、口腔内を喜ばせたのはふわりとした触感であった。パンの柔らかさに残る温かみがそれを助長し、まるで干したての布団のような柔らかさだった。
次に味だ。その柔らかな表面に歯を入れると、中から溢れてくるのは羽毛のような軽い甘さであった。牛乳と卵、そして砂糖の甘さがパン本来の味を邪魔しない程度に広がり、舌に染みていく。バターがしっかりと表面に焼かれていたおかげで味が逃げる事無く、どこを齧っても一定した甘味があった。
そして最後に、後味の良さだ。これはエミリカの言った通りほんのりとした苺の味と残り香が舌と鼻腔を愉しませた。食べた後に残る芳香は食べきった後の余韻を覚えさせる。なんとも食べきってしまうのが名残惜しい程である。
口腔内に次々と湧き出す涎が、まだこのパンを欲していることが分かる。空腹をさらにかきたてる程の美味さがこのフレンチトーストにはあった。
「ふんっ。美味いな、これは店を出せるレベルかもしれん」
それはゴリ松も同様で、味に対して良好な反応だった。
それに対してエミリカはドヤ顔を見せ、大きな胸を反らす。
だからなんであんたが得意げなんだ?宇野は心の中で問う。
「で、これがどうした?」
ゴリ松の当然な反応に、これまた宇野も同意する。
しかしエミリカは、分からない?と言わんばかりに大仰に肩を竦めてみせた。
「いい?フレンチトーストってのは簡単なようで、結構な手と暇が掛かるの。それこそ、見た目と味を両立させる為にはね。
まず下ごしらえとして、牛乳と卵、そして砂糖を混ぜた卵液を作ってバットに入れるの、卵に対して牛乳の比率が多すぎちゃダメよ。ベトベトになると、後でパンが崩れやすくなったり、牛乳が浮いたりで焼くのが大変なんだから。
色はひよこちゃん色がベストかな?まあ、お好みによるんだけど。量はパンの表面が浸かる程度、パンが結構吸ってくれるしね。もちろん両面浸からせるの。しっかりパンが卵液を吸ったら、次にフライパンにバターを引く、きっちり均等にね。油と違ってバターは風味を残してくれるけど強火だと簡単に焦げちゃうから要注意よ。
そして準備が整ったらいよいよパンを焼くんだけど、数枚焼くのならしっかりフライパンを温めないと各々がまだらに焼けちゃうわ。フライ返しやさえ箸で様子を見るのもいいけど、あまり突っつきすぎるのは空気が抜けてふわふわに仕上がらないからおすすめできないかな?
だいたいは焼けた匂いと煙の具合から判断できるわ。焼き方は弱火なら十分から十五分でじっくりと中まで火を通すの、中火なら五分から十分くらいね。
さっきも言ったけどバターは焦げやすいうえに、卵を使った料理なら尚更だから焼け具合には細心の注意が必要よ。それで両面がしっかり小麦色に焼けたら完成。どう、分かった?」
ここにいる宇野とゴリ松、そして柳田は揃って目を丸め、唖然とした。
それはそうだろう。ゴリ松は柳田が犯人でない証拠を出せと言ったのに、このエミリカは何を思ったか、フレンチトーストの作り方を教示しだしたのだ。
誰しもが話に介入する余地を与えぬ程の矢継ぎ早に、だ。
エミリカが黙って、ようやく降りた静寂。誰もが口を開く事を戸惑う空気感。
しかしそこは教師、ゴリ松が時間を無駄にしないと口火を切る。
「だからそれがどうだって言ってるのだが?」
「ゴリ松先生、あなたがトイレに入っていた時間は大体何分くらいですか?」
「えっ、はっ?」
突如、エミリカに聞き返されて戸惑うゴリ松。
てか今、教師に対してゴリ松って言った?だが宇野はあえて聞かない。
ゴリ松の返事は一拍置いて返された。
「五分程度、だったか・・・」
「それは何分前?」
「・・・十五分くらい前だ」
「そう、じゃあ彼女、柳田さんがその間に脚立を盗んでこの家庭科室に侵入し、これだけのフレンチトーストを焼いたって言うのね?」
「なっ!それは・・・」
ゴリ松は狼狽えた様子で、アルミ製のテーブルにある皿に盛られたフレンチトーストをしげしげと見る。
パンの枚数は大体三十枚はあるだろうか?四分割された食パン、厚みからそれが六枚切りとして、大体食パン一斤分だろう。フライパンの大きさから焼けるのは一回で六枚から八枚程度、エミリカのレシピから推測し、一回に焼き上げる時間をおよそ五から十分と仮定して、これらを順調に焼き上げても二、三十分は掛かる。下ごしらえを含めれば四十分くらいか。何とか6限目のロングホームルームに収まる時間だ。
