第一章 姫と古の魔女 その7

 エイトが五本の指で宝玉を掴んだ瞬間、言葉が放たれた。

 同時に宝玉から眩い光も放たれ、エイトの目の前が真っ白に染まっていく。

 その光が薄らぎ、世界が再び輪郭を取り戻していく中でのことだ。

 宝玉があったはずの場所に現れていたのは、少年とも少女とも判断がつかない何かだった。

(コイツがあの声の正体ってわけなのか……?)

 何かだと思ったのは、それが人間の少女のようで、どこか人間でないように感じたからだ。どこか異様な雰囲気を纏っているし、宙に浮いてもいる。

 しかも、ほぼ裸に近い状態だ。

 へそよりも下の位置には、ほんのりと輝く痣のようなものも見ることが出来る。

「お前は、なんだ……?」

「ボクはヴィノス。古の魔女さ」

「古の魔女……?」

「キミの名前は、エイトでいいんだよね?」

「ああ」

 魔女に魅入られたかのように、エイトは自然と答えた。

 すると魔女はニヤリと笑みを浮かべて、

「エイト、キミはボクの契約者になるんだ」

 エイトの両頬に左右の手を添えて魔女は続ける。

「それでキミは世界を変える力を――王の力を、手に入れることが出来るよ」

 感じたのは、柔らかな感触。

 にゅるんとしたものが、口の中に入り込んでくる。

(これって、舌……? 俺はキス、してるのか?)

 突然の行為に対する戸惑いと、頭の中をくすぐられるような気持ちよさに、思考が真っ白になってしまった。

 身体も仄かに温かくなってくる。

(これで俺は世界を変える力を、王の力ってやつを手に入れることが出来たのか?)

 でも、何かが変わったような気はしない。

 それを魔女ヴィノスに訊ねようとしたところで祠の入り口が開き、帝国兵たちが雪崩れ込んできた。

「来やがったか、って――」

 さっきまでいたヴィノスの姿がどこにも見当たらない。

 祠の中で確認することが出来るのは今雪崩れ込んできた帝国兵たちと、まだ気を失ったままのリリシアの姿だけだ。

(アイツまさか、逃げやがったのか?)

 ヴィノスの姿を捜すように左右に首を振りながらエイトが困惑していると、

「なにをキョロキョロとしているんだ」

 帝国兵たちの中から、一歩前へと出て来る男がいた。

 他の者たちよりも、ひときわ豪勢な鎧を着用している青年。

 帝国の第三皇子、ルーファス・グルシアだ。

 ルーファスは気を失ったまま柱にもたれかかっているリリシアを一瞥したあと、先ほどまで宝玉があった場所に視線を向ける。

 続けてエイトに視線を向けて、

「貴様は何者だ。今ここで何があった」

 ルーファスは剣を抜いて、その切っ先をエイトに向けた。

 さすが第三子といえ皇子だけのことはある。

 尊大な態度だ。

 その上、多勢に無勢の状態なのだから、このように詰め寄られたならば、普通の一般人なら怯んでしまうだろう。

 だがエイトは普通ではない。

「何者って言われてもな。ただの冒険者って言う以外に、どう答えろっていうんだ? それに名乗れって言うなら、まずお前から名乗れよ」

 逆にエイトは挑発してみせるが、ルーファスがそれに乗ることはなかった。

「リリシア姫との関係は?」

 名乗ることもなく、再び問い掛けてくる。

「さあね」

「何も答える気がないと言うなら、こうだ」

 片手をあげたルーファス。

 揃って帝国兵たちが武器を構えた。

「正直、他のことなどどうでもいい。リリシア姫さえ始末すれば、わたしの仕事は完了なのだからね」

 ここまでのやりとりで、エイトが予測出来たことはいくつかあった。

 エイトが契約した時の光が、扉の向こうまで漏れていただろうこと。

 だが何が起きたのかや祭壇に何があったのかも、ルーファスたちが知らないだろうこと。

 そして彼らの目的が、リリシアの始末ということだ。

 相手は十人。

 槍だの弓だの、それぞれ武器を持っている。

 対するエイトの武器といえば、二本のナイフだけ。

 リリシアを護りながら戦うだなんて、常識的に考えて不可能だ。

『おい、ヴィノス……俺に世界を変える力を――王の力を与えたって言うなら、この状況を切り抜ける方法を、俺に教えてみろよ』

 かなり詰んでいる状況だ。

 やけくそ気味に頭の中で訊ねてみると、

『もちろんさ』

 エイトの呼び掛けに応じるように、頭の中で声が響いた。

『お前……今どこに?』

『キミの中さ』

「俺の――」と声をあげたことで気付いた。

 突然声をあげたエイトを、帝国兵たちはなんだなんだという顔で眺めている。

 これではヘンに警戒されてしまうだろう。

 同じ間違いは二度としてはいけないと自分に言い聞かせて、エイトは頭の中で言葉を返した。

『俺の中?』

『そうだよ。ボクはキミの中にいるんだ』

 わけがわからない。

 とはいえ、それを深掘りしている場合ではないだろう。

『ともかく、教えてくれ。どうしたらこの状況を切り抜けられるんだ?』

『そうだね。この世界を変える力を――王の力を手に入れたキミが、このような場面を切り抜けるのは、本当に簡単なことなんだよ。とはいえ、あまり時間もなさそうだし、まずはキミの身体を少し貸してもらってもいいかな?』

 問答無用。

 いきなりエイトは、自分の意思で身体を動かすことが出来なくなってしまった。

 肉体と魂が分離してしまったような感じだ。

 それでも頭の中で、ヴィノスに声を掛けることは出来る。

『お前、俺の身体を奪うつもりじゃないだろうな!?』

『そんなことはしないって。それじゃ、始めるとしようか』

 エイトの意思とは無関係に動き出した右手の人差し指が示したのは、一人の帝国兵だった。続けてその指がスライドして、もう一人の帝国兵も指し示す。

 どちらも槍を持っている兵士だ。

「そいつとそいつ――殺し合え」

 エイトの口から発せられた言葉。

 とはいえ、エイトが発した言葉ではない。

 ヴィノスが発したものだ。

 すると、髪がふわりと浮かび上がり、

(なんだ、今の?)

 目の前が真っ白になって、ヴィノスのへその下で輝いていたような紋様が視界に浮かび上がってきて――。

「死ねぇえええっ!」

「はあああああっ!」

 猛き二つの叫びが耳に届いた。

 続けてズブリズブリと、まるで土の中に槍を突き刺した時に聞こえるような鈍く重い音と絶命の声が二つ、重なるようにして聞こえてくる。

 視界が戻ってくる中で、エイトは今の声が先ほど指で示した二人の兵士のものであることを理解することが出来た。

 それぞれが手にしていた槍で、互いの心臓を貫いている。

 二人はバタリバタリと、折り重なるように倒れていって――。

「なっ……」

 仰天し、言葉を失っているルーファス。

 他の兵士たちも同じだ。

 呆然とした様子で、瞼をパチパチと瞬かせている。

「貴様、何をやった! 答えなければ矢を放つぞ!」

 ハッと我に返ったルーファスは、エイトを睨みつけて声を荒らげた。

 弓兵たちも我を取り戻し、エイトに向けて弓を構える。

「え、いや、その……」

 すでに身体はエイトの制御下にあった。

 とはいえ、エイトにだってわからないので、答えられるわけがない。

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