第37話 勝負は無情

 6球目のカーブを振り抜き、打球は三遊間を抜けようかと思ったそこへ、ショートの猿田が横っ飛びしこれを阻止。ホームへの送球を試みた。

 だが、握り変えが不充分なまま強引に投げたため悪送球になった。一塁ベンチ側に転がり、三塁ランナーは生還。二塁ランナーも本塁を狙うが、キャッチャー熱田のカバーリングが早く、その強肩もあって2点目は阻止した。

 結果から見れば織田は打ち取られたため、勝負は佐野に軍配が上がった。しかし、点を取るということでいえば、ミスが絡んではいるが一点をもぎ取っている。このワンプレーについては引き分けの痛み分けとなった。

 一点と引き換えにアウトを取られた戦場ヶ原高校には勢いが残っているとはいえ、追い詰められたことになる。

 対する明神高校は、ツーアウト目を取ったことで少なからず勢いを殺したことになる。

 そして、明神は傾きかけた流れを引き戻し、僅かにでも残った希望を余さず摘み取る決断をした。

「明神高校、選手の交代をお知らせ致します。ピッチャー、佐野に代わりまして、生駒」

 ウグイス嬢のアナウンスが鳴り響く。

 続いてショートの交代も告げられた。明神サイドに取っては余計な失点と言わざるを得ない。猿田の判断ミスが招いたピンチを、更にミスを重ねて一点を献上してしまったのだから。

 二人の新しい選手がグラウンドに躍り出る。一足先に自分のポジションに着いた生駒が、先輩である佐野に声を掛ける。

「ナイスピッチです」

「嫌味か?」

 後輩の思わぬ労いに、皮肉で返した。ピッチャーの交代が告げられた時、悔しさと同時にもうきっと2度とチャンスは来ないだろうと、佐野はマウンドに別れを告げていた。

「お疲れ!」

「ナイピでした!」

 ベンチに戻るとチームメイトが声をかけてきた。佐野はそれに応じつつ、帽子を取り監督に頭を下げた。

 これまで使ってくれたことに対する感謝と、期待に応えきれなかったことへの謝罪とが込められていた。

「そんなものか?」

「え?」

 質問の意味が分からなかった。頭を下げたことを言っているのだろうか。

「そんなものなのか?」

 困惑している佐野に塩谷はもう一度問うた。それはただの問いだった。失望したわけでもなく、責めるわけでもなく、純粋に佐野の答え、意思を聞く質問だった。

 そんなものかお前の力は。そこが限界なのか。それで満足なのか。

 それに気付いた佐野は、力強く返す。

「いいえ!」

 まだ期待してくれている、まだ信じてくれている。

 次の瞬間には涙が溢れていた。悔しくて、嬉しかった。

「次も頼むぞ」

 そう言って、塩谷は教え子の肩を優しく叩いた。

 そんなベンチを、猿田は睨みつけていた。

「何で俺が交代なんすか!」

 憤慨して、交代要員の2年生に荒げた声をぶつける。

「それが最良だと思ったからだろ」

 冷ややかに応える。実力主義で結果主義。翻って、結果が出なければ価値はない。無礼な態度も、その才能から多少目を瞑ってもらえていたが、それを良しとしないものも多い。

「猿田、今お前に守ってもらいたくはないんだ。分かるでしょ?」

 生駒が平坦な声で言う。

「いや……いや、まだ俺やれますから!見ててくださいよ。ちゃんとアウト取れますから」

「そう思ってるのはお前だけだよ。皆んなの顔見てみな」

 言われて、ぐるりと見渡す。その視線には、各々違った感情が込められていたが、今の猿田にはその全てが非難の目に見えた。

 自分は必要とされてないのだと感じた猿田は歯噛みしながら、一人ベンチへと引き上げていく。

「いや、言葉少な過ぎだろ」

 小さな背中を見送った後、交代した鹿沼が呆れながら言った。

「そうか?あれだけで充分でしょ」

 悪びれることなく生駒が返した。

「ちゃんと理由も説明してやらないと。どうすんだよ、立ち直れなくなったら」

「そうなったらそれまでの奴ってことでしょ」

「冷た!何なの、才能ある人間って心とか無くなっちゃうの?」

「さて、いいかな二人とも」

 熱田が口を挟んだ。

「愚痴も反省も説教も、まずは試合が終わってからだ。そのために出てきたんだろ?」

 試合を作るのが先発投手の役割ならば、その流れを引き継ぐ、または悪い流れを断ち切るのがリリーフ投手の役割だ。

 エースが出てきたことで味方は盛り上がり、敵は恐れ慄く。背番号1を背負っているからこその芸当でもある。

 少しの気遅れを見せたものの、戦場ヶ原サイドの火は未だ燃え続けていた。

 しかし、それも僅かの間だけだった。

 高まった熱に冷や水を浴びせるように、9番バッターの羽柴をたった3球で殺してみせた。

 相手の勢いを断ち切る完璧なリリーフだった。

 そして、一度でも途切れた流れを再び引き寄せるだけの力は、戦場ヶ原高校の選手には残されていなかった。いや、そもそもの実力が足りなかったのだ。圧倒的に。

 自分達の力は目一杯出すことが出来た。チームとしてもまとまり始めて、一太刀を浴びせることが出来た。

 そんな、ほんのちょっとの満足感と、現実への諦念、そしてささやかながらの希望を抱いて──


 戦場ヶ原高校の夏が終わりを告げた。

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