深淵

不死鳥ふっちょ

 死んだ。

 みんな死んだ。

 戦士アインは邪霊に憑りつかれた。邪霊は無邪気な子供が玩具の人形を振り回すように、戦士の体を弄んだ。何度も壁に頭を打ち付け、痛い痛いと泣きながら頭蓋骨が割れるまで、血の涙を流しながら頭を打ち付けて死んだ。

 盗賊ジリルは体を溶かされた。頭の上から降ってきた半透明の蠢く魔物に飲まれ、その中でゆっくりと体が散っていった。それとも窒息したのだろうか。顔を真っ赤にしながら手足を暴れさせ、息をしようともがく体は次第に血の靄で見えなくなった。最後までは見ていないから分からない。

 癒術師クリフは鬼人に喰われた。鬼人が振り回す黒く錆びついた大鉈は、刃のついた鈍器のように強力だった。癒術師は肘から先を切り飛ばされ、目の前で切り落とされた腕を喰われた。それからはあっという間だった。味をしめた鬼人が群がり、悲鳴はだんだんと弱々しくなり聞こえなくなった。


 みんな死んだ。

 やっぱり私にはまだ早かったんだ。

 戦士のように、「洞乃縁ウロノフチ」出身者ですら命を落としたんだ。私みたいな「内地ハテノチ」出身者が迷宮で生き残るには、まだ力が足りなかったんだ。

 それでも、生きて帰れるかもしれない。

 だから走る。

 喉の奥に血の味がしてきたが、死ぬよりはましだ。

 ワンドはとうに失った。草履サンダルはいつの間にか履いていなかった。

 足の裏が痛むが、見るのは地上についてからでいい。

 その分傷はひどくなるだろうが、いずれは治る。

 どこかでぶつけたせいでずきずきと痛む右腕は折れているかもしれないが、それもいずれは治る。

 今は、地上に戻ることだけを考えなくては。

 目の前の角を曲がりながら、魔物に出くわしませんようにと祈る。

 こちらは荒い息をつきながら、大きな音を立てながら走っているのに、気づかれませんようにとはずいぶんと虫のいい話だ。それでも願う。

 目の前に広がる暗がりに光が見えた。

 橙色の光が揺らめいているのが、まっすぐ伸びた迷宮の回廊の彼方に見える。

 あれは地上へ続く扉についた松明だろうか。それとも他の冒険者の持つ灯りだろうか。

 どちらでもいい。光は救いだ。

 私は声を張り上げて助けを求めたが、乾いた喉はかすれたような声しか出なかった。もう一度、やや足を止めて声をかける。一度後ろを振り向き、危険が迫っていないことを確認して、私は叫んだ。

 返事はない。だがこちらは松明を持っていない。だから向こうからは見えなかったのだろう。


 そのときに私は気づいた。

 向こうからはこちらは見えない。それと同じで、私からは向こうが見えない。光があるだけだ。

 あの光がどうして味方だと思ったのだろう。まっすぐの廊下。その先の光。

 光が揺れる。私はもう声を出そうとはしなかった。

 光が揺れる。つんと獣臭が鼻を突く。

 光が揺れる。人影が闇の中で動く。

 鬼人の中には、魔術を使う輩もいると聞く。私がまだ出くわしていないだけだ。

 数は五人。それが分かるということは、向こうからも私が見えているということだ。

 杖も持たず、仲間もいない、疲れ切った独りぼっちの魔術師。

 迂闊だった。浅薄だった。

 目の前から、豚の頭をした鬼人がゆっくりと姿を現した。

 

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