入社式

「あの男と一緒に入った子、与謝野さんが担当するんだって?」

「そ。妾には荷が重いよ」

 駄菓子を食みながら新聞の漫画を読む乱歩さんが、噂の新人に言及した。

 太宰という男と一緒に入社した少女、太宰卯羅。男の妻だと名乗った。

 あの国木田が警戒し、社長が「いざとなったら殺せ」とまで命じた男の妻だ。何かあるに違いない。

 経歴一切不明の異能力者夫婦。夫の異能力者は、凡ての異能を無に帰す。だが妻の異能力は未だ詳細不明。咲かせた花に触れた者に害を成す、というが。基本的な能力値も、太宰には劣るが、それでも合格基準を悠々と超えている。

「どうやって試すかねェ……」


「おはようございます」

 探偵社員として四日目。治さんはもう事件の調査へと駆り出されている。

 先輩の国木田さんは、直ぐ怒るけど、面倒見が佳い。あの治さん相手に根をあげないんだもの。

 私の指導をしてくれるのは、与謝野晶子先生。探偵社の専属医師。

 何となく懐かしい匂いがする。

「卯羅、一寸手伝いな」

「何でしょう」

 先生の机に近付くと、数枚の書類を付き出された。

「今回、私とあんたが担当する事件の資料だ」

「事件……」

 起こしたことしかないけれども。それを解決する。今までは、原因を文字通り消せば解決した。今日からは、凡てを紐解かなければならない。

 資料を捲る。被害者の状況と、交遊関係。

 被害者は五人。どれも裏社会との繋がりが疑われている。

「借金で首が回らない……賭場カジノ?」

 賭場なら昔色々関わった。けれど、どの人物も記憶に無かった。

「違法賭場はマフィアが資金稼ぎに運営しているからねェ……」

「でも殺し方が雑では?」

 こんな刃渡りが特定されそうな得物。台所包丁の方がまだ佳い。「マフィアが見せしめで殺したのなら、やり方があるだろうし、顧客として、役に立たなくなったのなら、こんな殺り方しないで、暗殺した方が、お互い?の為かと……」

 何がお互いなのか。マフィアにとっての利益しかない。

 ……待って。私は何を口走っているんだ。

 なんて、推理小説だったら、そういう展開かな!って思いました!……許されるわけがない。

「随分と詳しいじゃないか」

 自分の机でラムネを飲んでいた筈の江戸川さんが、私の前に立つ。笑みがわざとらしい。何かを見透かしたぞ、と云っている。

「卯羅ちゃん、女の子にしては随分とヤンチャしてたみたいだね」

 心臓が鼓膜の後ろで鳴っている。言葉が出ない。「さっき太宰にも訊いたけど、君の前職って、何?」

「前職は───」

 云っては凡てが無に帰す。でも、この人は、私が裏社会に居たことをきっと掴んでいる。

「嫌だなあ、乱歩さん。卯羅は箱入り娘でして。学問の合間にやる事と云えば、花嫁修行と、たまの読書。先程の知識も、推理小説から得たものでしょう。何せ、私と駆け落ちの体でしてますので、ご容赦を」

 割って入ったのは、一番愛しいくて胡散臭い人。きっと見かねたのだろう。

「おい太宰、油を売っている暇など無いぞ」

「はーい」

 私の手を取り、甲に口付けて「健闘を祈る」と一言。それに頷いた。

「ありゃ箱入り娘がコロッといく訳だ……」与謝野先生が、呆れたとばかりに、溜め息を吐いた。

「主人はあれが性分ですから」

「って云ったってねェ、調査初日に被害者の女性を自宅に連れ込む男だ。アンタ、今後彼奴の浮気癖で、泣かされるよ」

「大丈夫です」私は入社して一番の笑顔を作った。「主人のシモは、私以外では悦楽に達しませんから」

「……嗚呼……そうかい……」

 与謝野先生と江戸川さんの顔がひきつっていた。


 治さんと私。別々の事件を担当することになった訳だけれども。

「急速に痩せていない?」

 夕食の時、治さんが大変心配そうに、私の頬を撫でた。

「一番の原因は、貴方様が連れ込んだ、女性だと思いますけど?」

 彼女が帰った後、寝具を三十回程消毒して、数日は天日に干した。その後、布団乾燥機を十回掛け、女史が持ち込んだあらゆる微物を消滅させた。洗えるものは、漂白剤をこれでもかという程に入れて、洗った。食器も例に漏れない。

「私としては、普段よりも積極的で、独占欲に駆られる可愛い奥さんが見れたから、万々歳なのだけど。まあ、その話はさておき……辛いかい?」

 急に真剣な眼差しを向けられる。その顔に弱いって知ってる癖に。

「……ぎゅ、して」

 はいはい、と穏和に笑いながら手を広げてくれる。子供のように、丸まるように。ただひたすらに、彼の胸に頭を擦り付ける。

「卯羅、我慢しなくて善いんだよ。此処でなら泣いたって善いさ。君のそれは、彼らには理解できない苦しみだ。私にも難しいかもしれない。でもね、自ら手離す苦しみは、私も理解出来るかもしれない」