しかしゴリ松は一旦慌てたものの、鼻息を荒げて返す。
「ふんっ、そんなの、事前に準備をしておいていっきに焼いたんだろうが!」
その可能性も有り得る。しかしエミリカのレシピを聞けばゴリ松の言い分には苦しい部分が見えてくる。なぜなら・・・
「さっきウチ、言ったわよね?フレンチトーストには手間と暇が掛かるって」
そう、これがあるからだ。
「そ、そんなもん、いくらでもやりようがあるだろう!」
しかし先生は食い下がる。それにエミリカは柳眉を逆立て、明らかに呆れたと言わんばかりの溜息を吐く。
「これだけをいっきに焼いたっていうの?短時間で?あのね、さっき食べたフレンチトーストの見た目はどうだった?綺麗に焼けていたでしょ。あえてウチはパンの山の中から埋もれていたパンを取り出した。このパンは恐らく最初の方に焼かれたものね。だってわざわざ新しいのを下にするなんて普通はしないわ、どう?柳田さん、ここまででおかしな点、ある?」
柳田はかぶりを振って応える。
「そう。それなら、あなたはかなり丁寧な性格と言えるわ。そしてかなりの練習をしたって分かる。だってここにあるフレンチトーストはどれも綺麗に焼けているもの」
宇野は皿の上にあるフレンチトーストの山を見る。確かに、バターの焦げ目はどれも均等で、綺麗な小麦色をしていた。
「フレンチトーストって焼き始めが小難しいの、その理由はフライパンにバターが均等に行き渡りにくいからね。全体にバターを引くのは容易よ、でもフライパンって見えない傷が多くあって、そこに溜まったり、抜けてたりで、上手く焦げ目がつかないんだから。特に料理に不慣れな生徒が使う家庭科室のフライパンなんかわね。
かといってバターを多くしすぎれば焦げ目が茶色になるばかりか、脂肪分でパンがギトギトになっちゃうわ。焼く度にバターの油が重なってようやく良い具合になるの。こんな悪条件なのにコンロはガスコンロときてる。IHヒーターならフライパンの表面に均等な熱が行き渡るけど、ガスって火力が強い分、調整が難しいのよ。一部分に熱が集まり過ぎないように注意しないといけないんだから」
エミリカの熱弁、しかし引かないゴリ松。
「ああ、そうかい、その菓子パンを作るのは大変だってことは嫌ほど分かった。短時間でこれほど焼くのは不可能だ。けどな、そこのは事前に作ってレンジで温めて、フライパンの中の分だけ今焼いてるんじゃないか?」
ゴリ松は家庭科室のレンジを指し示す。
そしてゴリ松は、ハッ!と何かに気付いた様子で言う。
「まさか、ここ連日のブレーカーダウンは電子レンジの使い過ぎが原因か!だから今、フライパンで焼き始めた!」
「もう、なにそれ、このトーストの食感は焼き立てのものって分からないの!?」
「そんなもん、レンジの使い方でどうにかなるだろ!」
「だったらレンジを使うだけなら、休憩時間にでも用務員室で借りればいいじゃない!」
「残念だったな!用務員室と職員室はさっきまで電力会社がブレーカーの調査を行うために使用できないんだよ!」
・・・ゴリ松とエミリカ、どちらも引かず、ただただ言い合う。
この二人の応酬、いつまで続くのだろうか、宇野は呆れていた。
そろそろ教室に戻らないロングホームルームが終わってしまう。
宇野はあまり目立った事はしたくないが、致し方なしだ。と、ここはエミリカの加勢に入ることにする。
「あの、お話の腰を折ってすみませんが、脚立を使ったとして、どうやって家庭科室に入ったのです?そもそも鍵はどうやってあけたのでしょう?」
宇野の問いにゴリ松はうなる。
「それは・・・共犯者が・・・いてだな・・・それで窓を開け、脚立を盗むという計画で中へ」
「窓を開くというのは可能性的にありえます。が、脚立がどうこうというのはムリがあるでしょう。大きな脚立を教員トイレからここまで運ぶにしてもこんな小柄な女の子一人が運ぶなんて目立ちすぎますよ。しかも授業中に。この学校、生徒数や教員数が多いのだからそんなことすれば目撃者が出てきます。誰かが見たら、すぐに報告か連絡がいくんじゃないでしょうか?」
ゴリ松はアゴに手を置いて、少しの間うつむく。
