第41話 斬るべきは誰か?
「行きましょう!」
そんなエイイチの掛け声とともに、彼を背に乗せた魔王が勢いよく舞い上がった。地上に残したクリスタリナが遠ざかり、魔王はマルパスへと急接近する。魔王はドラギちゃんよりずっと大きく、ワンボックスカーとバスの差は歴然だ。ゴリ押しされれば分が悪いと感じたのか、ドラギちゃんは逃げるように羽ばたき上昇していく。
「ちょこまかとっ!」
月を背に、マルパスがここ一番の魔法を繰り出さんと、両手をまっすぐ伸ばしエネルギーを貯め始める。魔王が速度を落とし身構えるが、それより先にマルパスの体勢が突然崩れた。
「なにぃっ!?」
急にドラギちゃんが頭を下げたため、マルパスは素っ頓狂な声を出した。ドラギちゃんは首をまっすぐ伸ばし、動揺するマルパスを躊躇なく振り落とすと、空中のエイイチたちすら無視して一直線に地面向かって降下していく。
「どこへ行くっ!?」
空中を自由落下しながらマルパスが叫んだ。彼女同様戸惑うエイイチがドラギちゃんを見ると、その行く先、地上には茶色い何かがうずたかく積まれていた。エイイチからは遠すぎてその茶色がなんなのか識別できなかったが、その周りに集まった人々を見て彼は、なんで? と思った。上空からでも彼らが誰なのかはよくわかった。
それは、『ドラゴンイーター』のいつものメンバーであった。
「エイイチ様! 私たちが手助けします!」
ドラギちゃんが茶色の山にダイレクトに突っ込むと、例の看板を掲げる店主が声を張り上げた。
「いつもご来店いただいている御恩を今こそ返さないと!」
その声を合図に、ドラギちゃんは茶色の山を貪り始める。荒々しく食い散らかされるその破片がエイイチのところまで飛んでると、骨のついた肉片と香ばしい香り。それはあのフライドチキンで、『ドラゴンイーター』が大量のチキンを作ってドラゴンを誘導してくれたのであった。
そんな光景を横目に、あのダークエルフの女が言った。
「あーし、エイイチに家買ってもらう約束忘れてねーから」
それは今ここで言うセリフなのかとエイイチは思ったが、それでもなんだか嬉しくなった。絶対にこの世界を救わなくては、そう思った。
さらに、ドラギちゃんの後ろからクラーケンがやってきた。クラーケンが白く長い触手をそうっとその緑色の首に伸ばすと、あの濁った両目でエイイチ、そして魔王を見て言った。
「地獄ではビッドコインを換金できなイカら……」
次の瞬間、ドラゴンは泡を吹いて気絶した。
だが、
「こしゃくな……」
エイイチが視線を上げると、背後には二枚の羽根を生やしたマルパスが控えている。黒いスーツの背中から生える白いそれは、クリスタリナと同じ天使の羽根である。ただマルパスのそれはクリスタリナのそれよりずっと大ぶりで、月明かりを受け艷やかに輝いていた。
「死ねぇっ!!」
マルパスが叫んだ。
直後、至近距離で繰り出された火球を、魔王が急上昇しつつバリアを張って食い止める。いきり立ったマルパスはギラついた目で羽ばたきながら、がっつりバリアに取り付いてくる。
「オドレェ、なんやねんっ!!」
魔王が吠えて、そのドスの利いた迫力にエイイチの肌に電撃的な疼きが走る。魔王は深く息を吸い込み、バリアを増強しようとする。が、マルパスもまた凶悪で、白い額に青筋を立たせ全身を発光させながら、強引に腕をねじ込んでくる。もはやなりふりかまってはいられないのだろう。
「なんやなんやなんやねん!!」
と、魔王の肩が苦痛に揺れた。一方、マルパスは女性にあるまじき雄叫びを上げて、べりべりとバリアをこじ開けていく。それは魔法というよりほとんど力技であった。
「あ、これあかんかも」
いよいよマルパスの上半身がバリア内に侵入し、さすがの魔王も屈しそうになった瞬間、マルパスの羽根を一本の矢が貫いた。
「今度はっ!?」
マルパスが叫ぶと同時に、三本、四本と新たな矢が羽根に突き刺さった。マルパス以上に驚いたエイイチが下を見ると、一人の男が弓を掲げ立っていた。
「私からもエイイチ様にプレゼントです」
それは以前エイイチが矢を千本買い与えた猟師の男であった。
「エイイチ様のおかげで、矢はまだたくさんありますからね」
「ありがとう。助かった!」
「なんのこれしき」
と、猟師が言うがいなや、今度はおびただしい数の矢がマルパス向かって飛んできた。それはどう見ても猟師ひとりで放つことができる量ではなく、続くのは聞き覚えのある声である。
「今は魔王とも共闘じゃ!」
王様であった。
なんと王国軍までもが加勢していた。完全武装の王様を先頭に、地平線からこちらまで埋め尽くさんばかりに行軍してくる騎馬軍団は、圧巻の一言であった。
「王め、裏切ったな!」
バリアにかまけ無防備に晒されたマルパスの羽根を、いまや大量の矢が貫いていた。血塗れとなった羽根はその機能を失い、彼女はゆらゆら地上へと墜落していく。
馬に乗った兵士たちがその落下地点に先回りしていた。地に堕ちたマルパスを彼らは一斉に取り囲み、王様自ら斬りかかる。マルパスは羽根を素早く収納し攻撃をかわすと、魔法の力で衝撃波を引き起こす。驚異的な風圧ですべてを薙ぎ払わんとするが、同じく待機していたクリスタリナが同等の風魔法でそれを打ち消した。
