第58話「振り返ったその先には……」

 渚ちゃんと一緒に文化祭を見て回る。

 各クラスの出し物を眺めて感想を言い合い、出店で買い食いをする。

 もちろん1メートルの距離は保たなければいけないので、話してる時に他の生徒が間を横切ったり、買った食べ物をいったん中間距離に置いて食べ合うということはしなければならないけれど。

 

 でも楽しかった。たったそれだけのことだけど、夢のような時間だった。

 彼女いない歴イコール年齢だった俺にとって、それまでの鬱積を晴らすような素晴らしい時間だった。


 しかも。

 しかもだ。

 その夢のような時間を、渚ちゃんが率先して楽しみたいと言ってくれたのだ。

 おつき合いしていることを誰にも知られたくないと言っていたあの渚ちゃんが、リスクを背負ってまでも俺と文化祭デートをしたいと。


「ああー……幸せだなあー……」


「はいはい、浸ってる場合ではないですよ先輩。この後体育館で軽音楽部のライブですからね。廊下の人ごみを考えると中庭を通り抜けたほうが良さそうなので、そちらへ向かいます」


 しみじみとつぶやく俺を、休日のパパめんどいですとばかりに急かす渚ちゃんは、文化祭のパンフと実際の状況を確かめ、完璧なルートをたどって行く。

 生徒たちやお客さんであふれる校内を、すいすいなんの障害もなく進んで行く。

 ううむ、さすがだ。


「「あ、高城たかしろ先輩。見回りですか、お疲れ様ですっ」」


 後輩なのだろうか、風紀委員の腕章を腕に巻いた女生徒がふたり、渚ちゃんに敬礼して来た。


「はい、ご苦労様です。でもわたしは今プライベートなので、敬礼はしなくていいですよ」


 プライベートだろうが仕事中だろうが、普通は敬礼しなくていいと思うのだが……さすがは渚ちゃんの後輩といったところだろうか。規律がとれすぎてて、なんだか軍隊みたい。


「「はいっ、わかりましたっ」」


 ビシィッと気を付けの姿勢をとるふたり。


「ふふ、そんなにしゃちほこばらなくてもいいですよ。せっかくの文化祭なのだから、あなたたちも楽しんでください。互いに時間を合わせて交代をとって、見て回るといいですよ」


「「はいっ、お気遣い痛み入りますっ」」 


 ふたりは俺たちがその場を後にしてもしばらくの間、直立不動で見送っていた。


「ううむ、こんなところにも渚ちゃんの遺伝子が……うちの風紀委員はすごいなあ……」


「なんですか、わたしの遺伝子って」


 ちょっと嫌そうな顔をする渚ちゃん。


「いや、渚ちゃんが風紀委員でも上手くやってるんだなあって思ってさ」 

 

「そう見えますか? んー……たしかに最近は、みなさんを身近に感じますけども……」


「以前はそうでもなかった?」 


「ええ、わたしが行くと怖がって逃げてしまうようなことが多々ありました」

  

 渚ちゃんは一瞬顔をしかめたが、すぐにパッと明るい表情になった。


「でも、最近は距離を近く感じます。みなさん積極的に話しかけてくれて、指示を求められたり、以前は近寄って来てすらくれなかったのに」


 以前はどんだけだったんだよと思いつつ、でもいいことには違いない。

 恐怖が尊敬に変わったのなら、もう一歩踏み込んで冗談などを言い合えるような気安い関係になれる日も来るかもしれない。

 いや、きっと来る。今の渚ちゃんにならそれは可能だ。 


「これもきっと、先輩のおかげですね」


 ふふ、と渚ちゃんは笑った。


「先輩のような人と過ごしているから、わたしの角がとれてどんどん丸くなっていっているのだと思います。そのおかげで、わたしに対するみなさんの印象が変わったのだと」


「そんなことないよ。渚ちゃんは自分の力で……」


「いいえ、先輩のおかげです」


 渚ちゃんは断言すると、後ろで手を組み、いたずらっぽく笑った。


「以前にも言いましたけど、先輩は素晴らしい人だと思います。柔らかくて、暖かくて、一緒にいる人を安心させてくれる秘密成分を発している。その秘密成分がわたしを変えてくれたんです。秘密成分ってなんなんだという話ではあるんですけど、そうとしか説明できないのでこのまま使いますね」


 コホンと咳払いすると、渚ちゃんは吸い込まれそうな瞳でこう言った。


「改めて言いますね。わたし、先輩とおつき合い出来て本当に良かったで……」


 ドサッと、何かが落ちる音がした。


 驚いた俺たちが振り返ると、そこにいたのはルーだった。

 出店で買ったのだろう茶色い袋を取り落として硬直していた。

 袋からベビーカステラがこぼれているのにも気づかずに、顔を真っ青にしてこちらを見ていた。

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