┣ 2.3_極秘案件

「お前にはこちらの案件を依頼したい。博士の持つ研究成果の回収と身辺警護だ。詳細は調査担当の紅谷から聞いてくれ」


 藍野は受け取った案件概要にざっと目を通し、写真に目を向けた。

 護衛対象者は白鳥しらとり柊司しゅうじ博士とその娘、レイ・ウェルズ・白鳥、日本名は白鳥怜。

 博士は目の前の男と似た顔立ちで、まるで黒崎がそのまま老け込んだ様な姿だった。

 もう一人の女性、レイは今朝会ったばかりだ。

 朝に抱いた既視感、黒崎に目鼻立ちが似通っていたからだ。

 右手に博士、左手に女性の写真を手に、黒崎と挟んで並べて比べた。

 まるで親子で兄妹。

 他人の空似にしても、こんな事があるのだろうかと不思議に思った。


「お前も紅谷と同じ反応か……。参ったな、俺はそんなに似ているか?」


 黒崎は困ったようにため息混じりで言った。


「似てるも何も、ここに先輩の写真があれば完璧な家族写真ですよ。黒崎先輩、この方は先輩のご親戚の方ですか?」


 内密にしてくれと前置きして、黒崎は言った。


「白鳥博士は実父だ。私が2歳の頃、母と離婚して、私は母に引き取られた。以来、会った事はない。だから博士にも妹とやらにも別に何の思い入れはない」


 黒崎は何の感情も見せずに言った。


「これ……警護拒否とありますが、説得であれば俺より実の息子である先輩の言葉の方が聞いてもらえる気がしますが」


「先程も言ったが、私が白鳥博士に思い入れがないように、向こうも私に思い入れはない。今回その線は使えないと思ってくれ」


 藍野は納得しかねた表情で言った。


「うーん。本当にないんでしょうか? 妹さんの名前に先輩の字を使うような方なのに……」


 娘の方はアメリカ国籍を取得したらしく、名前もアルファベットが並んでいたが、日本名には黒崎と同じ漢字が使われていた。


「これは私の母親の名だ。違う字でもよかったのに、わざわざ同じ『怜』の字を使うなんて。皮肉にも程がある」


 黒崎は嘆息し、殊の外、嫌そうに顔を顰めた。

 とても機嫌が悪そうだが、藍野は恐る恐る言った。


「あのう……黒崎先輩。差し出がましいとは思いますが、会わなくて本当に後悔しませんか? 博士が日本に戻って来た理由って本当は……」


「それ以上は言うなよ。言ったらお前でも殴るからな」


 殴るどころか殺意さえ見えそうな剣呑な雰囲気に「息子に会いたかったからでは」と言えず、漏れ出る圧に藍野は言葉を強引に飲み込んだ。


「本件の依頼は博士とその娘の警護と研究成果の回収。なお、この案件は私が直接統括、実行メンバー選定はお前に任せる。質問は?」

「ありません」

「では、よろしく頼む」


 藍野は敬礼し、部長室を出ていった。


 ※ ※ ※


 藍野が出ていくと、黒崎は椅子の背を軋ませながら背中を預け、目を閉じて長い長い吐息を漏らした。


(まさかあの人が最期、日本に戻ってくるとは、な……)


 あの人と関わるのはあれきりだと思って我慢したのに、つくづく自分はついていない。

 ノートPCの画面を切り替えて紅谷の作成した事前調査書をパラパラとめくりながら、再会した日を思い出していた。


 あれは碧月に付いてアメリカでインターン研修を受けていた頃だった。

 黒崎は警護員、父親は護衛対象者として。

 偶然にしては出来過ぎな縁だが、黒崎は少し期待していた。

 大きくなった自分を見て、父は何と声をかけるのだろうかと。


 だが、期待しすぎたようだった。

 碧月から目を通すようにと渡された博士の事前調査資料には、目を疑う事ばかりが記載されていた。

 娘も早くに亡くなり、再婚した妻も相次いで亡くなった。

 その後、娘を一人もうけた。

 只の再々婚なり引き取った養子ならまだ納得もできたのに、父は血筋遺伝子にこだわった。

 亡くなった妻の凍結卵子を元に、金を積み、代理出産を使ってレイを生ませた。

 レイは亡くなった娘と同様、生まれつきの遺伝子異常を抱えていて、博士が開発した遺伝子治療を行った。

 病は治ったというのに、博士は実験レベルでしかない人体改造まがいの遺伝子改変を更に行い、レイはサヴァン発症の最初の成功例となった。

 その過程は父の理想通りの娘を作るためだけに、ひたすら研究に心血を注いでいるように見えて、気が狂っているとさえ黒崎は思った。


 そんなレイのサヴァンは、数字とプログラミングに秀でていた。

 黒崎が見かけたとき、レイは当時14歳。

 父親の意向で学校には通わず、通信制で教育を受け、プログラムや数学だけ大学の授業を受けていた。

 年相応に友達と一緒にアイドルやおしゃれに熱中するわけでもなく、ただ黙々とプログラミング画面と向き合う青春なんて不憫だとさえ思っていた。


 報告書を読み終えると、あれだけ父に会ってみたかった感情は一気に霧散し、残ったのはそんな父親の血が自分にも流れているのだという嫌悪感。

 仕事とはいえ、そんな父と顔を合わせて自分が護衛をする事を厭い、ただただ早く終わるようにと心を無にして仕事をこなした。


 幸いにも黒崎はインターンだったため、護衛対象である博士の前に出る事もなく、次の案件に担当が変わった。

 これで縁は切れた、そう思っていたのに……。


(結局、逃げられないって事か……)


 白衣姿で難しい顔をする横顔の写真と同じ顔をしている事に気づかないまま、黒崎は報告書のファイルを閉じた。

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