3-2
(――!)
メイは弾かれたようにして走り出した。人波をかき分けるようにして進んでいくと、わざとらしい猫なで声が聞こえてくる。
「いい子だから、本当のことを教えてごらん?」
人だかりの中心にいたのは、顔のあちこちに傷を作ったスキンヘッドの男だった。そして、その男に手首を掴まれているのは、エプロンドレス姿の小さな赤毛の少女だ。足元に落ちたバスケットから果物が飛び出していることから、買い出しの途中だったのだとわかる。
「おじさんは、はっきり見たんだ。お嬢ちゃん、翼の紋様が入ったループタイを持ってるよなあ? ありゃあ、牧師の証だろう?」
「も……持っていません」
「嘘を吐くな!」
男が声を荒げ、少女の黒い瞳が恐怖に見開かれる。けれど、誰も止めに入らない。
(天使信仰者を庇えば、仲間だと疑われる。罪に問われる。だからだ)
少女へと、男が下品な笑みを向けた。
「おじさんが調べてあげよう。ここじゃ恥ずかしいだろう? あっちに行こうか」
「!? やだ、離して!」
「黙れ! その服の中に隠してることは分かってるんだよ! すぐに城に突き出してやる!」
少女が誰にともなく助けを求める中、メイは固まったように動けずにいた。
男の確信めいた口調からして、彼女はきっとループタイを持っている。ここで庇えば、一緒に城に連行されるだろう。
取り調べを受けたら、蕾の子だと露見してしまうかもしれない。今の自分には透明な翼しか特徴はないというのに、勇者の手にかかれば隠し通せない気がした。
ようやく探し続けてきたジュジュに会うことができるのだ。彼にステラの想いを伝える前に、殺されるわけにはいかない。
(それに、ここで時間を使ってる場合じゃない。こうしてる間にも、収集家が羽根を献上するかもしれないし、船の時間だって……)
唾を飲みこむと、苦い味が胸いっぱいに広がった。震えだした手をぎゅっと握り、人だかりから抜けようと足を後ろに引いた時だった。
「助けて……助けてよ! 天使様っ!」
その叫びを聞いた瞬間、どうしようもなくなった。
メイは唇を噛みしめ、輪の中心へと足を踏み出した。 周囲がざわめきだし、男の視線がこちらに向く。射抜くような瞳に、背筋が凍った。
「なんだい、あんたは」
「……さい」
「あ? 聞こえねえなあ」
「そ、その子を、離してください!」
少女が息を呑んだ気配がした。
「これは、立派な犯罪です! わからないんですか!?」
毅然と振舞いたいのに、がくがくと体が震えている。我ながら格好悪い。きっとエルなら、こんな時でも堂々と振舞うだろうに。
「はははっ! こりゃあ傑作だ!」
男は少女の手首を掴んだまま、仰け反るようにして笑った。
「聞いただろう? 今、このガキは『助けて、天使様』なんてほざきやがった。証拠品を見つけるまでもねえ、明らかに天使信仰者……大罪人だ。見逃していい訳ねえだろうが。俺は、勇者様がつくった平和を守るために――」
「違います、よね」
声が震える。けれど、目だけは逸らさないように、ぎゅっと拳を握った。
「あ?」
「……天使信仰者を兵士に引き渡せば、報奨金がもらえる。あなたは、それがほしいだけですよね? お金のためにこんな小さな女の子を利用するなんて、恥ずかしくないんですか!?」
男がうっと息を呑んだ。
「いいぞ、お嬢ちゃん! もっと言ってやれ!」
「何言ってんだい! 天使信仰者なんて、取り締まられるべきだよ!」
「そうよ! ブルネット様の生誕祭期間だっていうのに、島に天使信仰者がいるなんてありえないわっ! 裁かれるべきよ!」
賛否両論。たくさんの声が洪水のように押し寄せてくる。
そんな中、ひときわ大きな声が響き渡った。
「はいはーい、ちょっと通してな!」
「!?」
メイは思わず息を止めた。
人ごみをかき分けて現れたのは、重たい前髪が目を引く青年――エルだったからだ。その見た目の奇抜さに、周囲の人々がさらにざわめきだす。
けれど、彼はそんなことは気にも留めずに、人ごみに向かって大きく手招きした。
「兵士さーん、このおっさんやで。ちっこい女の子にワイセツな行為してんの」
「な! 何ふざけたことぬかしてやがる! 俺は――」
男がぱっと少女から手を離す。それと同時に、白い隊服に身を包んだ勇者城勤務の兵士が二人駆け込んできた。彼らが近づくごとに、男は一歩ずつ後ずさる。
(……! 今のうちだ!)
