第三話「魔王」(3)


 魔王に用意された服は、とても可憐な色合いだった。傍から見れば町娘のような柔らかい白の長袖のブラウスの下に、手首を守る為の金属製の腕輪を隠す。下半身を守る対魔繊維を染め上げた薄紫の布地は、遠目にはフレアスカートにしか見えない。足元を包む軍用ブーツが奏でる音だけが、ウィアスが軍の者である唯一の証のようにすら感じさせた。

 腰に巻き付けた革製のベルトには魔術を体現させるための“小道具”をぶら下げ、上着の下に隠した血塗られたブレストプレートの感触に顔を顰める。せっかく首輪が外されたというのに、結局はまた身を護るために金属を身に纏っている。

「身体に合う戦闘用装備がなかなかなくてな。そのブレストプレートだけはお古になってしまった。すまない」

 魔王が申し訳なさそうに頭を下げそうになったので、ウィアスは慌ててそれを制止する。いくら普段通りにしろと言われていても、さすがにそこまで容認することは出来ない。

「ここまで揃えていただけて光栄です」

 ウィアスが反対に頭を下げて、二人で静かに笑い合う。

 魔王アレスはとても『魔王』とは思えない程穏やかな人物だった。時たま見せる『全てを視通す』瞬間が無ければ、その身から闘いの気配すら感じさせない。しかし湧き出るように溢れる魔力が、彼を魔王だという事実をウィアスの感覚に突きつけてくるのだ。

 猛々しいオーラを背負うゼトアとは異なり、彼を表す空気は『静』だ。魔族のトップ、頭脳となる彼の手足となるのがゼトア。幼き頃からの強い絆こそが、この国の強さに他ならない。

「あいつが女をオレに紹介するとはな」

「ゼトア様は、その……同性愛者、なのですか?」

 薄く笑う魔王に失礼を承知で問い掛けた。噂話では彼等の関係性すら疑われていたが、確かに実際に目にすると二人の間柄はただの『王と部下』でも『幼馴染』でもないことぐらい、初めて会ったウィアスにでもわかった。

「あいつはそうだな。ほとんどが男性相手だ。だが、女性を相手にしないわけじゃない。お前にも直接言っただろう?」

「はい。確かに彼からそう聞きました。ですが、それは……私の身体を欲しただけで、私には器の価値しかないということになりませんか?」

 ウィアスは己の心を蝕む不安を魔王に伝えることにした。何もかもを視通す魔王だからこそ、そしてゼトアの幼馴染であるアレスだからこそ、この悩みを解決するヒントを与えてくれるかもしれないと思えたからだ。

 だが――

「確かにオレは全てを視通せる目を持っている。だが、この目も万能ではなくてな。内なる想いは見通せない」

 魔王はそう言って溜め息をつくと、優しい笑顔をウィアスに向けた。

「お前があいつのことを想っていてくれて、親友としても王としてもオレは嬉しい。あいつはどうにも、プライベートの付き合いは下手な奴でな。永い命を持つ者同士、どうか末永く心を共にしてやって欲しい。そうすればきっと、“互い”にとって良い形に行き付くだろう」

 魔王の言葉に含みを感じ取り、ウィアスはその瞳を食い入るように見詰める。ウィアスの口が動く。

『その互いってもんの相手がどうか、ウィアスであって欲しいもんだがな』

「……お前は、その身体から離れられるとわかったら、第一に何をしたい?」

 突然魔王がウィアス――ヘルガに向かって問い掛けた。そして一瞬考えるような素振りをしてから「いや、一度だけ動けるとしたら、と質問を変えようか」と付け足した。

『突然何の質問だ? ナゾナゾはあくびが出ちまう』

 脈絡のない質問をヘルガははっと鼻で笑う。そんな彼の言葉等聞こえなかったかのように、魔王は優雅な動作で王座に座り直す。

「いいから、答えろ。これは――命令だ」

 そして冷たく言い放った。魔力を孕んだ魔王の命令(声)に、ウィアスはほとんど無意識に跪いてしまった。ヘルガももう減らず口は叩けない。

 今目の前にいるのはユニアセレスを治める魔王。獰猛なる魔族達の頂点に立つと言われる、強大な魔力を有するフェズジーク城の主。『全てを視通す』魔王アレスだ。

 空気がゾクリと冷え渡り、身体からまるで熱と共に魔力すらも逃げ出しているように身体が震えて、呼吸が乱れる。そのエメラルドグリーンの瞳に捕まったが最後、心臓の鼓動一つすら魔王の許可が必要であるかのようだ。

 魔王の魔力が、ウィアスの身体をなぶる。まるで舌先で突かれるような冷たいビリビリとした感触に、ウィアスは声を上げそうになって必死に我慢する。強く瞳に力を入れて、王座に座る魔王を見据える。

 ずるりと、ウィアスの身体から水の塊が零れ落ちる。

『……この身体から離れることが出来たなら……』

 ウィアスの身体から零れ落ちたその塊は、どんどんどんどん形を――ガーゴイルの男の身体を造り上げる。偽りの身体を今この時だけ実現させるのは、魔王の力に他ならない。ぼたぼたと魔力の水滴を零しながら、あくまで水の色合いのヘルガの口が開く。

 ヘルガの声は震えていなかった。普段の茶化すような声ではなく、真剣な低い声だ。その声が耳から響いて、ウィアスの心に少しだけ温度というものが戻ってくる。

『いや……俺はもう、離れる気はないな。強いて言うなら本当に、「犯してやりたい」ぐらいだが。そうだな、それだけだ』

「もう、一つの肉体としての自由はいらないと、そう言うのか? オレの魔力なら一度混ざった魔力の流れを断ち切るなんて造作もないぞ。ましてや天界の魔力の残骸なぞ、今すぐにでも断ち切れる」

『魔王様ならそうだろうな。だが俺は、ウィアスを結婚させてやりたくなった。それに俺が邪魔だってならサッパリ離れてやるが、どうやらあいつはそれは嫌らしい。だったら俺も一緒にいないと、きっとウィアスは……殺されるだろう?』

 物怖じしないヘルガの物言いに、魔王はおかしそうに笑った。ヘルガの言う通りで間違いないのだ。ゼトアが愛しているのはヘルガの心で、ウィアスの身体は器なのだ。

「……ゼトアが好むはずだ。オレは最初から、本心から祝福している。せっかく見つけた逸材をみすみす殺すのはオレも惜しい。オレは、国民全てに幸せになってもらいたい。もちろんそれはウィアス、お前もだ」

「私、も……」

『おいおい、俺は国民じゃないってのか?』

 ヘルガのぼやきに苦笑する魔王の瞳には、もうあの冷たさは残っていなかった。

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