さっちゃん

ちい。

サラリーマン

「死なねぇのかい?」


 不意に後ろから声を掛けられた男は、そちらの方へと顔を向けた。声のした方に立っていたのは、高校生位の少女である。


 前髪を二つに分け、腰ほどまである長い髪をだらりと垂らし、にたにたとした人を小馬鹿にする様な笑みをその顔いっぱいに浮かべている。


「死なねぇのかい?」


 突然声を掛けられ、呆然と少女を見つめる男は、四十代半ばと見られるスーツ姿。疲れているのか、その顔は憔悴してはいたが、正直なところ、オフィス街で石を投げれば当たりそうな位、どこにでもいそうなサラリーマンである。


「……死なねぇのかい?」


 少女は苛苛した口調で三度そう言うと、男の方へと近づいて来る。男は、そんな少女を気味悪く思ったのか、それまで掴んでいた柵から手を離し柵沿いに逃げていく。


「なぁんで、逃げんだよ!! てめぇ、死にてぇから柵から身を乗り出して、下ぁ見てたんだろうが!!」


「ひゃっ!!」


 逃げる男に大股で歩み寄り、胸ぐらを掴んで捲し立てる少女。しかし男は体格が勝っているのにも関わらず情けない声をあげ、へたりとその場に座り込んでしまったのである。


「……助けてぇ!!」


「助けてぇ……じゃぁねえだろがっ!! ついさっきまで死のうとしてた奴が、情けねぇ声上げてんじゃねぇっつうの!!」


 胸ぐらを震度七強ほどの力で揺らし続ける少女に、男はがくがくと前後に揺らされながら情けない声を上げるしかなかったのだ。


 余りの揺れの激しさに舌を噛みそうになる男は少女の手を必死で押さえ、その動きを止めようとしているが、何分、力が強くて敵わない。


 そうこうしているうちに、男の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。少女の手に力が入りすぎて首が締まっていたのである。それに気付いた少女が男の胸ぐらから、ぱっと手を離した。


「おっといけねぇ……私があの世に送るところだったよ……ってか、てめぇ!! 首が締まってるんなら、早く言わねぇかっ!!」


「痛ぁい!!」


 少女ががくりと項垂れ座り込んでいる男を蹴りあげる。男はまた情けない声を上げると恨めしそうな瞳で少女を見つめている。


「なぁに見てやがんだ、この腐れ爺ぃが」


 恨めしそうに見上げる男を、何か汚いものでも見るような目付きで見下ろす少女。しばらく無言でその状態が続いていたが、男の方から、ふぃっと視線をずらした。


「そうさ……死のうとしてたんだよ」


 男がぽつりと呟くように喋りだした。先程、少女から揺らされたせいもあるのだろうが、白髪混じりの髪がだらんと垂れ、項垂れている男を一層小さく、またみすぼらしく見せている。


「疲れたんだよ……始発に乗って出社して、終電に乗って退社する。家に帰っても家族は皆、寝ちまってるし……職場では、仕事は押し付けられ残業残業、挙句に嫌がらせの様に小さな事で責められて……何の為に働いてんのか、分からなくなったのさ」


 少女へ話していると言うよりも、まるで自分自身へと言い聞かせる様に話し続ける男。そんな男の話しを黙って聞いていた少女が男へと一歩近づいた。


「んで、ここに来たってわけかい?」


 鼻と鼻がくっつきそうな程に顔を近づかせ、少女は男へそう言うと、ばちんとデコピンを一発お見舞した。


「で、死んで楽になりたかったっちゅうわけなん?」


 こくりと頷く男に、少女が大きな声で笑いだした。お腹を抱え涙を流しながら笑っている少女を見て、男はさすがにいらっとした。


「何が可笑しい? 君みたいな子供に何が分かるって言うんだ!!」


「そんなん、知らねぇし」


 少女は男へそう言いぎろりと睨む。男はその視線に耐えきれず俯いてしまった。そんな男を見た少女はあからさまにはぁと溜息をつき、男の正面に来ると腰を下ろし胡座をかいて座った。


「あのさぁ、死んで楽になりたかったん?仕事から解放さてさぁ、遺書まで書いて……言っちゃ悪いけど、忘れるよ?あんたの事なんて、あんたがされてきた事なんて、きれいさっぱり全て忘れ去られるよ」


 黙って聞いている男に、話しを続ける少女。


「無駄死にさ。それなら、辞めちばえばいいじゃん、会社なんて」


「妻になんと言われるか……住宅ローンも残っているし……」


「馬鹿かてめぇは? どうせ死ぬ気だったんだろうが? ここまで追い込まれたてめぇを気遣わねぇ嫁なんか捨てちまえ。家も売っぱらっちまえや。仕事も家庭もなんもかんも捨てちまえ。そしたら、てめぇが死ぬ理由なんてなくなるんだよ」


「……」


 少女は黙っている男をしばらく見詰めていたが、ふんっと鼻を鳴らし立ち上がった。


「まぁ、てめぇの人生だ、てめぇで決めろ。死にたきゃ死ね。生きたきゃ……必死になってもがきやがれ」


「……君の名前は?」


「私か?私はさっちゃん。みんな、死神さっちゃんって呼んでるよ」


 にたりと笑う少女、さっちゃんはそう言うと男の目の前から蜃気楼のようにゆらゆらとゆらめきながら消えていった。


 男は唖然としたまま、さっちゃんが消えた場所をじっと眺めていた。


 その後、男がどうなったかなんて誰も知らない。一つだけ分かるのは、この場所で飛び降り自殺があったというニュースは流れなかった。そして、男の住んでいた家に『売り家』という看板が掛けられた事ぐらいである。





 そう言えば、死神やってる友達から聞いた話だけど、最近死ぬ人が多くて過労で倒れる死神が多いんだってさ。だから、死神の方でも死のうとする奴らを止める部署が設立されたらしいね。


 まぁ、まさかあんな口の悪いさっちゃんが、その部署に配属されている死神じゃないとは思うけど……


 もしさっちゃんが、その部署の死神なら君が死のうとした時に、さっちゃんに会えるかもね。




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