「・・・じゃあ、誰が犯人だって言うんだ?」
「そう、ですね。今のところ騒ぎになっていないということから・・・電力会社の方が校内に来ていましたよね?あの方達なら脚立を持って行っても不自然じゃない」
「電力会社の人たちが、誤って持って行ったってのか?」
「ええ、それなら違和感ないでしょう。それに家庭科室のレンジを使用していたとしたらその方たちが気付いて何かしら先生方に報告しているでしょう」
「・・・ううむ、じゃあレンジを使用した線は薄い・・・か?」
問われ、宇野は頷く。ゴリ松は携帯を取り出し、職員室に連絡を入れる。
「小屋松だ、電力会社から何か連絡はなかった・・・そうか、うむ、うむ」
そして携帯を切り、バツの悪そうに向き直るゴリ松。
「どうやら宇野の言う通りだったみたいだ・・・ううむ、それじゃあこいつ、柳田はなんでこんな時間に家庭科室でパンを焼いていたんだ?」
ゴリ松の柳田に対する疑いが一つ晴れたが、そうなると次なる疑問が浮かび上がる。宇野とゴリ松、エミリカ三人の視線が柳田に集中する。
「それは・・・その・・・」
柳田は集まる視線に耐え切れなかったのか、しどろもどろになるとついぞ俯いてしまい、そのまま黙りこくる。
何か後ろめたいことでもあるのだろうか?
「ふんっ、なんにせよ無許可で部屋と器具を使用したのは許せる行為じゃない、詳しい話は職員室で聞いてやる。ほらっ、火を止めてこっちに来なさい!」
「いっ、イヤッ!」
ゴリ松が柳田に手を伸ばそうとした時に、
「待ちなさい!ゴリ松ッ!」
とエミリカの大きくて凛とした声が響き渡る。ゴリ松の動きが静止する。
え、てか今、先生の事、呼び捨てにした?蔑称した?
宇野はエミリカにハラハラするも、彼女は言葉を続ける。
「柳田さんがここにいた理由、どうも言いづらいみたいだから、私が代わりに答えてあげる!」
エミリカはフライパンの上、弱火で焼け終えるのを待つ存在を指さす。
「それはこのフレンチトーストを見れば大体の事が分かるわ。皿に積まれたパンの量の多さから、誰かに食べて貰う為であるのは一目瞭然よ。そして彼女にはこの時間に焼く必要があった。それは家庭科室が放課後、料理部によって使用されるからね。そして彼女は料理部じゃない。だからこの時間を選んだ」
エミリカは柳田を見る。柳田は否定せず、うつむく。黙することを肯定と捉えたエミリカは続ける。
「それからフレンチトーストを食べさせる相手ね。恐らく相手は運動部の部員、それも外で行う部活ね、理由は柳田さんの日焼けの跡から。応援に熱中なのかマネージャーかは知らないけど、どう?ここまでは当たってるかしら?」
柳田が目を丸くして頷く。
「そう。それでゴリ松先生、いきなり質問するけど、ここのところ負けが続いてる部活ってどこかしら?」
「え?ああ、確かサッカー部だったか、顧問の山中が職員室で昨日負けてしまったと嘆いていたな。で、今朝にインターハイ出場の応援幕を下ろしていたが」
「じゃあ、サッカー部ね、それも女子じゃなく、男子サッカー部の」
「そうなのか?てっきりクラスや親しい友人に渡すものかと思っていた・・・」
宇野が考えていた当てから外れた為に、思わず聞いてしまう。
「ええ、普通はそう思うわよね。けど今焼いているパンの形を見てみて」
そう言われて、宇野はフライパンの上でゆっくり熱されるパンを覗く。そこにはハートの形をしたフレンチトーストが小さな煙を上げていた。大きさは他の食パンが四分割されたものとは違い、明らかに型取りしたものであった。
「あら、いい頃合ね。ひっくり返すわよ、ちょっと失礼」
そういってエミリカは柳田から一方的にフライパンを奪うと、片手でサッとフライパン返しを行う。素人目にも分かる高等な技術を手際よくこなし、フレンチトーストはバターを散らしながら綺麗にひっくり返った。それはまるで艶やかに鱗粉を巻きながら空を舞う蝶のようであった。バタフライだけに。
「これでわかったでしょ?このフレンチトーストは想いビトに食べさせる為の愛のフレンチトーストなのよ!」
『な、なんだってー!』
家庭科室に驚きの声が響いた。
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