第十七話
薄暗い地下へと連れて来られたジョナスは、辺りをキョロキョロと見回した。石造りの頑丈な牢屋のようなその場所は、余り広くはなく、すえた臭いが立ち込めていた。
何も置かれていないこの場所に着くと、ここまでジョナスを連れてきた人物が、頭から被っていた外套を、無造作にその場に脱ぎ捨てる。その青年の顔を見て、ジョナスの表情は嫌悪に満ちた。
ジョナスは彼のことを知っている。軍では元帥の側近だった男だと認識し、その変わり果てた姿を憐れんだ。
死霊魔法で操られていることが容易に想像できるほどの顔色の悪さに加え、血管が青黒く筋を浮かばせている。目が見えているのかと思うほどに、瞳も酷く淀んでいた。そんなハドリーは、ジョナスをここに連れて来てからは、隅の方に移動して、全く動かなくなった。
ジョナスはもう一度この部屋を見回す。ここにいるのは自分を含め五人。その内生きているのは自分と壁際に座り込んでいる人物だけだと判り、ジョナスは警戒を強めた。
「あなたは?」
壁際にいた、『生きている人物』からの問いかけに、ジョナスは怪訝な表情を浮かべる。状況を把握しきれていないジョナスは、自分の情報を相手に与えることを躊躇った。そのことを察したのか、または礼儀だと思ったのか、彼は先に名を名乗る。
「ああ、すみませんね。私はここの使用人で、ベンといいます」
ジョナスはベンと名乗った人物を上から下まで観察する。その身なりは確かに従僕というのに相応しい恰好をしていた。こんな薄暗い地下に座りこんでいるのがおかしなくらいには、それなりに上等な服を身に着けている。中年の域に達しているであろう人物に、ジョナスはこの状況を把握すべく口を開いた。
「彼らは死人ですが、あなたはそれをご存知ですかな?」
「ええ」
「ではなぜ彼らはあんな風に動かされているのかも、ご存知で?」
「ええ」
「それを私に教えて頂くことは可能ですか?」
「ええ。別に構わないと思いますよ」
自分の名は名乗らず、聞きたいことを聞いたジョナスは、あっさりと目的を話してくれると言ったベンに、目を瞠る。だがそれが、本当に自分の聞きたい答えなのかは判らないと憂慮した。
「当主にはもうお会いしましたか?」
「当主? いえ、当主ではなく、嫡男のクリス様にお会いしました」
「ああ、今現在はクリス様が現当主ですよ」
「そうでしたか」
ジョナスは首を傾げる。まだ隠居するには早いのではと、カルヴァード家の前当主を思い浮かべた。そして何より、クリスは片腕と片足を失っている。その状態で当主が務まるのだろうかと疑問に思う。だが、少し前に元帥の怒りを買って降爵したことに思い当たり、当主の座を息子に譲ったのかもしれないと考えた。
この地下室に連れて来られる前に、既にここの主であるクリス・カルヴァードと面会し、要求は聞いていた。その要求に応えられないと言ったため、この地下室への監禁を言い渡されたのだ。
そもそもジョナスは、勤務中だったのだ。仕事がひと段落して休憩をしていたら、魔法部隊の一人に声をかけられた。新しい研究について見せたいものがあるからと、他の所員が呼んでいる。そう言われ、建物の奥にある実験室へと誘われた。回復薬の盗難により、関係者以外の立ち入りがより一層厳しくなっていたせいで、ジョナスはすっかり油断していた。声をかけて来た人物もまた、警備にあたっている魔道士だというのも、ジョナスの警戒を解いてしまった要因だった。そしてその実験室に入った瞬間に、転移の魔法陣が発現し、カルヴァード家へと連れて来られていた。
ジョナスからみたクリス・カルヴァードは、狂人以外の何物でもなかった。常にぶつぶつと何かを呟き、側にいた侍従がクリスの代弁をしているよなものだったが、要求が呑めないと言った矢先には、突然怒り狂い手当たりしだいに物を投げつけてきた。そんなことを思い出しながら、ジョナスはベンの言葉を待った。
「当主は何と?」
「私を人質にして、奇跡の実を要求するとだけ」
その言葉に、ベンは目の前の人物が誰なのか漸く理解する。回復薬が全て水に変わった時に、回復薬の作製者であるジョナス・プラチフォードを連れて来るようにとの命令を、同僚が受けていたはずだと思い出したからだ。
「なるほど。回復薬が全て効力を失ったと聞きましたが、奇跡の実であれば確実ですからね。あなたが連れて来られたのはそのためでしたか。その他は何も?」
「はい」
今のベンの質問から、奇跡の実だけが目的ではないのかもしれないと、ジョナスは訝しんだ。だがその疑問を口にする前に、ベンは顎に手を当てて考え込んでしまう。
そして、ふと顔を上げると死者である三人に目を向けた。
