ヒヒガミの杜
春古年
第1話 祠の有る林道
週末を利用してキャンプ場に来ている。
未だ夜も明けてない真夜中にミニバンで出かけて、到着したのは十時過ぎ。
チェックインを済ませて、それからテントやタープを立て一服すると、もうすぐお昼だわ。
「せっかくだし、景色の良い所でお昼にしたいわね」
と言う事で、用意していたお弁当を持って、キャンプ場に併設されているトレッキングコースの入口へと向かう。
ここのキャンプ場は結構穴場で、交通の便が悪い山奥という事も有ってか、環境が良いわりには客が少ない。
今日もテントは私のも込みで、三つしか見えない。
まあ……それが災いして、このキャンプ場も今月一杯で閉鎖するらしい。
せっかく良いとこ見つけたのに残念……。
トレッキングコースを示す立札が見えて来た。
因みにトレッキングコースと言っても初心者向けで、一時間半程緩い山道を進めば目的の展望台に到着する。
勿論、その展望台で景色を見ながらお弁当を食べる予定。
「今からだと、一時過ぎちゃうわね。でもまあ、急ぐ事も無いわ」
装備の方は簡素なものだけど、一応トレッキング用の装備。
トレッキングシューズにリュック、それとトレッキングポールも持ってきている。
「さてと、それじゃあ、行きますか♪」
トレッキングポールのグリップを両手に握って、林道に入っていく。
林道は狭いけど、整備されている様で歩きやすい。
左右には雑木が茂り、その枝葉が林道を覆う様に広がっていて、木漏れ日が差し込んでいる。
まるで、緑のトンネルの中を歩いている様。
マイナスイオンとか一杯出てそうで、何となく気持ちがいい。
で、その
この簡素な
前にここに来た時、この
ここに祭られている
由来や言い伝えの様なモノは、地元の人達も良く知らないと言う話だけど、以前フィールドワークで訪れた民俗学者の先生の話では、この石像自体は室町時代に作られた物だとか。
恐らく、この地に昔あった民間信仰の様なモノが、仏教と交わって作られたものではと、その先生は推測していたそう。
つまり、ヒヒガミサマは、この山を昔から守って来た山の神様と言う事。
そんな訳で、その山の神様にお供え物を用意して来たと言うわけ。
一応、山に入るからには、神様への挨拶はしとかないとね。
牙を剥いた、やけにリアルなその石像の前にバナナを置いて手を合わせる。
「今日はお邪魔させて貰います。事故とか怪我とかしません様に」
で、パンパンと柏手を打つ。
ヒヒガミサマへの挨拶も済んで、展望台へ向かって散策を続ける。
カサッ!
不意に、雑木林の中の茂みが揺れる。
なにか野生動物とかかしら?
ウサギとかシカとかなら見てみたい気がする。
でも、イノシシとかだったら……それはチョット怖いわ。
そう言えば、前に会った地元のおばさんが、
なんか不安に成って来た。
やっぱ、キャンプ場に戻ろうかしら……。
いいえ、せっかく来たんだし、それに……このトレッキングコースも来月にはキャンプ場と一緒に閉鎖されるって言ってたわ。
景色の見納めしておかなくっちゃ。
それに、イノシシとかツキノワグマとか、そうそう出会うモンでも無いわ。
「クマよけの鈴もリュックに付けて有るし、大丈夫よ」
そう自分に言い聞かせて、再び林道を歩き始める。
そしてそんな心配もよそに何事も無く、展望台に到着。
まあ、展望台と言っても、木製のベンチと柵ぐらいしか無い。
だけど、その腰ほどの高さの柵の向こうに見下ろす風景は絶品ね。
緑に広がる山林に川、そのむこうに遠く見える街並み。
風も心地良い。
でも……その絶景の中に一か所、場違いな物が見える。
向こうの山の中に、段々畑の様に並ぶソーラーパネル。
何でも、エコエネルギーの推進とか何とかで、この辺りにもメガソーラーの開発が進んでるらしい。
ここからは見えないけれど、この山も既に一部の山林を切り崩して、ソーラーパネルが設置されてると聞くわ。
キャンプ場や、さっき通って来た林道の辺りも、いずれはそうなるとか……。
「まったく、豊かな自然を切り崩してエコエネルギーだとか、ホント何の冗談かと思うわ!」
そんな無粋な建造物を見ないで済むベンチを選んで腰を掛け、絶景を見ながらお弁当にする。
「こういう所で食べるお弁当は格別ね。癒されるわ♪」
食べ終わった後も、風景を楽しみながら
家族の事、三年務めて何となく慣れて来た教師生活や生徒たちの事、それと、次はどこのキャンプ場に行こうかしらとか。
ふと気付くと、結構時間が経ってる。
まだ日も高いし、急ぐことは無いんだけど、キャンプ場に戻る頃には夕方に成ってるわね。
「夕食の準備もしないといけないし、そろそろ戻らなくちゃ」
後ろ髪を引かれる思いで、もう見る事のない絶景をもう一度見納めしてから林道の方へと足を向ける。
ん?
