猫とダンジョン。

大秋

第1話





 吾輩は真っ暗闇の中にいた。


 ミーミーミーミーと、か細い声が聞こえるが、自分のかわいいお口から出ていることに気が付くには少し時間が掛かった。それもそのはず、まさかこんなにも弱々しい音が自らから出ているとは思うはずもない。それでも何かをしていないと落ち着かないし、それまでやっていた事なので何かしらの意味があるのだろうと思い、暗闇の中であったが鳴き声を出し続けてみた。

 どれほど時が経ったのだろうか、口からはミーミー鳴っているのに、お腹は低い音でグーグーと鳴っている。

 グーグー鳴るという事は時は確実に流れているのであろうが、それであっても望んだものへと状況が変わることはなかった。それどころか、喉がイガイガして疲れてきた。


 体力の温存を考えて、とりあえず鳴くのをやめてみる事にする。先程までは騒がしかった暗闇の中も、今では静寂に包まれている。自らが発した鳴き声の反響だったとはいえ、暗闇の中で何も音がしないというのは、少しばかりの恐怖心を覚えるのだけれど、背に腹は代えられない。いや、お腹を背に代えようとも何かが変わるわけではないのだけれど。


 そもそもなぜこんな事になっているのだろうか。記憶がピョンと出てこないかと頭を傾げてみるが、口元にあるヒゲが揺れるだけであった。


 ヒゲがある。


 ヒゲ?


 吾輩はダンディなヒゲを伸ばしていたのであろうか。とりあえずヒゲに触ってみるが、ヒゲに触ろうとしたその時に手の感覚もおかしなことに気が付いた。


「ニャンだこれ?」


 口から意味のある音を紡ぐ。

 その音に意味があると理解出来るということを理解出来るのであるから、吾輩は天才なのかもしれないという言葉も理解出来ている。


 記憶の糸を、シャカシャカと鰹節をかじるように、辿るように思い出してみれば、吾輩は所謂いわゆる猫というやつであるみたいだ。

 世間一般の猫と違うのは何となくわかった。

 そもそも猫という生き物はこんな所にいるはずがないからである。

 こんな所というからにはこの場所を知っているという事に理解が追い付かなければならないのだが、この場所はちまたでダンジョンと言うやつであることを吾輩わがはいは知っていた。


 なぜ知っているのか。

 記憶マイスイートメモリーにあるのだから、なにか紐付く情報があっても良さそうなものだけれど、結局わからなかった。


 思い出したことは吾輩が猫であるという事と、ここがダンジョンであるという事だけなのである。

 そして現状を付随してさらに指し示すならば、お腹がペッタンコになっているということである。


「ニャンてこったい」


 このままでは多分飢え死にしてしまうことを稀代の天才として悟った吾輩は、手足を四方に伸ばしてみる。慎ましく伸ばした爪でカリカリと縄張スペースりを探ってみるが、手足を伸ばしてみて初めてわかるこの狭さ。息苦しさは現代社会ブラックきぎょうのように。吾輩しかいないのに明らかにギューギューである。一体いつから吾輩の領土テリトリーはこんなにも狭くなってしまったのであろうか。


 身体をどうにか上手く捻ってみて分かるのは、毛がサラサラと触れるダンジョンの土壁の存在。

 たぶん灯りがあったらわかるのであろうが、全身を粉っぽい土壁に触れさせていたせいで凄く汚れている気がする。暗闇であり認識できない以上汚れていない事として捉えた方が、いろんな理論や概念や精神衛生上良いのであろうが、吾輩の記憶マイスイートメモリーによれば、吾輩はとても美しい毛並みをしている筈であるから、汚れてしまうのは少々勘弁願いたい。


 汚れていても吾輩の気品というやつは一欠片けのひとつほども損なわれることはないのであるけれど、少し猫背を伸ばしてみたい年頃なのである。


 四方は途轍もなく狭い吾輩の領土いえであったが、天井にかけては意外に広い空間がある事に気が付いた。吾輩のヒゲが何もしていないのに揺れていたのは、上から風が流れてきていたからだろう。