「亡くなってすぐの頃は、まだ自我があったようなのです。それがもう二月になろうとしている今は、ただの動く屍です。会話も殆ど成り立たず、同じ言葉を繰り返すのみになりました。ああそれでも、当主が近くにいる時は、それなりに会話は出来るようです。ですがそれも、結局は当主が言わせているようなものでしょうけどね」
疑問に対する答えを返すことなく、死者の一人であるハドリーのことを憐れんでいるようなベンの言葉に、ジョナスはどう応えていいのか分からずにいた。ただ今の口ぶりからして、ハドリーに死霊魔法をかけているのが当主であることが解り、ジョナスは戦慄した。当主であるクリスはハドリーの実の兄だった筈だと、薬学部ではあるが、同じ軍属であるジョナスは記憶を辿る。
ベンの視線の先にいるハドリーは、今現在、石作りの灰色の天井を見上げ、ぼーっと突っ立ているだけだった。そして、そのハドリーの近くに、二人寄添うように抱き合っている幼い子どもがいた。ずっと同じ体勢でいるのだろう、二人の両足は、上半身の重みで潰れてしまっていた。本来、死霊魔法はそういう身体の機能を修復することもできるはずなのにと、ジョナスは怪訝な顔をする。だが、狂った当主の姿を見れば、その死霊魔法もまた上手く作用していないのだろうと考える。
「ところで、そこの二人は誰です? 見たところ、兄弟のようですが」
「ええ。とある村から誘拐してきました」
「誘拐!」
「はは、あなたも誘拐されてきたのでしょう? そんなに驚くことですか?」
呑気にそんなことを言うベンに、彼もまた少しおかしくなってしまっているのではないのかと、ジョナスは心配になってしまう。
「さて、彼らが動かされている理由ですが、なかなかに馬鹿げたものですよ」
口の端を吊り上げて、にんまりと笑ったベンに、ジョナスは嫌悪感がこみ上げる。
「なんとあの救世主様を当主の駒にするためです!」
少し声を大きめに出し、さも驚いて欲しそうにベンは言うが、ジョナスはその言い方故か白けてしまう。だが次のベンの言葉に、耳を疑った。
「あの兄弟は傀儡魔法が使えましてね。それで救世主様を操って、意のままに動かすつもりなんですよ」
「……傀儡魔法……」
その言葉に、ジョナスは酷く狼狽えた。それはもちろん、自分の娘であるセラフィーナのことを思い浮かべたからだった。もし、セラフィーナが傀儡魔法を使えると知られていたら、この兄弟のように殺されて、死霊魔法で操られていたのかと思うと、ジョナスは背筋が凍る思いがした。
「もちろん、そんなことは土台無理な話です。あの救世主様を操るなど以ての外。それにあの兄弟は傀儡魔法も使えませんしね」
ではなぜ誘拐したのかと、ジョナスは余りの突拍子もない話に、理解が追い付かなかった。
「そもそもハドリー様を殺したのも、その兄弟を死霊魔法で操るためです。ハドリー様の方が魔力が強く、三人まで同時に死霊魔法をかけることができましたから」
「殺したのか? まさか当主が? 自分の弟を?」
「ええ。二人の兄弟、そして彼らの親を殺したのも当主ですよ。それに、カルガァード家の前当主と夫人を殺したのも現当主であるクリス様です。そう報告を受けました」
ジョナスは絶句してしまう。ただ単に、弟を操っているのだろうと思っていただけだったが、自分の野望のために、自身の家族に手をかけた事実に戦いた。そしてそればかりか、幼い兄弟とその親までも手にかけたことに、酷く動揺してしまう。
「幼い兄弟が本来使える魔法は、兄が時間を止めること、そして弟の方は時間をほんの数秒巻き戻すことだったそうです。ですが、当主はその魔法を傀儡魔法だと勘違いをした。実際、その魔法をかけられた兵は、動きたくても動けない、身体が勝手に数秒前の動作を行う、そういった『操られている』ような動きをしていましたから、傀儡魔法と勘違いをしてしまったようです。もちろん、事実を知って私たちは進言しました。ですが既に狂っていたクリス様にはその声は届きませんでした」
疲れたように話すベンに、ジョナスは同情した。自分の主人がそんな恐ろしいことをしてしまったことや、それに加担してしまったベンは、もう何もかもがどうでもよくなっているのだろうと推察する。
ベンには拒否や逃げることは許されなかったのだろうと思うと、ジョナスは遣る瀬無さが込み上げた。
「こんなことをしたって、死霊魔法には限界がある筈です。既にハドリー様は、もう……」
ジョナスは、ハドリーに目を向ける。未だその場で立ち尽くすハドリーは、今にも動かなくなりそうだった。そして二人の兄弟の足が潰れたままなのも、ハドリーがもう『持たない』ことを表していた。
「それで、これからどうするおつもりですか?」
こんな意味のない企みなど、すぐにでも止めてしまえばいいのにと、ジョナスはベンに対し目で訴えかける。
「さあ? 私はただ命令に従うだけです」
「命令? 私を連れてきて、その後は元帥をここへ連れてくるおつもりですか? とてもではないが、現実的ではない」