何か変な感じがする。
林道の雰囲気が何となくさっきと違う。
と言っても別に、道に迷ったとか、異世界に来ちゃったとか、そんなんじゃ無いわ。
林道自体は、来た時と同じ。
でも、空気が淀んでると言うか、心地良かった風が止まってる。
そのせいか、物音一つしない。
カサッ!
茂みの方から物音。
無意識に、その静寂を破った
そして……。
目が合った!?
茂みの中に潜む、真っ赤な目。
充血して赤いんじゃないわ。
瞳の色が赤いガラス玉の様な、そんな目がこっちを見てる。
体は茂みに隠れてどんな動物かは分らないけど、人で無いのは間違いない。
背筋に冷たい物が走る。
出会っちゃいけないモノと出会った、そんな気がする。
思い過ごしかも知れないけれど……。
ともかく相手がなんにしろ、野生動物を無暗に刺激しない方が良いわ。
視線を逸らさない様にそっと後退って距離を取る。
赤い瞳は私を追う様に動く。
でも、茂みの中からは出て来る気は無さそう。
その事に少しほっとしながらも、林道の曲がり角で見えなく成るまでは気を緩めない。
そして、赤い二つの目が雑木林の影に隠れた所で振り返って全力でダッシュ!
息が切れる迄、下り坂に成っている林道を駆け降りる。
どのくらい走ったか覚えていない。
限界まで走って足を止める。
ゼェーゼェーと息を整えながら、振り返って確認する。
何も居ない。
良かった、追っては来なかったみたい。
「どうやら、大丈夫そうね……」
一度大きく深呼吸して歩き始める。
まだ、全力で走った足がもつれるけれど、早くキャンプ場に戻りたい。
何となく、何度も背後を振り返りながら林道の出口を目指す。
ドサッ!
刹那、何か黒く大きな影が飛び出し林道に立ちふさがる。
「う、うそっ! な……な……何で……」
前方に立ちふさがる、そのジャーマンシェパードよりふた回りはデカい黒い巨体は……ツ、ツキノワグマ!
何でこんな事に成るのよ!
ここは、初心者用のトレッキングコースのハズなのに……。
まさか、さっきのヤツ……じゃ無いわ……。
パニックに成っちゃダメ。
冷静に観察する。
目の色が黒い。
さっき、草むらに潜んでたのはコイツじゃ無い。
だからと言って、安心できる事じゃ無いわ。
と、言うより……背後にも何か別の野生動物が潜んでる……若しくは追ってきてるかもと考えたら…………。
「ど、どうすれば良いの……」
ツキノワグマがにじり寄る様に近付いて来る。
振り返って走って逃げる……そんな事は無理!
絶対追いつかれる。
それに、茂みに潜んでたアイツが背後から追ってきてるかも知れない。
手に持ってる二本のトレッキングポールで応戦する……勝てるわけないわ!
下手に刺激して怒らせたら、却って逆効果よ……。
思考が硬直する。
目を逸らせば襲って来る。
死んだ振りなんてもっての外。
このまま睨めっこを続けて、そのうち立ち去ってくれる事を祈るしか……。
ギェェェーーーー!!
突然、林道に切り裂く様な奇声が響き渡る。
と、同時に立ちすくむ私の背後から白い影がクマに飛び掛かる。
「キャッ!」
咄嗟の事で、私の口から小さく悲鳴が漏れる。
でも、怖がってる暇は無い。
目の前でもつれあう様に争っているその二匹に釘付けに成る。
一匹は当然、今まで私と睨み合ってたツキノワグマ。
もう一匹、クマに飛び掛かったその白い獣は……。
「サルだわ……」
大きな白い毛並みのサルが、ツキノワグマの喉元に噛みついてる。
鮮血が飛び散る。
サルの白い毛並みが赤く染まっていく。
「い、今の内に……逃げなくちゃ……」
でも……キャンプ場に戻るには、もつれあう二匹の横をすり抜けなくちゃいけない。
足がすくんで動かない。
そして……二匹の決着が着く。
ツキノワグマの黒い巨体は力なく横たわり、その喉元から流れ出る鮮血が血だまりを作る。
サルがツキノワグマの喉元から食いちぎる様に顔を離し、ムクリと二本の足で立ち上がって私に視線を向ける。
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