第4話「最初のひとつ」

 デートの終わり。夕方夕暮れ。

 俺は渚ちゃんを家まで送って行った。

 さすがに家の前まで行くのはハードルが高いし、渚ちゃん的にも困るだろうから、あくまで家の近くまでということで。


 森林公園のあるその一帯は、閑静な住宅街だ。 

 大通りから距離があるせいか車の音もせず、行き交う人の表情にも落ち着いた感じがある。


「ありがとうございます。この辺でけっこうです。それでは先輩、お疲れ様でした」


 そう言うと、渚ちゃんはペコリと礼儀正しく頭を下げた。


「ああ、お疲れ様」


 お疲れ様、か。

 なんかデートっぽくないというか、会社員がひと仕事こなしたみたいな響きだが、渚ちゃんが言うとまったく違和感が無い。


 それはたぶん、このコの大人っぽさのせいだろう。

 何事にも真面目で、常に準備万端で、報連相がしっかりしてて。

 キャリアウーマンとしてバリバリ働く未来が容易に想像できる。


 対する俺はまだまだ子供で、将来はもちろんどの高校を受験するかすら決まっていない。

 つくづく釣り合わないよなあ、などと小さくへこんでいると……。 


「しかし渚ちゃんの家ってこの辺だったのか。懐かしいなあ」


 ふと、昔この辺によく来ていたことを思い出した。


「懐かしい……あっ?」

 

 渚ちゃんはハッとしたような顔になった。


「もしかして、覚えているんですか?」

 

 胸に手を当て、ものすごい勢いで詰め寄って来た。

 大人のカピバラ一匹どころか子供のカピバラ一匹分よりも近い、超々至近距離だ。


「え、近っ? え、何っ? 覚えてるって何?」


「先輩がここであの時わたしを………………ああその、なんでもありません」


 急に我に返ったみたいな顔になった渚ちゃんは、ササッと距離を離した。 

 再び大人のカピバラ一匹分の地点に到達すると、頬をぐしゃぐしゃに揉んだ後、改めて俺を見た。 


「今日は本当にお疲れ様でしたではまた」


 やたらと早口で事務的な挨拶を終えると、そそくさ早足で去って行く。

 急なことの連続で困惑のど真ん中にいた俺は、なすすべもなくその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。


「ええと……お疲れ……様? またね?」

 

 ようやく別れの挨拶を口に出来た時には渚ちゃんはその場におらず、微かな風がむなしく吹き過ぎていた。








 ~~~現在~~~




 あの時、去り際に渚ちゃんが何を言いかけたのか、『覚えている』とはなんなのか、ずっと疑問だったんだけど……。


「先輩は未だに気づいていないんですね。まあしょうがないんですけど……」


 ハアとため息をつくと、渚ちゃんは説明を始めた。


「今さら言うまでもないことですが、わたしの家は町道場で、近所の子供たちに古武術を教えているんです。わたしも小さい頃から習わされていましたが、稽古がハードなので生傷が絶えません。あれはたしか小学3年生の頃です。膝や肘を擦り剥いたまま何の処置もせずに歩いているわたしを見て、年上のお兄さんが声をかけて来たんです。『大丈夫? 痛くない?』って。痛みに慣れっこになっていたわたしは『平気ですので構わないでください』と言ったんですが、そのお兄さんは全然言うことを聞いてくれないんです。『消毒液とカットバン持ってるから任せてよ』って。『うちも妹がよく怪我するからさ、こういうの欠かさないんだ』って。頼んでもいないのにわたしの傷を治療して……」


 渚ちゃんは当時を懐かしむように目を細めた。


「一回だけじゃありませんでした。一週間後にも同じようなことが起き、その一週間後にもまた同じようなことが起きました。毎回同じ場所でわたしはお兄さんと出会い、お兄さんはいつもわたしを治療してくれました」


「あ……」


 俺は思い出した。

 当時父親が森林公園の管理者をしていて、よく学校帰りに遊びに行っていたこと。

 水曜日が授業の少ない曜日だったので、その日は早くから公園で遊べたこと。


 その女の子のことも思い出した。 

 無口で目が鋭い、綺麗な顔立ちの女の子のことを。

 

「あれが渚ちゃんだったのか」


「ようやく思い出してくれましたか」


 驚く俺を見て、渚ちゃんはふふと嬉しそうに微笑んだ。


「そうです。それがわたしが先輩を好きになったきっかけ。最初のひとつ」

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