「まあ、救世主様を連れて来ることなど、無理に決まっていますが、それでも当主は納得しないでしょう」
「何故狂っていると分かっていながら、当主に手を貸すのですか?」
「ああ、尤もな疑問ですね。正直私も、もうどうしたらいいのか、分からなくなってしまっています」
ベンはそっと俯き、目を伏せた。その様子にジョナスは、本当は直ぐにでも逃げ出したいのだろうと、ベンのことを憐れんだ。だが、どうすることも出来ないと首を振る。そしてここに居ても何も解決しないことが判り、ジョナスは行動を起こすことにした。
「さて、私はそろそろお暇しますよ」
「は?」
ジョナスの言い出したことが理解できないと、ベンは思わず間抜けな声を上げる。
「ここに居たところで、私には何もできないし、するつもりもありませんから」
「ははは、面白いことを言いますね。まさかここから逃げられるとでも?」
「ええ、それは勿論。誘拐したカルガァード家の当主の企みも判りましたし、軍部に報告をして来ますよ」
そう言ったジョナスに、ベンは上手く言葉を呑み込めない様子で、首を傾げる。少し間を置いて、漸く理解が及んだベンは、ジョナスもまた軍部の人間だと思い出し、この後起きるであろう出来事を話すべきかと、口を開いた。
「ここは直に、軍の総督であるグレアム様に押さえられます」
「ほう、何故あなたがそれを知っているのです?」
「私はグレアム様の、といいますか、オールストン家に直接雇われている使用人ですから」
「ああ、なるほど」
この国の三大貴族はお互いに監視し合っていると、誰かが言っていた。それをジョナスは思い出す。
「ですから、このことを軍部に報告しても意味がありませんよ」
「さあ、それはどうでしょうね。例えば、元帥に直接報告したらどうなりますかね?」
半ば脅すように言うジョナスに、ベンはわざとらしく腹を抱える仕草をする。
「ははは、あなたは本当に面白い。そんなことが出来るとでも?」
「もちろん出来ますよ。これでも私は薬学部の最高責任者ですからね。今回の回復薬の盗難は私の管轄であり、私の責任でもありますから、報告する義務がありますし、元帥も私からの報告を無視することはありませんよ」
「なるほど……」
薄ら笑いを浮かべていたベンは、スッと表情を消した。そして小さく息を吐き出す。
「それならばもう、この悪夢に終止符を打って欲しいものです。私は確かにオールストン家の命令で、このカルガァード家に潜入し、監視役をしてきましたが、二人の子息のことは幼い頃からずっとお世話をしてきました。それがこんなにも変わり果ててしまい、挙げ句悪事にも手を染めてしまうとは。私としてはもう、監視役から解放してもらいたいというのが本音です」
がくりと項垂れたベンは、拳を唇に当て、小さく震えた。
「けれど、今あなたを逃しては、グレアム様やオールストン家当主にも処罰が下るでしょう。少し前にはグレアム様が救世主様の怒りを買って、片腕を落とされています。さすがにこれ以上カルガァード家の当主を庇えば今度は首が落とされるかもしれません」
もうどうしようもないところまで来てしまった今、オールストン家もカルガァード家も破滅しかないのだろうと、ジョナスは考える。自分が報告をしなかっとして、どうにかなるのだろうかと逡巡するも、ひとたび露見してしまえば、もっと酷い結末を迎えるのではないかとジョナスは危惧した。だがそう思う反面、傀儡魔法を使える者を殺して操ろうとした人間を、到底許すことは出来ないと、眼に力を入れた。
「それでも、私は報告するつもりです。恐らくそれが、今考えられる最善の策だと思います。後々元帥の耳に入るより、今この時点で明るみにしたほうが、少しはマシなのかもしれないと、私は考えます」
ベンの悲壮な表情に少しだけ心を痛めたが、それが正しいことだと、ジョナスは自分に言い聞かせた。
「ええ、そうなのかもしれませんね。救世主様はとても冷酷で非情だと聞いています。この状況では、どう足掻いたところで覆すことなどできないでしょう」
ゆっくりと、膝をついたベンに、ジョナスは酷だと思いつつも、希望の持てる言葉をかけることにした。散々脅しておきながら、こんなことを言う自分は、案外酷い人間なのかもしれないと自覚しながら。
「それも元帥次第ですね。面倒臭がりで、余り人に興味を持たないと聞いていますから、案外見逃してくれるかもしれませんよ。では、私はこれで失礼します」
ジョナスはその場から空間魔法を使用し、亜空間へと飛び込んだ。忽然と消えてしまったジョナスに、ベンはどうすることも出来ず、その場に呆然と立ち尽くすのみだった。
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