我に返ったメイは少女に駆け寄ると、舗道に膝を着き、彼女の体を両腕でそっと包みこんだ。小刻みに震えている薄い背中をさすりながら、耳元でそっと囁く。
「お姉ちゃんに、ループタイを渡してもらえる?」
「え?」
「大丈夫、ちゃんと返すから。安心して」
その間にも、状況は進んでいた。
「ち、違うんだ。俺は――」
「ブルネット様の生誕祭期間に騒ぎを起こすなど、あってはならないことだ。詳しい話は、城の地下牢でゆっくり聞こう」
「!? 待ってくれ! そこにいるガキは天使信仰者なんだ! だから俺は、あんたたちの勤務先に連れていってやろうと思っただけなんだよ!」
「何? それは本当か」
「疑うなら調べてみろよ!」
兵士たちが、こちらに視線を向けた。互いに頷き合い、ゆっくりと歩いてくる。
「失礼」
そう言い、片方の兵士がメイの腕の中から少女を連れ出した。そして、少し離れた場所で遠慮がちに身辺を検査する。
男は、その様子を勝ち誇ったようにして眺めていた。
これから起きる悲劇を知らずに――。
「おい、どこにもループタイなどないではないか」
「は?」
「さてはお前。報奨金ほしさに、この子を利用しようとしたんだな。最近、こういった輩が多いんだ」
兵士たちが、じりじりと男に迫る。
「そんなはずない! おい、お前ら! 何とか言えよ!」
脂汗をべっとりかいた男が、野次馬たちに縋るような眼を向けた。けれど、誰も何も言わない。互いに顔を見合わせ、状況を計りかねている様子だ。
「聞いただろ? このガキ、『天使様』ってほざいてたじゃねえか!」
はは、とエルが小馬鹿にしたように笑った。
「アホやな、おっさん。テンシィ様は、今流行りのロマンス小説に出てくるイケメン王子の名前や。俺も妹おるからわかんねん」
「そんな都合のいい話があるかよ!」
男が叫ぶ。けれど虚しいことに、苛立った様子の兵士たちに両側から腕を掴まれてしまった。
「離せ!」
「黙れ。抵抗するというのなら、さらに罪状を重くしてやってもいいんだぞ」
「う、嘘だろ……!? だ、誰か! 助けてくれ!」
男が引きずられるようにして連れていかれたのは、路肩に停まっていた小さな馬車だ。それに無理やり押し込まれ、兵士たちとともにあっけなく消えていった。
馬の蹄が舗道を蹴る音が遠ざかっていくのに合わせて、野次馬たちも気まずそうにそそくさと散っていく。
その場にぽつんと残されたのは、エルとメイ、そして小さな少女だけだ。
見上げた先のエルに「もう大丈夫だ」という瞳を向けられたため、メイはじっと地面を睨みつけて俯いている少女の元へと歩み寄った。
「もう大丈――うわあっ」
途端に少女がしがみついてくる。背中をそっとさすると、嗚咽が漏れた。
「怖かった……」
その声は思っていたよりもずっと幼く、虚勢を張っていたのだとわかる。
「もう、大丈夫だよ」
メイのやわらかな声を聞いた瞬間、少女はわんわんと泣き出した。
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