 涙を促すように、髪を手が滑る。彼の襟衣をぎゅっと握りしめる。

 後悔は、無い筈だった。

 あの日、あの瞬間。私は、上司と母親、どちらを選ぶか迫られた。

 迫られてはいないかもしれない。私が勝手に自分を脅迫しただけ。

 私は男を選んだ。

 私を縛る言葉は二つあった。

『君は太宰くんの世話人になるんだ』

『お前は闇も厭わず凛と咲く華、そのもの』

 どちらも私の人生を決定付けた、と云っても誰も批判はしない。私を抱き締める男も、それを肯定するだろう。

「大丈夫。君なら絶対に合格できる」

「何で?」

「私の一番の女性だから」


 翌日、出勤すると与謝野先生に、着いてこい、と指示された。

「何処行くんです?」

「病院だよ。妾が手伝ってる病院に、今回の新しい被害者が担ぎ込まれた」

 検死でもするのだろうか。検死をして何が解るのだろうか。死因、だろうけど、それ以上の事は解らない。

「まだ息があるらしいから、急ぐよ」

「運の善い人ですね」

「ああ、全くだよ」

 大学病院の救急室に通された。指示と返事と報告が飛び交う。

「与謝野女医!」

「何処だい、診せてみな」

 間仕切りで区切られた一室。診察台の上に男が寝かされていた。

「卯羅、手伝いな」

「でも……」

「指示は妾が出してやる」

「この人は助かりませんよ?」

 苦しいだろう、可哀想に。

 昔の大規模抗争。ふと記憶が遡る。あの時、私は彼らを、楽にしてあげた。それが役目だった。

「苦しいでしょう……こんなに裂かれているもの。充分頑張ったから、楽にしてあげようね」

 可愛い可愛い異能力。手向けの花だと、云ってくれた人が居た。

「能力名『道化の華』」咲いた花を、男の頭に近付ける。「止めな」

 黒い手袋が手首を掴んだ。

「こいつはまだ息がある。妾はこいつを救う。佳いね?」

「……はい」

 生き辛い。何故こんな苦しい思いをさせてまで。

 局所麻酔を射たれるだけで叫んでいた。

「だらしない男だねェ。卯羅、これからこいつの腹に管を入れて、中の体液やらを出す」

「創部縫合時の針と糸は?一応、弱彎と4-0用意してもらいましたけど」与謝野先生がにやっと笑った。

 そこからは早かった。創部を洗浄し、縫合していく。浸出液が溜まりそうな位置に管を入れて、その先に袋をつける。

「助かったよ」

「私はただ道具を用意しただけですよ」

 手洗い場で二人。意識せずとも肘まで洗ってしまう。「それにしてもよく使う糸と針が解ったじゃないか。随分手慣れていたよ」

「看護師さんが持ってきてくれたのを、読み上げただけです」

 あの時「縫合機材一式を」と近くに居た看護師に頼んだ。だから間違いでも、偽りでもない。

「先生は何故医者に?」

「……」

「答えにくい様な事を聞いて、ごめんなさい」

 本人はそこまで表情を変えていないつもりの用だけど。目が睨むように細められた。

「佳いんだよ。そりゃあ、気になるだろうよ。治癒の異能持ちがそれを使わなかったんだ」

 私と先生の異能力は真反対。でも、それを使う信念は同じだ。

『病める人を救うため』

 宗教的な話じゃない。そのままの意味だ。病床に臥せる人をその苦しみから救うため。

「妾はアンタの異能力の方が気になるよ」

「主人が許可してくれれば、お見せしますね」

 病院を出、近くの喫茶処で情報を整理する。

「──つまり、アンタは今回の事件を、マフィアの仕業ではないと考えてる。そうだね?」

「はい。マフィアの報復はもっと苛烈だと聞いていますから。首領の右腕がとても切れる人だとか」

「この仕事を続けるなら覚悟をした方が善いよ。その幹部が居なくとも、首領そのものが切れ者だからね」

 それはもう、十二分に。「マフィアじゃないって云うなら、誰が?」

 借金、資金繰り……発見された遺体と、先程の怪我人。

「うーん……これは憶測ですけど」

 もう一度、渡された資料を思い返す。ふと、一つの物が頭に浮かんできた。

「先生、そういえば、さっきの人、肝臓が欠けてた」

『卯羅ちゃん、治療は一刻を争う。素早く異常を見つけなくてはならないよ』

 森先生との訓練の賜物。見落とすところだった。

「血でちゃんと見えなかったけど、肺と胆嚢の間がぼっこり空いてた……てことは、臓器売買?」

「だとしたら話は早い。貧民街へ行くよ」

 町外れの貧民街。建設を中止された塔が高く聳えていた。独特の臭気が漂う。昔何度か訪れたが、慣れはしない。

「確かに此処なら出荷にはうってつけかもねェ。なんせ海が目の前に広がるんだ。外へ飛ぼうと思えばいくらでも飛べる」

 妙な気配がする。背中が冷えるような──「先生!」

