探索開始

「とはいえ、まだ確定したわけじゃあねえだろ」


 ギラギラと捕食者の眼をする栢野さんを宥めながら、汀くんは冷静にいう。


「それも一つの可能性でしかねえんだから、もっと確定的な証拠を集めたほうがいいじゃねえの?」


 彼のじとーっとした視線が僕に向くのがありありと分かる。

 う、さっきの醜態は忘れてほしい。

 しかし確かに、証拠がほしいのは事実。さてその証拠をどうやって集めようか。


「確認する方法ならある……かも」


 唇を指先でなぞりながら、茶野ちゃんが言う。


「みほの部屋に日誌があるはずだから、それを探そう」

「日誌?」

「ああ、あいつが6歳のころからずっと書いてる日誌があるんだ。中身は私も知らないけど、そこになら美作のことも書いてあるかもしれない」

「日誌か、なるほどね~」


 愉快そうに栢野さんは嗤う。

 そんなものがあるのだったら早めに言ってほしかった。というのは少し自分勝手か。

 親友のプライベートだしな。


「でも、その日誌もドッペルちゃんに持ってかれてるかもよ?」

「まあ、無かったらなかったで、ダメもとだよ。で、その日誌ってやっぱりみほちゃんの部屋に?」


 栢野さんの「なーくんて、そればっかだよね……」と言いたげな眼から逃げるようにして茶野ちゃんの方を向く。


「そうだ」


 こくりと頷き、立ち上がって玄関へと向かう。それに続いて、そろそろと僕も立ち上がる。

 部屋を出て、すぐ真横。204号室の扉を茶野ちゃんは躊躇なく開ける。すぐ隣だったのか。てか開くのかよ。


「ああ、これだこれ」


 指先でクルクルと鍵を回しながら茶野ちゃんは答える。

 

「鍵持ってたんだ?」

「んにゃ、合鍵」


 なるほど。

 ぱちりとスイッチの入れる音が直ぐそばでした。部屋に入るとぐちゃぐちゃになった内装が目に入る。聴いていた通りの荒れよう。呆れたように息をつく汀くん。うわあと、顔を引きつらせる栢野さん。そんな二人の様子は、これを見てしまえば当然のものだった。

 おそらく木造の椅子だったのだろう、棒切れが散乱している。派手に叩き割られたい板切れは、きっとデスクの一部だ。角ばった凹型の一部に、ひきさかれたようなエスニック模様が走っていて、そばに破かれた片手サイズの文庫本が散乱している。ばらばらになったページは床を埋め尽くし、白にまだらに茶けたカーペットを敷いている。ディスプレイが割れた大小の黒い薄い箱が土台になって中身の剥き出しになった猫や犬やウサギやクマなんかが片目であちこち違う方向を向いていて、いくつかは首がなかったり反対に首だけだったりになっている。そんな光景を不自然にも薄暗い照明が照らしているのが何より不気味で、床にも壁にも、いくつもの傷がある。ひっかいたような、殴ったような、ところどころに赤いしみがついているのは気の所為じゃないだろう。

 部屋の中で小さな嵐が起こったのだといわれても不思議じゃないくらい、ぐちゃぐちゃのばらばらだった。


「ひどいな、こりゃ」


 惨状を前にして、なんて月並みな言葉だろうか。

 しかしひどい。

 破壊に破壊を重ねたような光景に、日常の真横にある暴虐に、今まであの師匠とともに経験してきたどの修羅場よりも生々しさを感じて、今更背筋が凍える。

 陰惨な殺人事件よりも、陰謀渦巻く謀略よりも、こんなすぐ近くの暴力が、何より怖いのかもしれなかった。


「てか、ずっとこのままってことは誰もこの中を確認しなかってことか? そんなことあり得んのかよ」

「セキュリティ万全っていっても、さすがに部屋の中にまでカメラがついてるわけじゃないからな。来客時のコールシステムはセキュリティルームに繋がってっけど……」

「コールシステム?」

「客が呼び鈴押すとそいつの顔と声の情報を記録してセキュリティルームに送るんだよ。んで過去に来客してるかどうかって記録が部屋の持ちぬしに分かるようになってて、不審人物であると判断されたらガードマンが駆けつけるようになってる」

「へえ、ホントにセキュリティ万全なんだ。じゃあ、みほちゃんの異変に気付いた日はどうだったの?」

「……ガードマンが駆けつけるような事態になったら、少なからず話題になってただろうな」


 そんな噂は聴いてない。

 なら、そういうことか。

 とりあえず、ちらばったガラスの破片や、小物などをかたずけを始める。足の踏み場も怪しい状況から脱しなければ。

 靴のまま上がると、パリ、パリと音がする。少し経つと、本来の床が見えてきた。ひとまず大きな破片をひとまとめにしておく。すると小さな山がいくつかできた。

 いったいどんな風に暴れればこんなことになるのだろう。小動物のようなみほちゃんが、こんなことを? ちょっと、考え難いな。

 っと、ん?

