1-01 兆候

「なぁなぁ大地」



   ◇◆◆



 部活が終わり、今日も代わり映えのしない学校生活が終わった。

 帰宅し、昨日と区別もつかない時間を過ごし、また同じ明日が訪れるのだろう。

 そうして同じ事を繰り返し繰り返していき、やがては死に行く。

 一人残された俺は、果たして何のために、こうして生きているのだろうか。

 あの時親父と一緒に死んでいたとしても、現状と何か違いがあるのだろうか。

 俺が生き残った意味は、あるのだろうか。



   ◇◆◆



 弓道場から出て独り歩き出せば、繁華街に近いこともあり、周りからは様々な喧騒が耳に届く。だがそれも、繁華街を抜けて小高い丘に建つ宇宙こすも家に近付くにつれ、遠く薄れていく。

 時刻は十九時頃、ちょうど水平線に夕日が沈み切り、空には美しい青紫の棚雲が広がる。この丘から望む黄昏たそがれ時の風景――子供の頃の哀愁と共に静かな安息を与えてくれるこの雰囲気を、俺は気に入っている。そう、闇だけは平等に世界を侵食してくれるのだ。視覚を主な情報収集器官としている人間にとって、昼と夜はまさに別の世界であり、その移り行く狭間はざまの黄昏時とは、世界の終焉しゅうえんの時とも言えるだろう。

 そうせん無く思考しながら坂を歩いていると、背後から子供のような小さな足音と息遣いが聞こえ、振り返る……が誰もいない。

 周りの様子を窺うも、動くものは自分の影のみ、夕闇に包まれた坂道で夜間の滑走路のように点々と灯る街灯の列、群青色の空に瞬くよいの明星が目に映るだけである。そこで、黄昏の由来は誰ソ彼……と古典で習った雑学が頭を過ぎる。しかしその黄昏時とはいえども、誰も居ないのでは尋ねようがないではないか。

 もし仮に誰かが尾行しているとしても、足音を堂々と立てるなど迂闊うかつ過ぎるというもので、その程度のヤツに襲われても大した事はないだろう。そう結論付けると、再び家に向かって坂を上り始めた。

 それから何事も無く帰宅できた俺は、台所に向かい、棚からレトルトカレーを取り出す。それを冷凍飯と合わせて皿に盛ると、レンジにかけて、ただ、待つ。


 機械音

 回転

 

 同じ所をぐるぐる回り続ける皿。

 いつまでもぐるぐると。

 前に進む事は決してない。

 それは停止している事と何が違うのだろうか。


 鳴り響くレンジ

 いつもの静寂


 カレーと食器を手に茶の間に向かい、座布団に座る。ふと窓の外に目をやれば、相変わらず何の情報も得られない暗闇、と思いきや――


「んっ!?」


 薄っすらと何かが動いた。

 慌てて窓に駆け寄って確認してみるが……誰も居ない。


「……気のせいか」


 男子学生の食事風景をのぞき見て得られるものなど、何もあるまいて。あるとすれば、俺に恨みを持った輩か、熱烈なファンくらい……


「ありえねぇ~」


 まず後者を想像してみたが自嘲じちょうしか出ない。もしそうならば、俺の人生にもっと色があって然るべきだろう。前者も…………今のところは善良な市民を絵に描いたような俺には考えにくい……よな?

 そこで気でも紛らわせようとテレビをつけると、悪質なストーカーが女子大生を刺殺した事件について報道されていた。美人リポーターが、年々ストーカー被害が増加しているので注意して下さいと、折れ線グラフを指しながら熱弁している。


「……ハハハ」


 関係ない。関係ないとも。

 リモコンのボタンを突き、残りのカレーを口に詰め込むと、早々に茶の間を後にした。

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