「ニャンともかんとも」


 とりま土壁に爪を引っ掛ける。吾輩の身体はグーグーであるから、綿のように軽い。右手を伸ばして、左手を伸ばして、エッサホイサとよじ登る。猫であるなら前足であるかもしれないが、感覚的には器用に動く手と同じであるから、手と呼んでもいいんじゃないだろうか。しかし今の状態は誰にも見られたくはない。右手と左手を器用に動かして少しずつ登ってはいるが、吾輩の寸胴プリティボディが衆目に晒されているようで気恥ずかしい。気恥ずかしさにほっぺたを掻こうとしようものならば、吾輩の淑女のように軽い身体は真っ逆さまに落っこちてぺっちゃんこであろう。


「えっさ、ほいさ。えっさ、ほいさ」

 小気味よく流れるメロディは、気分も高揚させてくれる。なぜ登ろうとしているのか理由はよく分からないが、猫は高いところが好きだという記憶マイスイートメモリーがあったから、とりあえず記憶と本能に従って動いてみる。何かあったらその時考えればいい。吾輩は天才なのだから。


 サクサクサクサクと、爪が壁に刺さる。

 サクサクサクサクと、爪が壁に刺さる。


 シクシクシクシクと、泣き声が聞こえる。

 シクシクシクシクと、泣き声が聞こえる。


「ニャンだ?」


 吾輩の口からは、えっさほいさしか漏れていないから、シクシクは吾輩の声ではない。シクシクシクシクしているのは一体何なのだろう。もしかして爪を立てられて泣いている壁? とも思うが、それは無いだろう。なぜなら、頭の後ろからその鳴き声が聞こえているからである。


 多分猫である吾輩は、首をぐるりと曲げることは可能なのであろうが、それをすることはなかった。今はそんなことに構ってる暇がないくらいにお腹がグーグーなのだ。ご飯を確保するまでは、他のことは一切気にしないと、今決めたから、その通りに行動する吾輩はやっぱりかっこいい。


 しくしくしくしくしくしくしくし

 くしくしくしくしくしくしくしく


「えっさ、ほいさ」


 しくしくしくしくしくしくくしし

 ししくくししくくししくくしくし


「えっさ、ほいさ」


 ………………………………………

 ………………………………………


「えっさ、ほいさ」


 あのー、すいません。


「えっさ、ほいさ」


 はじめまして、猫さーん。


「えっさ、ほいさ」


 にゃーん?


「何だ猫か」


 ……聞こえてるじゃん。


「えっさ、ほいさ」


 無視するのやめてよー。


「ニャンにゃの? 吾輩めっちゃ凄い体勢ニャンだけど、すっごいすっごき体勢ニャンだけど、めちゃんこな体勢ニャンだけど、どうして今はニャし掛けるタイミングニャと思ったの? どうして? 吾輩すっごいよ今。たぶんはニャし掛けてる君が思ってる1.5倍辛いんよ? どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてなのかニャ?」


 ああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。実は寂しかったんです。一人で寂しかったんです。そんな時にニャンコさんがいたら話し掛けちゃうじゃないですか? でも話し掛けるのもちょっと気が引けるから、それなら声を掛けてもらおうかなって泣いてるふりしてたんですよ。本当にごめんなさい猫さん。ところで猫さんはこんな所で何をしているんですか?


「にゃーん?」


 ?


「にゃー」


 え?


「にゃーにゃー」


 あれ、さっきまで通じてたのってテレパシー? 気の所為? あれ、もしかして僕の寂しさが生み出した妄想?


「にゃー」


 吾輩は猫のふりをして、この奇っ怪な現象を乗り切った。さすが天才。というか猫だもんね。しかし声の主は若そうだったけれど、一体誰なんだろう。そんな事を考えていたら天に光が見えてきた。これはめっちゃ外に出られそうな気がする。


 吾輩の爪がカチッと硬いところに引っかかった。よっしゃ来た、なんか来た、真っ暗な空間から抜け出せそう臭がめっちゃする。今!


 両手に力を込めて、勢いよく光に向かって身体を投げる吾輩。さらば暗闇ブラックきぎょう。こんにちは世界ホワイトきぎょう


 そこで見たのは、




 剣を持った人間と、斧を持ったズングリムックリのドワーフと、杖を持った真っ白なエルフと、短剣を吾輩に向ける凶悪な顔の盗賊であった。



「ニャにこれ?」









猫とダンジョン、第一話 気が付けばミミックの中

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