第16話「勉強会」

 ふたりの攻防は、学校でも行われた。

 もちろん殴ったり蹴ったりというわけではない。


 おおげさに言うならば、校則遵守の合法的な決闘。

 端的に言うならば、体育の時間に争うようになったのだ。


 渚ちゃんは古武術の極意目録(極意を教えてもらえるほどの実力者のことらしい)。

 ちひろは運動部の助っ人として方々に駆り出され、そのスポーツそのスポーツで中学生記録を塗り替える大活躍をしている。


 運動神経に自信のあるふたりのぶつかり合いは、それは凄まじいものだった。


 次々と塗り替えられる体力測定の記録、見たこともないような球技の得点。

 クラスのみんなも引くほどの真剣さで、ふたりは覇を競い合った。

 何度か俺も見たことがあるけど、ふたりだけチートでも使っているかのような動きをしていた。

 

「先輩。今日はわたしの圧勝でした」


「兄貴、あたし勝ったから。あいつ、泣きそうな顔してたし」


 交互に繰り返されるふたりの戦勝報告。 

 かたや彼女、かた妹で、俺はどう返答したらいいのかと、日々悩んでいたのだけれど……。


 ある日、それらが一気に解消されるような事件が起きた。

 俺と渚ちゃんの間に首を突っ込みまくっていたせいだろう、ちひろの成績が急に落ちたのだ。

 もともと頭が良いほうではなかったのだが、直近のテストでは驚異の全教科赤点。

 普段はそこまで成績を気にしないお袋も、これにはキレてしまい……。


「うう……今度の補習テストで全教科50点以上とらないとお小遣いゼロだって」


 居間のソファに寝転がっている俺に、半べそになったちひろが泣きついて来た。


「まあ妥当な処置だな」


 さすがに全教科赤点では、兄としても妹の将来が心配になる。


 実際問題、こいつの能力ならスポーツ推薦で大学に行けるだろうし、そこからなんらかの競技のプロ選手になる道はあるだろうが、こいつの場合、特に何か好きなスポーツがあるわけでもないんだよな。

 どのスポーツだって、けっきょく最後はそのスポーツが好きかどうかにかかってくるだろうし。

 となるとやはり違う職業で食っていくことを考えるべきで、勉強がそれなりに出来るに越したことはない。


「な……っ!? だ、だってお小遣いゼロよ!? 全教科50点以上とるまで、延々ゼロなのよ!? つまりは生涯お小遣いゼロ円生活なのよ!?」


「おまえいつまで親にお小遣い貰い続けるつもりだよ」


 というかおまえ、俺のことを養うとか言ってなかったか?


「つーかさ、そもそもがそんなに難しいことか? 俺だってそんなに成績いいほうじゃないけど、50点ぐらいはとれるぞ?」


「はん、兄貴みたいな持ってる人間にはわかんないのよ」


 ちひろはやさぐれたような表情になった。


「世の中にはね、持ってない人間がいるの。どう頑張ったってその領域にたどり着けない、哀れな子羊がたーっくさんいるのよ。わかる?」


「まったくわかんねえし、そもそもおまえは全然頑張ってないじゃん」


「ああああああーもうっ!」

 

 ツインテールを振り回すようにして発狂すると、ちひろは俺の上に乗っかって来た。


「そうゆーのはいいから! あたしに勉強教えてよ!」


「ええ……俺があ……? いいけど……俺も別に成績いいほうじゃないしなあー……」


 俺はううむと唸った。

 さすがにお小遣いゼロはキツイだろうし、協力してやるのはいいのだが、俺のおかげで成績が伸びるという未来がまったく見えない。  




 □ □ □ 




 さてどうしたものかと思い、その晩渚ちゃんにラインでアドバイスを求めたところ……。


(いいですよ。わたしが教えても)


 意外な返答が返って来た。


「え、大丈夫? 相手はちひろだけど、渚ちゃん嫌いじゃないの?」


(好きか嫌いかで言われれば嫌いです。ですがわたしはこう思うのです。日頃わたしに嚙み付いて来るちひろさんをしつける、これは良い機会だと)

 

「え、躾ける?」


 犬や猫じゃないんだからと戸惑う俺に、渚ちゃんは迷わず続けてきた。


(わたしが勉強を教えたことで、ちひろさんの学力が向上する。当面の危機を脱することが出来る。本人がどう思おうが、そこには一定の師弟関係が存在します。何しろプライドの高い人ですから、それは一生消えない負い目として残るはずです。そうなれば彼女の舌鋒ぜっぽうも緩むはず。わたしと先輩の間にも、これまでのようにほいほい入っては来れなくなるはずです。もし仮に入って来たとしたなら、わたしがそう指摘します。彼女の自尊心を打ち崩し、戦いを有利に進めます。つまり最終的にはわたしの勝ちです)


「うおう……」


 俺の彼女の動機がちょっとヤバい件。


「んんんー……わかった。ちひろに伝えて、良さそうだったら頼むよ」


 渚ちゃんの成績は学年1位。

 さらに教え上手でもあることだし、ちひろの成績を上げる効果は俺よりよほど見込めるだろう。

 

 動機はあれだけど、ふたりでひとつの目的を果たすというのは決して悪いことじゃないはずだ。

 もしかしたらこれをきっかけに仲良くなってくれるかもしれないし……。


(もしかしたら、これをきっかけに仲良くなってくれるかもしれないし……などと思ってはいないでしょうね?)


 何なのエスパーなの?

 動揺する俺に、渚ちゃんはピロンとスタンプを送って来た。

 カピ腹っさんが横目でこちらを見やり、口元に皮肉めいた笑みを浮かべたスタンプだ。

 

(期待をしていただいたところ申し訳ありませんが、そういったことは起こり得ません)


 素っ気なく言うと、渚ちゃんはラインを打ち切った。







 ~~~現在~~~




「その話はやめてよ。黒歴史だわ」


 蝿でも追い払うかのように頭の上で手を振るちひろ。


「そうですか? わたしにとっては愉悦ゆえつの日々でしたが」


 一方で、渚ちゃんはツンとすまし顔。


「……ちっ。あんたってホント、いい性格してるわよね……」


「ちひろさんをへこますだけでも当時は溜飲が下がる思いでしたが、先輩がおまけでついて来てくれたのが、なお良かったですね」


 んふ、と可愛らしく笑うと、渚ちゃんが俺の肩に頭をコツンとぶつけて来た。

 そうそう、さすがにふたりきりで勉強させるわけにはいかないから、3人で勉強会をすることになったんだよ。

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