 先生の背後目掛けて、短刀を投げた。綺麗に喉へ刺さり、短い断末魔と共に、後ろへ倒れた。

「奇襲だなんて、随分と自信が無いのね?」

 得物を抜き取り、血を拭き取る。頚動脈を切ったわけじゃないから直ぐには死なない。顔の近くに腰を屈めた。

「あと何人残ってる?頭は何処?出荷先はどちら?答えないと」手にふわり、黄色の百合。「お前を出荷する」

 目が大きく見開かれる。コイツの声が出なくて佳かった。唇が「マフィアの」と動いた。

「余計な事を口走ったら即座に殺す」

 慎重にやらなくてはならないのに。でもやり方を知らない。だって、だって私は……

『闇に咲く花は、闇にしか憩えぬ』

 花が責め立てる。お前は偽物だ。光を浴びて枯れるが関の山だ。身体が強張った。

「卯羅、何してるんだい!」

 顔を上げても、先生の顔が見えない。声はするのに。周囲の状況が全く掴めない。視力が奪われた?違う。自分の手も、目の前に転がる死体も、ちゃんと見えている。

「なんで、なん、で……もう、見えないよ……」

 最期に見たかったな、大好きなあの人の背中。大きな愛しい背中。

「こんなところで弱気に成ってんじゃないよ」

 頭を撫でられる感触に、顔を上げる。与謝野先生が笑っていた。こんな状況なのに。

「確かにアンタは亭主に比べて、精神的な弱さがありそうだね。だが、だからあの男の傍に居られるんだろうね。さっさとこいつら締め上げて、帰るよ」

「でも若し殺しちゃったら?」

「万が一は妾が治してやるから!安心しな」

 にっと笑う先生の頼もしいこと。その言葉に私も笑い返して、短刀を構えた。

 もう、異能力には頼らない。足掻こう。自分の手で、自分の力で、彼の隣で咲けるように。


「で、どうだったの?与謝野さん」

「そりゃあもう、ご覧の通りだよ」

 亭主を椅子に縛り付け、山のような未処理の報告書を積み上げる女性。探偵社の新入社員、太宰卯羅。

 あの後、卯羅は短刀を峰打ちに持ち替え、臓器売買人を気絶させて回った。

「少し脳震盪起こさせすぎたかも……」と、まるで塩の分量を間違えたかの様に云ったのは気になったが。

 捕縛した奴らを軍警に引き渡したから、経路が抑えられるのも時間の問題だろう。

「治さん、今日はせめて此処までやろう?」

「え〜君は知っているだろうに。私がどれだけ事務仕事が嫌いか」

「治さんの流麗な字が見たい気分なの」

「……なら仕方ない。とびきり美しい文字を見せてあげよう」

 きっと太宰をああも簡単に操れるのも彼女だけだ。それだけだって、居てくれる価値がある。

「彼女は事務員?与謝野さんの助手?」

「それがねェ……」

 社長に報告した時、告げられたのは「調査員として配する」の一言。

「お嬢様が調査員ねぇ……僕のお供にはしてほしくないね」

「なかなか、癖のあるお嬢様だよ。あいつは」


「晴れて夫婦して合格だ。どうだい?久しぶりに素敵な夕食でも」

「嬉しい。入社祝いね」

 素敵な正装に着替えて。横濱を一望する高層建築物の料理店。

 そのいつもの席。

「私達の第一歩に」

 澄んだ音が祝福する。弾ける炭酸と白葡萄。

 窓の外を見ると、私の実家が見えた。

「卯羅」

 頬に添えられた手。横髪を払うように動く。

「君が合格出来るか不安でね」

「あら。ご期待にお答え出来なくて、申し訳ないわね?」

「私は君の善い癖も、悪い癖も知っている。それがこの世界では反転することもあり得る。それに耐えられるか、心配だったんだ」

 この人は何でも見抜く。「……本当に最後の最後でね、手が滑りそうだったの」

 きっとあそこで与謝野先生が屈んで、目線を合わせてくれなかったら、私は混乱してそのまま一面を花畑にしていた。無論、裏社会の売買人達には露見する。

「母様の云ってた事が、本当に思えて、私には、眩しくて……」

「あまり涙を流さないでおくれ。可愛い瑠璃の海が減ってしまいそうだ」

 目元を拭う親指。その手を握って、私は何も云えなくなった。

「二人で歩んでいこう……君が私の前を歩かなくて善いんだ。二人で並んで歩めば善いんだよ」

「私、治さんの前なんて、歩いてた?」

「歩いていたさ。私の手を取って、引きずり上げてくれたじゃないか」

 治さんはいつでも私の前に居て、私はそれに必死で付いて歩いて。

 それを逆だと、彼は云った。

「今度は私が君の日除けになってやろうね」

 その言葉にまた涙が溢れた。呆れたように笑う彼。

 こんな門出だって善い。二人でまた生きていける。新しい世界で、新しい名字で。

 彼のものだという証と共に。

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