 不意に、こうして少し整理してみると、なんか違和感が。


「ねえ、ちょっといい?」


「あん?」「なに?」「ん?」それぞれ三者三葉に振り向く。なんか少しおかしかった。

 

「あそこ、なんか変じゃない」


 指さした先には、山の一つ、テーブルやいすの残骸が不自然に積みあがった箇所がある。壁の一部分を隠すように。


「なーくんじゃないの? あれやったの」

「いやちがう。君らじゃない?」


 ふるふると、首を振る3人。


「どこが変なんだ?」

「や、ふつうこういう残骸って角の方に押しやるのが普通だと思うんだけどさ」

「そうか? ひとそれぞれじゃないか?」

「今はそういうことにしといてよ、話が進まないから。……現に、僕たちはそうしてる。でもこれは壁の真ん中で不自然に壁によるように積み重なってる。まるで、何かを隠したいみたいに」

「……よし、どかすか」

「えー。もうつかれたよー」


 あの長距離移動を楽にこなしてたのに。興味の対象かそうじゃないかで露骨に態度が変わるところは栢野さんのらしいといえばらしいのだが。


「はい、わがまま言わない」


 むうと頬を膨らませながらも、しぶしぶ手を動かしていく。汀くんの言うことはきちんと聞くあたり、ただの主従関係ではないのかなあ、なんて。

 残骸をどかすと、はがれかけた壁紙が見つかった。


「これは?」

「知らない……けど、ここに何があるのかは、分かる」

 

 茶野ちゃんは、すっ、とはがれかけた塗装をなぞり、次の瞬間。

 べりべりばりッ、と勢いよく剥がすと、そこから現れたのは、小さい扉。大人が一人かがんで、ようやく入れるかどうかといった大きさの扉が、そこに在った。くぼみがあって、ソレをひっかけて開けるタイプ。


「どうしてこんなものが?」


 それには答えず、茶野ちゃんは指をくぼみにかけると、スンナリト開いた。なかを除くと、鍵のついたアタッシュケースのようなモノがある。両手を広げた状態より小さい箱は、厳重に閉ざされ何人も近寄らせないような重い空気を放っていた。素材が何なのかは分からない、ステンレスか、鉄のような気もする。よく見ると、鍵は乱暴に壊されている。ペンチかレンチか、なにかの工具を用いてねじ切ったようだ。

 中身は空で、何が入っていたのか、想像もつかない。

 

「もっとおっきかったんだがな……」


 懐かしむように、茶野ちゃんがこぼす。しかしこの中には何があったのか。この部屋を荒らしたのは、みほちゃんのはずだが。

 しかし、その後にこの部屋に入ってこのスペースを荒らした不届き者がいるというわけだ。


「まー、みほちゃん本人が持ち出したんだったら、鍵を壊したりしないよね」

「やっぱり、ドッペルちゃんが?」


 や、どうかな。其の可能性は否定も肯定もできない。ほかにいるかな。ここにはいる可能性の人物。この小さな驚異の部屋(ブンダーカンマー)を開け放とうとする人物。

 ……いるな。人物というか、団体が。


「……美作が?」

「かもね」


 横目でながして、それも可能性でしかないよと付け加える。


「大事なものが入っている、そういっていたんだ」


 茶野ちゃんは不意に、まだ原形をとどめている椅子に腰かけながら話し出す。


「『私が私であるために必要なもの』、そう言ってた。これがなきゃあ、逆佐原みほは逆佐原みほでいられないものなんだって」

「中身は、なんだったの?」

「それが、見せてはもらえなかった」


 うつむきがちに、少し悲しそうに言う。

 

「『それは、さっちゃんでもダメなの。絶対にダメなの』って。じゃあどうしてそんなもの私に見せたんだって、その時は怒ったよ。そんな大事なら、誰にも見せずにしまっておけって。それから、一度も見てないから……って、そういえば日誌を探しに来たんじゃなかったのか。探偵さんよ」


 そういえばそうだ。

 箱の中身も気になるが、まずは日誌だ。


「どこにあるとか、おぼえてないのか?」

「日誌を付けてるのは知ってたけど、どこに保管してるとかは……」

「てか、いいのか? いくら親友のものとはいえ、日誌なんてプライベートなもの、勝手に見ちまって」

「……もしバレたら、全部あたしの所為にしていいから」

「そういう問題でもないんじゃねーの?」

「いいんだ」


 なりふり構っちゃ、居られないか。

 まあ、みほちゃんは目下記憶喪失中だからバレることはないかもだけれど。やっぱりちょっと気が引けるよなあ。

 そしてみんな、うすうす感じていることがある。茶野ちゃんでさえ触れていない。リビングから延びる廊下の奥、ポツンとドアの閉められた一室。

 おそらく。プライベート中のプライベート。

 彼女の中心。

 うーん。どう切り出そうかな。そんな風に考えていると。

 カチャ。とからくりの廻る音。


「お、あいたー」


 僕らの葛藤を全く無視して、彼女は開かずの扉を開く。

 うーん、栢野さんの躊躇のなさは見習いたいような、そうでないような。ま、今はありがたい。

 ちらと茶野ちゃんの方を見ると、堪えるような戸惑うような顔を一瞬して、しかしすぐに意を決したように開けられたドアへ向かう。

 ん、あの様子なら大丈夫かな。多分。

 足早に僕もあと追うと、こじまりとした部屋の様相が目に入ってくる。

 予想よりもはるかに質素な、生活感のまるでない部屋。机が一つと、カーテンの縁に吊り下げられた制服が一丁。お世辞にも快適とは言えなさそうな薄い布団。フローリングは剥き出しで、埃が酷い。リビングがあの様子だったから、みほちゃん本来のスタイルがどうなのかは分からないけれど。

 これではまるで。


「こんなの、し…………まるで現実味がないじゃねえか」


 それは、汀くんの良心だったのだろう。

 沈黙が長かったのは、死人の部屋なんて形容を呑み込もうとしたからだ。きっと。

 茶野ちゃんは絶句している。親友が、よりにもよって一番プライベートな空間をこんな風にしているという事実に。

 栢野さんは、楽しいのか、つまらないのか、よくわからない表情をしている。

 三者三様、ひどく冷たい空気をただよわせる部屋に足を踏み入れる。







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