「王め貴様。こんなことをしたらどうなるか、わかっているだろうな?」
「そんなことはわかっておる。この戦さえ乗り切れば、ワシは最悪どうなっても構わん。だが王として世界を潰すわけにはいかん。わかるじゃろう?」
鎧兜を身に着け、白馬にまたがった王様はさすがに貫禄があって、その勇敢な宣言に軍が沸き立った。魔王と一緒に地面に降り立ったエイイチは、街は近代化しても、軍隊だけは旧来のスタイルにこだわった王様はさすがだなと思った。戦車に銃弾では、ここまで格好はつかなかっただろう。
「王っちゅうのはこうでないとあかんわな。知らんけど」
と、魔王が言うと、
「いったん停戦じゃ。戦いが終わったら、またゴル……いや、わかるじゃろう?」
と、王様も答えた。
そんな王様の背後には、タレ目が特徴的な男が控えていた。それはあの元引きこもりで、ヒゲを剃ると円熟の個性派俳優みたいな顔をしていた。知らぬ間に戦場に荘厳なBGMを流しているのは、エイイチが以前資金援助したオーケストラであった。
「どいつもこいつもっ!」
マルパスがことさら激昂し再び凶悪な衝撃波を放つと、今度ばかりはクリスタリナでも抑えきれない。王様や兵士たちはあっさりと吹き飛ばされ、魔王にまたがったままのエイイチもずるずると押されてしまう。
「死ね。マジで死ねぇっっ!!」
マルパスは女神にあるまじき言葉遣いで、ダメ押しの風魔法を放ってくる。
すかさずクリスタリナが前に出た。魔王が彼女の前にバリアを張って補助するが、耐えきれない。
煤だらけのピンク髪を振り乱し、スーツやシャツが千切れはだけるのも構わぬマルパスの猛攻は圧倒的だった。
いよいよ魔王の魔力もつきて、気づくと、エイイチたちは吹き飛ばされている。
「ぬおぉぉぉっっっ!!」
それでも、魔王はへこたれなかった。
吹き荒れる嵐の中、彼は空中でエイイチとクリスタリナを両脇に抱えこんだ。そのまま風に乗り、半分地中に埋まった大きな瓦礫の後ろへとエイイチたちを退避させる。魔王は彼らを地面に押し付けるがいなや力尽き、後方へと吹き飛び消えていく。
嵐が止まった。
エイイチは慌てて飛び起きて、瓦礫の影から駆け出した。しかしそれより先に、マルパスへと向かっていくクリスタリナの背中を彼は見た。瀕死のクリスタリナが発した火炎魔法はあまりに弱く、代わりに抜いた剣もあっさり弾き飛ばされると、彼女はマルパスに首を捕まれ地面に叩きつけられた。
それはごく短時間の出来事で、エイイチの身体は図らずも硬直する。まずい、と思った。勢いで駆け出してみたはいいが、彼は最強の女神相手にまったくの無策だったのだ。
「おい少年。お前では私に勝てない」
エイイチの怯えを察したかのようにマルパスが言った。彼女はクリスタリナを足蹴にし、エイイチの腰に据えられた剣を顎でさしながら言葉を続けた。
「だが、ここまで追い詰められたのも久々だ。思ったよりお前は使えるみたいだ。正直、生かしておいてやってもいい。だから、この女を殺せ。殺したら妹は助けてやる」
その刺々しい声に、マルパスの足元でクリスタリナが呻き、エイイチは息を呑んだ。うつ伏せになったクリスタリナは頭を革靴できつく踏みつけられ、美しい銀の髪が土まみれとなっていた。
クリスタリナを殺す?
マルパスに言われた言葉をエイイチは小さく繰り返す。そんなことできない、とすぐに思う。だけどマルパスの瞳は魔力を帯びて、有無を言わさぬ光を放つ。
「やれ。一生遊べるだけのカネもやる」
エイイチの全身が強くしびれた。はじめてマルパスと会ったときのように体が震え、嫌でも剣に手が伸びてしまう。
ダメだこれは魔法だ、と彼は心のなかで抵抗する。
でも、
ウメコを救えるなら別にいいのではないか。
そんな考えも頭をよぎった。
ダメだダメだダメだ!
剣を振るえば、クリスタリナは死ぬ。この世界もたぶん終わる。ウメコを救えたとしても、俺はみんなを見捨てることになる。
それでいいわけないだろう?
必死に葛藤するエイイチとクリスタリナの目が合った。私に構うな、と彼女が言っているような錯覚を彼は覚えた。
いやマジでダメだ。俺はマルパスにこそ斬りかかるべきなんだ。けど、どうやっても彼女には勝てない。なら、どうすれば? ここで俺にできることはなんだ?
エイイチは剣を抜いた。
ぐっと正眼に構え、鋭いその切っ先をマルパスに合わせようとする。膝に力を込めて息を吸い、何度も自分に活を入れる。なのに剣は重く垂れ下がり、自然とクリスタリナへと向いてしまう。
やめろやめろやめろ、と声ならぬ声で叫びながら、エイイチは辛うじて踏みとどまった。鍛冶師が丹精込めて作った剣が鏡のように輝いて、エイイチの険しい顔を浮かび上がらせた。
やれ。やるんだ。ここでやらなきゃすべてが台無しだ。
そして、エイイチは決断した。
彼は剣を大きく振りかぶると、そのままくるりと反転させ、自らの腹を貫いたのであった。
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